「やりたいこと」と「やるべきこと」

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たとえば、こんなシチュエーションが過去にありました。

ゆったりした公園や寺社。
雰囲気のよいカフェ。
おいしいレストラン。

そういうものがたくさんある場所に引っ越してきたはずだったのに、楽しめていない自分。
古巣を訪れてみて、むしろ引っ越す前のほうが楽しめていたことに気がついた。

このようなことは、気づいた瞬間に幸福感を覚えます。気付きがあってこそ、変えることができますからね。そういう気付きの瞬間を大切に思えるかどうかが、変化できるかどうかの大切なポイントなんだっていうことが、経験してみるとよくわかります。

人生の中で「楽しめてない」ことがあるとしたらそれは、場所とか環境の問題ではなくて、たいてい心の捉え方の問題だからです。

時間がないな、と思ったときは、やることを先送りにすればいい。

「やること終わらせてから楽しんだほうがスッキリする」

この考え方が危険であると僕が主張して、いまそれに同意できる人はどれだけいらっしゃるでしょうか?

やることを済ませてから楽しいことをするのは当然、という教育を受けて育ってきた我々日本人は、その「当然」とはどこからくるものなのか、考える機会を積極的に与えられていないのです。夏休みを楽しむのは、夏休みの宿題が終わってから。それが「正しい」と教わってきた記憶はありませんか?
「当然」とされていることに疑問を持つセンスを磨くこと。疑問をないがしろにせず、きちんと考えるのが本当の「教育」というものなのですが、日本の教育は残念ながら「押し付け」に成り下がっているシーンが多すぎて、どこからツッコミを入れたらわからないくらいです。

話を戻します。

やること」って、疑問に思わずやっちゃう人が多いけど、実はそう単純じゃないのです。
現代人は「やりたいこと」と「やりたくないけど、やらないといけない(と思い込んでる)こと」が混じってしまっているからです。

「やりたいこと」は「もっとやりたいこと」が現れたときに、柔軟に順序を入れ替えることができます

順序を変えられないタスクが現れたとき、それは自分自身の危険信号なのです。なぜなら、やりたくない気持ちが顕在化しているかどうかにかかわらず、「やりたくないけどやらなければいけないと思いこんでるもの」は、優先順位の入れ替えができないと思い込んでしまう。これが、人間の脳の錯覚なのです。とくに前頭葉の弱さです。
脳は合理的であると思いこんでいる。脳はほんとバカです。論理思考も常にトンデモ展開するし、五感から得られる情報も嘘だらけの錯覚まみれだということです。

現代人の病みのひとつが、「やりたいこと」と「やらねばならないこと」の区別ができなくなることです。

なぜ間違えるのか?

「やらねばならないこと」を「やりたいこと」だと思い込もうとする仕組みについて説明します。

それは単純で、「やらねばならないことは、やり終えたら楽になる」と思いこんでいるからです。
この心理的効果を利用して、使役者は被使役者を自由にコントロールしてきたという人類の永い歴史があるわけです。

  • 「やりたいこと」は常にたのしいこと。ワクワクすること。次々にわいてくること。夢。希望。欲。ウィッシュ。
  • 「やらなきゃいけないこと」はつらいこと。早く終わらせて、ひとつずつ減らしていけば楽になると思ってること。タスク。責務。

でも実際には、「やらなきゃいけないこと」は、減らしても減らしても楽にはならないのであります。
なぜならば、そこにはその人の思考の傾向という罠があるからです。

やりたいことよりも、やらなきゃいけないことを優先する人は、常に後者を優先して行動してしまいます。
やらなきゃいけないことを全部クリアしてようやく、やりたいことができると思い込んでいます。
つまり、やらなきゃいけないことが無くならない限り、本当にやりたいことができない。

やらなきゃいけないことは、常に自分の心が生み出しています。
やりたいことも同じです。

「やりたいことを誰かに押し付けられる」
この文章がおかしいことには、ほとんどの方が気付くでしょう。「やりたいこと」は「自分」が決めるはずだから、それを誰かに決めてもらうのは「やりたいこと」ではない、そう思いますよね。

それでは、「やらなきゃいけないこと」はどうでしょうか?
他人に押し付けられてる気がしますか?実はその通りなのかもしれませんね。でも、実際それを本人に問うと、「誰にも押し付けられてない、自分で決めてるんだ」と主張する人も多いのです。

まさにその通りで、「やらなきゃいけないこと」は、「やりたいこと」と全く同じく、自分で決めているのです。

やりたいことと、やらなきゃいけないこと。
この違いは何でしょうか?

それは、やらなかったときに発生するリスク意識です。
ここで大切なのは、ホンモノのリスクではないということです。
リスク「意識」なのです。これがまた曲者です。

やりたいことは、やらなくても誰も困らない。
やらなきゃいけないことは、やらないと誰かに不利益が発生する。

そう思ってるだけです。どちらも同じものなのです。

そして多くの場合、「やりたいこと」こそが、本質だったりします。
だって、自分がやりたいことなんだもの。毎日の人生の中で、あなたが実現したいこと、だからこそ、やりたいという感情が芽生えるわけですから。
人は、明日も生きているという保証なんてどこにもありません。
やりたいことは、いつやるべきでしょうか。
「今」ですよね。それ以外に答えはありません。

さらに「やらなきゃいけないこと」を「やらなかった場合」に発生する「不利益」についても、よく考えてみましょう。よく考えて行動しましょう。本当にそれは「不利益」なのでしょうか?見せかけの不利益ではないですか?もしくは、コンプレックスや失敗への恐怖心から生まれる「思い込みの不利益」ではないでしょうか?

これが、やりたいことに踏み出せない人の心理のひとつです。

こうして書いてみると「当たり前だな、何をいまさら」と思える人も多いと思うのですが、不思議なことに、この文章を理解してくれる人のうち、ほとんどが実際に行動に反映できないでいます。

なぜなら、本当にやりたいことに向かって行動することに「罪悪感」すら覚えてしまうほどに病んでしまっているからです。

あるいはもっとひどいケースだと、「やりたいこと」を優先することを、「エゴまみれで他者のことを考えてないわがまま人間」と評価してしまう傾向があるようですが、そういう思考の罠にハマってしまっているのならば、本当のエゴやわがままとは何なのかよく考えることから始めないといけないですね。

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