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2006 年 11 月 のアーカイブ

今日、死にかけたこと

2006 年 11 月 28 日 コメント 1 件

本当はこのブログを、もうやめてしまおうかと思っていました。
こんなところに何か書いたところで、何かがどうにかなるわけでもないんだし、よけい色々考えすぎてしまって良くないんじゃないかとか考えてました。
でもやっぱり、もう少し続けます。
ここにこのブログを見に来てくれる人はとても少ないけど、来てくれる人はみんな、僕にとって大切な人たちです。僕の現実の人生で関わっている人はもちろん、中には実際に会ったことがない、いまどきらしいインターネットだけの関係という人もいます。でも僕はここに来てこんな個人的なことを読んでくれるそんな人たちに、自分を吐き出すことで少しでも身軽になって、その分何かを得ていたようです。
まず、今日いろいろとあったのですが、実際のところは多分誰もわかっていないと思うし、お騒がせした何人かの方には説明する必要があるので、ここに書き記しておこうと思います。
今朝、最寄りの駅のそばにある交番で、自分を保護してもらいました。
自分自身を保護してもらうために交番に行ったのはもちろん初めてのことです。
最初は声が震えて何も言えませんでした。
交番には警官の方が二人いて、僕の様子が普通ではないのを察すると、うんうんどうしたという感じでゆっくりと話を促しました。そして話すことができました。
僕は今日、あと少しのところで自らの命を絶ってしまうところでした。
まずひとつ、誤解しないでほしい点があります。僕は人生に悲観してとか、病気がつらくてとか、そういう理由で死にたくなって死のうとしたわけではありません。確かに、ここに書き込んでいる最近の記事を読んでいただくとわかるように、僕は最近悩んでいましたが、それと今日のことはまったく関係がないのです。
先日退院してから、僕の精神的状態はあまりよくなかった、と自分で思います。医者にそう言われたわけではありませんので、思います、と書きました。
また「うつ病」の悪い波(下降線)がやってきたのではないかという恐怖がまず僕を襲いました。
この1年間で僕は、2度もうつ病をやりました。そして、「うつ病」と診断されるということは、とてもつらい日々の始まりを意味することだということです。仕事にも医者の許しが出るまで行くことができない。誰の役にも立つことができない日々です。そして稼ぎもない。
うつ病がまたやってきたかもしれない、という自分自身の正直な感覚を、信じたくありませんでした。葛藤しつつも、平気なふりをしながら、平気ではありませんでした。
そしてここ数日間、死ぬことについて考えている自分がいました。これは、健康な人にはうまく理解してもらうことができないかもしれません。
はじめは、自殺したらどうなるだろうかなんてことをふと考えるくらいだったのです。そしてすぐに我に返ったようになって、バカなこと考えてる場合じゃないよ!と自分を笑い飛ばすくらいだったような記憶があります。それが日に日に、現実的に死ぬことについて考えていくようになりました。
そういうことを考えていないときは、まったく自分がそんなことを考えたなんて思えないくらいなのです。「だって実際死んだら、家族はどうなる?死んだら希望も夢もなにもなくなるよ」
それはかなり急激な精神状態の下降でした。
たとえば、もし3日間なにも食べていないあなたが、食べ物のことを考えてはいけない!と言われたら、食べ物のことを一切考えないでいられるでしょうか。そんな感じです。ホラー映画を見た後に、「あれは作り話だ」とわかっていても、ひとりでトイレにいくと背後に誰かがいるような妄想をやめられないときってありませんか。それにも似ている気がします。
そんな感じで、死ぬことについて考えたくないと思いながら、考えをやめることができなくなってしまったのです。
そして、落ち着いた今になって振り返ってみると、その時は「もし死んでしまったら……」について、考えることなんて全く!!できないのです。思いが及ばないのです。同じことを何度も何度も繰り返し考えました。出口のない迷路でした。考えがぐるぐるぐるぐる、同じところを回っていることは自分でもわかりました。しかし、そこから抜け出すことができないのです。
そして今朝、僕はそのとき感じていた絶望感をひとりで抱えきれなくなりました。会社に行く時間に家を出ると、誰にも心配をかけたくないから言えなかったような内容をメールにして、家内に出しました。そして死に方を求めていました。最寄りの駅につくと、周囲の人波や風景は何も見えませんでした。何も覚えていません。ただ、僕は駅の反対側へいく高架橋から下に飛び降りることができることを確認して、その前に立って、死ぬ前に何か忘れている大事なことはないかと考えていました。
そこから飛び降りるには、窓を開ける必要がありました。窓を開けることができるかどうか見てみると、普通の家庭の窓のようなロックがついているだけなので、簡単に開くことがわかりました。
快速が下を通る時間を待つ必要がありました。飛び降りるだけでは死ぬことができないかもしれないからです。その時点で、ダイヤ通りなら僕の命はあと2分間でした。
本当に偶然です。インド人らしき人が僕の前をすれ違いました。人通りが多い中、誰の顔も景色も認識できなかったのに、その見ず知らずの浅黒い肌をした男性の顔が僕の目に飛び込んできました。そのあと、僕は連鎖的に家族を思い出しました。そういえばインドに何ヶ月も行っていたなあ、行ってる間、家内を一人で待たせたなあ、といった具合です。はっきり覚えています。
そこで初めて、僕は自分がとんでもないことをしようとしていたことに気づいたんです。
