今日、死にかけたこと
本当はこのブログを、もうやめてしまおうかと思っていました。
こんなところに何か書いたところで、何かがどうにかなるわけでもないんだし、よけい色々考えすぎてしまって良くないんじゃないかとか考えてました。
でもやっぱり、もう少し続けます。
ここにこのブログを見に来てくれる人はとても少ないけど、来てくれる人はみんな、僕にとって大切な人たちです。僕の現実の人生で関わっている人はもちろん、中には実際に会ったことがない、いまどきらしいインターネットだけの関係という人もいます。でも僕はここに来てこんな個人的なことを読んでくれるそんな人たちに、自分を吐き出すことで少しでも身軽になって、その分何かを得ていたようです。
まず、今日いろいろとあったのですが、実際のところは多分誰もわかっていないと思うし、お騒がせした何人かの方には説明する必要があるので、ここに書き記しておこうと思います。
今朝、最寄りの駅のそばにある交番で、自分を保護してもらいました。
自分自身を保護してもらうために交番に行ったのはもちろん初めてのことです。
最初は声が震えて何も言えませんでした。
交番には警官の方が二人いて、僕の様子が普通ではないのを察すると、うんうんどうしたという感じでゆっくりと話を促しました。そして話すことができました。
僕は今日、あと少しのところで自らの命を絶ってしまうところでした。
まずひとつ、誤解しないでほしい点があります。僕は人生に悲観してとか、病気がつらくてとか、そういう理由で死にたくなって死のうとしたわけではありません。確かに、ここに書き込んでいる最近の記事を読んでいただくとわかるように、僕は最近悩んでいましたが、それと今日のことはまったく関係がないのです。
先日退院してから、僕の精神的状態はあまりよくなかった、と自分で思います。医者にそう言われたわけではありませんので、思います、と書きました。
また「うつ病」の悪い波(下降線)がやってきたのではないかという恐怖がまず僕を襲いました。
この1年間で僕は、2度もうつ病をやりました。そして、「うつ病」と診断されるということは、とてもつらい日々の始まりを意味することだということです。仕事にも医者の許しが出るまで行くことができない。誰の役にも立つことができない日々です。そして稼ぎもない。
うつ病がまたやってきたかもしれない、という自分自身の正直な感覚を、信じたくありませんでした。葛藤しつつも、平気なふりをしながら、平気ではありませんでした。
そしてここ数日間、死ぬことについて考えている自分がいました。これは、健康な人にはうまく理解してもらうことができないかもしれません。
はじめは、自殺したらどうなるだろうかなんてことをふと考えるくらいだったのです。そしてすぐに我に返ったようになって、バカなこと考えてる場合じゃないよ!と自分を笑い飛ばすくらいだったような記憶があります。それが日に日に、現実的に死ぬことについて考えていくようになりました。
そういうことを考えていないときは、まったく自分がそんなことを考えたなんて思えないくらいなのです。「だって実際死んだら、家族はどうなる?死んだら希望も夢もなにもなくなるよ」
それはかなり急激な精神状態の下降でした。
たとえば、もし3日間なにも食べていないあなたが、食べ物のことを考えてはいけない!と言われたら、食べ物のことを一切考えないでいられるでしょうか。そんな感じです。ホラー映画を見た後に、「あれは作り話だ」とわかっていても、ひとりでトイレにいくと背後に誰かがいるような妄想をやめられないときってありませんか。それにも似ている気がします。
そんな感じで、死ぬことについて考えたくないと思いながら、考えをやめることができなくなってしまったのです。
そして、落ち着いた今になって振り返ってみると、その時は「もし死んでしまったら……」について、考えることなんて全く!!できないのです。思いが及ばないのです。同じことを何度も何度も繰り返し考えました。出口のない迷路でした。考えがぐるぐるぐるぐる、同じところを回っていることは自分でもわかりました。しかし、そこから抜け出すことができないのです。
そして今朝、僕はそのとき感じていた絶望感をひとりで抱えきれなくなりました。会社に行く時間に家を出ると、誰にも心配をかけたくないから言えなかったような内容をメールにして、家内に出しました。そして死に方を求めていました。最寄りの駅につくと、周囲の人波や風景は何も見えませんでした。何も覚えていません。ただ、僕は駅の反対側へいく高架橋から下に飛び降りることができることを確認して、その前に立って、死ぬ前に何か忘れている大事なことはないかと考えていました。
そこから飛び降りるには、窓を開ける必要がありました。窓を開けることができるかどうか見てみると、普通の家庭の窓のようなロックがついているだけなので、簡単に開くことがわかりました。
快速が下を通る時間を待つ必要がありました。飛び降りるだけでは死ぬことができないかもしれないからです。その時点で、ダイヤ通りなら僕の命はあと2分間でした。
本当に偶然です。インド人らしき人が僕の前をすれ違いました。人通りが多い中、誰の顔も景色も認識できなかったのに、その見ず知らずの浅黒い肌をした男性の顔が僕の目に飛び込んできました。そのあと、僕は連鎖的に家族を思い出しました。そういえばインドに何ヶ月も行っていたなあ、行ってる間、家内を一人で待たせたなあ、といった具合です。はっきり覚えています。
そこで初めて、僕は自分がとんでもないことをしようとしていたことに気づいたんです。
すぐ横には、窓を乗り越えるために足がかりにしようとしていた、灰色の公衆電話が2台並んでいました。1台は子供や障害者のために、台が低くなっていました。僕はそこに足をかけようとしていたのです。恐ろしいことです。膝が震えて歩けませんでした。僕はそのまま公衆電話の台に寄りかかって、しばらく動けず、何も考えられませんでした。