すぐ横には、窓を乗り越えるために足がかりにしようとしていた、灰色の公衆電話が2台並んでいました。1台は子供や障害者のために、台が低くなっていました。僕はそこに足をかけようとしていたのです。恐ろしいことです。膝が震えて歩けませんでした。僕はそのまま公衆電話の台に寄りかかって、しばらく動けず、何も考えられませんでした。
悔しい、悔しい、そして、恐ろしい。自分が自分でコントロールできないなんて信じられない。
そうか、これが、うつ病による自殺か、と思いました。
間違いない、これが、うつ病による自殺です。こうして理不尽に、納得できないで死んで行くんだ。
重低音のようなブーンブーンという音が響いていました。その音が、自分を殺そうとしていたように思えてなりませんでした。そしてその音は、どこからともなく、いつの間にか聞こえてきていた。
その音が知らぬうちに聞こえていたように、死が、自分の気がつかないうちに自分の目前まで接近していたんです。
眠っていて目が覚めたら崖っぷちで落ちかけていたような心境でした。
まず、自分の命の安全を確保する方法を考えました。どうしたらいいか必死に考えました。いつまた自分が自分でなくなるか分からない恐怖でいっぱいでした。背筋が凍りながら、さらに恐ろしい事実に気がつきました。こんな状態になっていながら、死に対する恐怖がまったくない。恐怖の対象は、自分がコントロールできないということでした。どうして自分は死にたくないのに死ななくてはいけないという理不尽さでした。
普段なら、死ぬのはものすごく痛そうだし辛そうだし、電車になんて飛び込んだら大勢に迷惑をかけるし大変なことになるなんて冷静に考えられるものです。でもそういうことは全然頭に浮かばないのです。痛そうなことが全然怖くないということが、本当に怖かった。
どうしたらいいか考えました。JRの駅員?すぐそばを歩いている人に声をかける?そうだ、交番だ、交番にいかなくてはいけないと思い、駅前の交番に駆け込み、保護してもらいました。調書をとられ、家内に引き取りにきてもらうように連絡してもらい、警察官の話を聞いていました。
『僕の知り合いが警察官を辞めて今は石川県にいるんだ。デイツーとかビバホームみたいなアレ、そうホームセンターね、あんなとこで働いててね、給料は前の半分だって行ってたけど、田舎はスローライフでいいらしいよ。実はね、自分もそんなこと考えてパソコンで調べたことあるんだよ。種子島ね。あそこも大分田舎だけどね、ほら宇宙センターがあるじゃない。だから島は結構潤っているらしいんだよ。誰にでもストレスはあるよ。僕も毎日バイクでこの交番まで通ってるんだけどさ、運転しながらあーここでどっかに行ってしまいたいなんて思うこともあるよ。それでもみんな頑張ってるわけだよね。お仕事は何をしているの?そうか、ああーコンピュータ関係は多いらしいね、うつ病になる人。で、営業やってるの?そうか、技術者なのか、だったらコンピュータの専門知識あるんでしょ、田舎でも重宝されるんじゃないのかねえ。なんか田舎暮らしを強く勧めてるみたいでアレだけどさ、考えてみるのもいいと思うよ。でもまあ、プロの医者の言うことをちゃんと聞いて、死んだら元も子もないわけだしさ、悲しんでくれる人もいるんじゃない。本当に虚しくなっちゃうのは無縁仏だよ。本当に、ご家族を悲しませないためにも、ちゃんと治して、まずいと思ったら躊躇わずに110番してくださいね。僕らはそれが仕事なんだから』
交番の方には、ご迷惑をおかけしました。
また、心遣いをしていただいて、本当に嬉しかったです。
ひとつ理解したことがあります。
うつ病の人に、「死んだら悲しむ人がいる」とか「死んで何になる」なんていう言葉が、まったく無意味だということです。
なぜなら、それは「あり地獄」のようなものだからです。頭で理解するのと、行動を抑制するのは、別の問題なのです。
僕は今落ち着いていますが、いつまたああなるか分からない恐怖でいっぱいです。
今日は火曜日で、通っている精神科が休診です。明日、行かなくてはいけません。
もしかしたら、入院させられてしまうかもしれない。それ以外にあの衝動をおさえる方法があるのだろうか疑問に思います。
僕は死にたくないということを、ここにはっきりと表明しておきます。
死んでしまったりしたら(なんて縁起でもないって言われそうだけど)それはうつ病のせいだと思ってください。
精神的に、ふっきれたこともあるようです。そして、不思議な、、、というか普段では感じることがないような感覚も体験しました。
死ぬということは、とても怖いものでもあるし、考え方によっては、怖れるものでもない。
死んだつもりでやるということです。
あのインド人は、本当にいたのかどうか自分でもわかりません。でも、そのあとの心の経緯は、先述したように、よく覚えています。もしもあれが無かったら、死んでいました。
死ぬということは、恐ろしく簡単なものです。
僕はいつか死ぬし、明日にでもまた同じようなことになる可能性だって、否定はできないです。
しかし、うまく根拠を説明することができないのですが、僕にとって非常に重要なのは、今日と同じことはもう起きないのではないかと思っていることです。
人に話すと変な人だと思われるのであんまり話しませんが、普段から僕は何かとてつもなく強力なものに守られているような気がするのです。いや、控えめに「気がする」なんて書いていますが、何度かの人生の分岐点を通じ、自分の中では確信めいたものを感じるようになっています。まあ信じる分には自由だし、誰に押し付けるものでもないので、そういう何かがあることを信じてるとだけ書いておきます。
本日かかわった皆さん、ご心配とご迷惑をおかけしました。
この場を借りてお詫びいたします。ごめんなさい。そして、心配してくれてありがとう。
僕なりに今までも精一杯やってきたつもりだし、今後もまだしばらくは迷惑かけてばかりだと思いますが、精一杯やっていくつもりです。
追記です。

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Where there’s will, there’s a way

2006 年 11 月 28 日 コメント 1 件

今日のタイトルは、ずっと前に一緒に働いていた友人からもらった言葉です。
この言葉を、僕は今まで何度も繰り返してきました。迷ったとき、行き詰まったとき。
英語の諺で「意志あるところに道あり」という意味です。
英語のことわざ – ジャパンタイムズ[週刊STオンライン]より:
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クリスマスが来ないことについて

2006 年 11 月 27 日 コメント 1 件

最近このブログも、なりふりかまっていませんね(笑)
自分の生活で起きていること、とくに病気とか、僕自身のプライベートなことについて、書きまくっています。世の中の幸せな生活をしている諸君には、ちょっと敬遠されてしまうサイトかもしれませんね。ちょっと(かなり?)暗いし。
でもまあ、これも自分だ。受け止めよう。うん。
もちろん僕だって暗いばっかりで楽しい訳じゃないんですよ。
明るくしたい。楽しい生活だってしたいです。
クリスマスなにしようかとか。でもね。
クリスマスなんて言葉を口にするだけで、たくさん休んじゃったし、今年の冬のボーナス出ないだろうなあ。それどころか給料も厳しい状態だし、クリスマス祝ってられないなあと、暗い気分になります。
去年もこんな調子で、楽しいクリスマスはやってきませんでした。
ささやかでもいいんです。ただ、「今年、がんばったね。いいこともたくさんあったね。一年間おつかれさま、ありがとう」って言い合える年末にしたい。それができてないんです。
ワインの一杯とか、チキンやターキーが食べたいわけではないんです。(好きだけど)
こういう不安定な心理状態で、ごちそうを目の前にメリークリスマス!なんて言っても、それは虚しい、そのときだけの作られた時間なのですよ。
人に負担をかけているということが、とても悲しくて辛いです。