悔しい、悔しい、そして、恐ろしい。自分が自分でコントロールできないなんて信じられない。
そうか、これが、うつ病による自殺か、と思いました。
間違いない、これが、うつ病による自殺です。こうして理不尽に、納得できないで死んで行くんだ。
重低音のようなブーンブーンという音が響いていました。その音が、自分を殺そうとしていたように思えてなりませんでした。そしてその音は、どこからともなく、いつの間にか聞こえてきていた。
その音が知らぬうちに聞こえていたように、死が、自分の気がつかないうちに自分の目前まで接近していたんです。
眠っていて目が覚めたら崖っぷちで落ちかけていたような心境でした。
まず、自分の命の安全を確保する方法を考えました。どうしたらいいか必死に考えました。いつまた自分が自分でなくなるか分からない恐怖でいっぱいでした。背筋が凍りながら、さらに恐ろしい事実に気がつきました。こんな状態になっていながら、死に対する恐怖がまったくない。恐怖の対象は、自分がコントロールできないということでした。どうして自分は死にたくないのに死ななくてはいけないという理不尽さでした。
普段なら、死ぬのはものすごく痛そうだし辛そうだし、電車になんて飛び込んだら大勢に迷惑をかけるし大変なことになるなんて冷静に考えられるものです。でもそういうことは全然頭に浮かばないのです。痛そうなことが全然怖くないということが、本当に怖かった。
どうしたらいいか考えました。JRの駅員?すぐそばを歩いている人に声をかける?そうだ、交番だ、交番にいかなくてはいけないと思い、駅前の交番に駆け込み、保護してもらいました。調書をとられ、家内に引き取りにきてもらうように連絡してもらい、警察官の話を聞いていました。
『僕の知り合いが警察官を辞めて今は石川県にいるんだ。デイツーとかビバホームみたいなアレ、そうホームセンターね、あんなとこで働いててね、給料は前の半分だって行ってたけど、田舎はスローライフでいいらしいよ。実はね、自分もそんなこと考えてパソコンで調べたことあるんだよ。種子島ね。あそこも大分田舎だけどね、ほら宇宙センターがあるじゃない。だから島は結構潤っているらしいんだよ。誰にでもストレスはあるよ。僕も毎日バイクでこの交番まで通ってるんだけどさ、運転しながらあーここでどっかに行ってしまいたいなんて思うこともあるよ。それでもみんな頑張ってるわけだよね。お仕事は何をしているの?そうか、ああーコンピュータ関係は多いらしいね、うつ病になる人。で、営業やってるの?そうか、技術者なのか、だったらコンピュータの専門知識あるんでしょ、田舎でも重宝されるんじゃないのかねえ。なんか田舎暮らしを強く勧めてるみたいでアレだけどさ、考えてみるのもいいと思うよ。でもまあ、プロの医者の言うことをちゃんと聞いて、死んだら元も子もないわけだしさ、悲しんでくれる人もいるんじゃない。本当に虚しくなっちゃうのは無縁仏だよ。本当に、ご家族を悲しませないためにも、ちゃんと治して、まずいと思ったら躊躇わずに110番してくださいね。僕らはそれが仕事なんだから』
交番の方には、ご迷惑をおかけしました。
また、心遣いをしていただいて、本当に嬉しかったです。
ひとつ理解したことがあります。
うつ病の人に、「死んだら悲しむ人がいる」とか「死んで何になる」なんていう言葉が、まったく無意味だということです。
なぜなら、それは「あり地獄」のようなものだからです。頭で理解するのと、行動を抑制するのは、別の問題なのです。
僕は今落ち着いていますが、いつまたああなるか分からない恐怖でいっぱいです。
今日は火曜日で、通っている精神科が休診です。明日、行かなくてはいけません。
もしかしたら、入院させられてしまうかもしれない。それ以外にあの衝動をおさえる方法があるのだろうか疑問に思います。
僕は死にたくないということを、ここにはっきりと表明しておきます。
死んでしまったりしたら(なんて縁起でもないって言われそうだけど)それはうつ病のせいだと思ってください。
精神的に、ふっきれたこともあるようです。そして、不思議な、、、というか普段では感じることがないような感覚も体験しました。
死ぬということは、とても怖いものでもあるし、考え方によっては、怖れるものでもない。
死んだつもりでやるということです。
あのインド人は、本当にいたのかどうか自分でもわかりません。でも、そのあとの心の経緯は、先述したように、よく覚えています。もしもあれが無かったら、死んでいました。
死ぬということは、恐ろしく簡単なものです。
僕はいつか死ぬし、明日にでもまた同じようなことになる可能性だって、否定はできないです。
しかし、うまく根拠を説明することができないのですが、僕にとって非常に重要なのは、今日と同じことはもう起きないのではないかと思っていることです。
人に話すと変な人だと思われるのであんまり話しませんが、普段から僕は何かとてつもなく強力なものに守られているような気がするのです。いや、控えめに「気がする」なんて書いていますが、何度かの人生の分岐点を通じ、自分の中では確信めいたものを感じるようになっています。まあ信じる分には自由だし、誰に押し付けるものでもないので、そういう何かがあることを信じてるとだけ書いておきます。
本日かかわった皆さん、ご心配とご迷惑をおかけしました。
この場を借りてお詫びいたします。ごめんなさい。そして、心配してくれてありがとう。
僕なりに今までも精一杯やってきたつもりだし、今後もまだしばらくは迷惑かけてばかりだと思いますが、精一杯やっていくつもりです。
追記です。
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