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やっぱり生きるという決断

2006 年 11 月 27 日 コメントはありません

自分のことだけを考えていられるというなら、正直、病気の治療に専念すべきだという気がする。
精神状態がおかしいというか、心が変な位置にあるというような感覚、違和感あります。
そういう違和感って、「精神異常者」とは違うのだろうけど、あんまり人に見せたくない。
だから、普通を装ってみたり、一人でなにかしたりする。そういうとき。
でもやっぱり、普通じゃないですね。はっきりと自覚しました、いま。
しかし、どうしても心配は経済的なところになります。
いくら傷病者の補助金が出る(かもしれない)からといって、休職してしまったら給料ゼロです。
生きて行けません。
これは、ずしーーーーっと、重く僕の上にのしかかってきます。
なんて、こういうことは、弱音っていうんですよね。自分で決めた人生に文句を言うなんて最悪。
こうした経験は、将来物事を決定する上でものすごい影響するでしょうね。
人間いつどこで、こういった予想外の出来事に出会うかわかったものじゃないので。
でも、それに対処する図太さ、これ重要です。
失うものは失えばいい。ゼロになったって、身体があればなんとでもなる、って思っている自分もいる。
けれど、目に見えないややこしい病気ひとつで、そこまで開き直れるほど強くない。
僕は若い頃、家を飛び出して一人で暮らしていた時間が長かったので、一時は自分は乞食じゃないかと疑うくらい酷い生活したりして、「家庭」とか「自分の家」というものに対して、強い憧れや執着心があると思います。べつに、ボロボロの安アパートでもいいんだけど。
そういうものが奪われると、どんなに大変なことか。しかも今は家内と犬4匹もいます。
だから死守するのです。それしかない。
とはいえ、働きながら、今の環境や状況で、病気が治るのか、とても疑問です。
どこに突破口があるのでしょうか。ぐるぐると、終わりの無い考えが回り続けます。
死ぬということが仮に、眠ったまま目を覚まさないということと同義であるとしたら、僕はそろそろ死ぬべき時がきたのだと思ってしまうことがあります。
うーん、歯に衣着せずに書いてしまいます。誰かに、助けてほしい。
だれもいないんです、そういう人。
べつに、援助してほしいって言ってるわけじゃない。誰かに聞いてほしい。
そして、アドバイスしてほしい。だって、自分では答えが出ないんです。なにも。
毎日の生活が、過去にやってきたことの記憶から掘り出したものに律されて生活しています。
幸いなことに僕は好奇心のあるほうだったので、過去の繰り返しをしていてもいろんなパターンを知っている。でも、実は新しいことはなにもしていない。できない。
行き詰まりというやつです。僕はどうして、こんなに大きな心の叫びを、平気そうな顔をして無視できるようになってしまったのでしょうか。過去にいろんな嘘をついてきた罰でしょうか。

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なぜうつ病になってしまうのか

2006 年 11 月 27 日 コメント 5 件

どんな病気も、とても理不尽に、突然あなたを襲います。
僕も自分がうつ病と関わりを持つまでは、とても自分がそのような病気にかかるなんて思ってもみなかったし、多くの人が未だにそうであるように、うつ病に対して誤解をしていました。
【うつ病になる理由】
うつ病になる理由は、人により様々です。

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読書の時間がないってことはない

2006 年 11 月 26 日 コメントはありません

会社の同僚や友人から、「読書したいけど読む時間がない」という話を最近よく聞くので、今回はいかにして読書の時間を確保するかという話。

読書の時間についてしばらくネットサーフィンもしてみたんですが、読書好きのみなさん、様々な個性ある方法で工夫しているなあ、と感心しきり。
読書が好きという人が少なくなった昨今ですが、僕は知り合いに読書馬鹿と言われるくらい本が好きです。
本当に、悪くなったのが目じゃなくて耳でよかったと思ってしまうくらいに。ちなみに視力は、いまどき近眼とか乱視とか持っていない人のほうが珍しいらしく、よくコンタクトつけてるの?と聞かれますが、左右ともに1.5の健康な目を持っています。
先日、ジャンルを問わず去年1年間で何冊読んだかざっと計算してみましたが、120冊くらいでした(もちろんマンガや雑誌以外ですよ)。1年は365日ですから、3日に1冊のペースですね。これには自分でびっくり。こんなに読んだっけかな……?
図書館なんかに行くと、これ(図書館)をひとつ所有できたら本当に幸せだろうなぁ~なんて妄想してしまいます(笑)。同時に、世の中には無数の本があって、日々増え続けているわけですね。なので読むジャンルとか作家とかが限られてくるのは必然なわけですが、それでも大きな本屋さんや図書館に行くと、普段読みもしないようなジャンルの本が並んでいるところに好奇心でヒョコヒョコ行ってしまい、そこに新しい世界を見つけてしまったりするのです。
本のにおいも大好きです。本屋、古本屋、図書館。紙のたくさんあるところにある独特のにおいが、たまりません。(余談ですが、耳を悪くしてから、昔から敏感だった嗅覚がさらによくなってしまいました)
さて、本題に戻りますが、僕は現在までずっと、どんなに忙しいときでも読書のために時間を確保してきました。手前味噌で恐縮ですが、いくつかご紹介したいと思います。
まずはじめに大前提なのですが、「常に携帯する」ことが肝要です。仕事でも、プライベートでの外出でも、雨の日も風の日も、健やかなるときも病めるときも。文庫本は持ち運びに便利ですが、ハードカバーは読みやすいですね。
読書の好きな方は、お気に入りの「お出かけかばん」を用意するといいですよ。僕も最近作りました。どこに出かけるときも、そのカバンひとつ持って行けばいいのです。中には読みかけの本や、電子手帖、耳栓、薬一式、その他暇つぶし用品、ハンカチ、ちり紙などが入っています。

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W43S

2006 年 11 月 25 日 コメント 3 件

MNPでキャリア間の電話番号持ち越しが可能になったこともあり、携帯を変えました。
なんといっても、MNPの場合、新規契約の価格で携帯が手に入るので、同一キャリアで機種変更するよりも断然安く済むのも大きなポイント。(MNP予約と新規契約手数料がかかりますが)
ちょうどドコモの「いちねん契約」が更新月だったので、解約金もかからないし。
ドコモは6年目突入で、割引もちょっと惜しかったけど、ドコモの携帯は高いです。それが嫌でずっとMOVAを使っていたんですが、最近の携帯ってわざと壊れやすくしているんですかね?ボタンが壊れてきて、一回しか押してないのに二回押したことになってたり、押しても反応しなかったりで、とうとうFOMAに変更したのが去年の話。それも、ドコモショップのキャンペーンで、N701iが無料で手に入るということで変えたのでした。しかしこのN701i、以前の投稿でも書きましたが、無料になるだけあって(?)かなり曲者な機種でした。とにかく何をするにも処理が遅いのです。メールの画面を出すにも数秒。メールの文字を打つときも画面の表示がついてこない。
それからMOVAからFOMAに変えたもうひとつの理由は、自宅での電波状態が悪いということでした。MOVAよりFOMAのほうが電波が良いなんてことは稀なのでしょうが、試すだけ試してみました。結果、以前とあまり変わらず。南側の部屋の窓際以外は、ほぼつながりません。
今回手に入れたのは、W43Sというソニーエリクソンの携帯です。本体価格、新規契約で0円。
処理が遅いなんてレビューをちらほら見かけていましたが、使ってみたらN701iより断然速いから、まったく問題なしです。電波も音質も二重マル。すべての部屋で3本立ってます。トイレでも風呂場でも、ドアを閉めても3本立っています(笑)
このW43Sというモデルは、ソニーエリクソンの製品ページを見てもらうとわかるのですが、「あかり」という機能があり、着せ替えできるパネルの下にLEDがたくさんついて充電時や着信時などに光らせることができます。
この着せ替えパネルが最初から3枚ついています。それ以外にも純正オプションやキャンペーン品、期間限定のデザイナーズモデルなどたくさん出ているのですが、人気があるのかどこでも品薄。ヤフオクで高額取引までされているようです。
まあ、数百円なら買ってもいいけど、そこまで苦労して買うつもりはないわけで、パネルを自作しちゃいました。付属のパネルのうち、模様がついていないやつの下に、自分で紙を切り抜いて作ったパターンをはさむだけです。
ここに写真を掲載しようとしたのですが、携帯カメラで携帯を撮影できないので、今度にします……。

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社員旅行

2006 年 11 月 24 日 コメントはありません

うちの会社は、昨日から日曜日まで4日間、社員旅行です。ちなみに僕は、飛行機に乗って気圧が変わって難聴による耳鳴りなんかで悩まされたくないので見送りです。

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うつ病は精神科に原因を求めてはいけない

2006 年 11 月 22 日 コメントはありません

先日のエントリーで、三田文学に掲載されて話題になった「アパシー」という作品について述べましたが、どこかのブログで目にしたそれに対する記事。「ここ1~2年、自殺者が増えている」と問題視した上で、いじめを苦にした自殺や、過労のサラリーマンの自殺などについて述べていました。

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保護中: 現在の状態

2006 年 11 月 20 日 コメントを読むにはパスワードを入力してください。

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