対立意見と人間の主観

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目先に見えてる利益や調和に固執していたら理想主義者なんてやってられないです。そういうのは、必ず失望に繋がるから。

「失敗しない唯一の方法は、成功するまでやめないこと」

この一言に苦しさを覚えるのならば、それは、やめておいたほうがいいと思うのです。他の誰かが楽しみながらやってくれるから。

BrexitとかPresidentとか、いま語るべき問題ではないです。過去の出来事ですからね。Issueが起きる前に心配ばかりして想像力をかきたてる連中には1ミリも心を動かされないです。

それからこれは僕も陥りやすい思考なので自戒の念を込めて書いておきますが、プロジェクトなり世論なり選挙なりグループディスカッションなり、自分の意図しない結末が確定したとき、そこで「前向きに次を考えよう」とか「All you need is love」とか唱えて心を切り替えて仕切りなおそうとするやつ。これ、なかなかの不利益的な考え方だと思ってます。暴言に見えますか?でも最後まで読んでいただけると嬉しいです。

「結果の受け止め方をポジティブに」なんて話をしたいのではありません。いまからその個人的な考え方を説明します。

ある事柄に対して賛成か反対か自分の立ち位置を決めるとしましょう。たとえば憲法改正賛成!反対!でもいいし、原発賛成!反対!でもいいし、もっと身近なことでもいいので、何か思い浮かべてみてください。

ここで一番伝えたいことは、あなたが自分の立ち位置を決めた瞬間、あなたの反対勢力に対してどのような心情を持つか、この心の持ち方が問題となる、ということです。

反対勢力を抑え込もうとか、勝とうとか、説得しようとか、打倒しようとかいう気持ちが少しでもあるのならば、それは誤ったway of thinkingではないかということです……誤った、というと言葉が強すぎるかもしれませんが、上記のような考えが浮かぶ論理で行動する癖があると、結果的にあなたの思考の幅を狭めるような残念な方向に自らを導く行為になる、と申し上げたいのです。

あなたの理想論がどのように構築されてきたかは誰にもわかりません。そしてそれは、あなたの反対陣営にいる人も同じです。みんな理由があって賛成か反対をしているわけです。その理由に貴賎は無いし、価値の上下も無いのです。

ここで恐ろしい人間の弱さの一つが、決めつけや思い込みと言われるものです。この世界は相当に深いですよ。何しろ人間の脳の認知力なんてたかが知れてるわけですから。真理に近づきたかったらバイアスをなくすことです。つまりあなたが信条に忠実であればあるほど、信条に対する冒涜を働いているということです。

世の中には「100%正しい」ことは皆無です。つまり賛成反対どちらを取っても、メリットもあればデメリットもある。それは捉え方ひとつです。誰にとってのメリットで、誰にとってのデメリットなのかをまず考えてみることです。自分の立ち位置をどれだけ客観視できて、対立した考えを持つ人たちの立場をどれだけ主観視・客観視できるか、です。そしてあなたが賛成または反対するその議題について、求めている結果のマイルストーンはどこにあるのかという話です。

人はプロパガンダに弱い傾向がありますが、どんなに理想的に見えるものでもそこには必ず意図しない(期待しない)結果も含まれています。良い点にとらわれがちになってしまうことを避ける、つまりプロパガンダや洗脳といった強い言葉で表されるバイアスから、説得や交渉といったものに使われる細かいテクニックまである幅広い「他者をコントロールする目的の交流」に対して常にフラットであり続けるためには、あなた自身の視界をどれだけ広く持たせられるかが問われているということです。

相手を倒すのではなく、賛成・反対(あるいはそれ以外の第3意見)のいずれを取ることが、どう都合が良いのかという点を俯瞰できていなければ、自分が支持している意見が「負けた」ときに涙したり、悲観したりする羽目になるのです。英語の古い諺にある、Where there's a will, there's a way.を地でいけるかどうかです。そして自分が支持する賛成反対意見が通らなかったとき、それは決して悲しんだり憤ったり固執したり蒸し返したりするような類のものではなく、結果を受けとめてさらにそこから発展させることにこそエネルギーを使うべきなのです。

だからこそ、相手方の考え方を深く理解することが必要なのです。

突き詰めると、どっちでもいい、ということになるわけですが・・・。

この考え方の根底には、他者をコントロールすることを良しとしないという僕自身の基本理念があります。人は比較的簡単にLoveとか言いますけど、本当のLoveって人に自由を与えることで、コントロールすることってその対極だと思います。

右にも左にも意見が決まらない優柔不断でどこにも進めない人間になることを推奨しているのではありません。特定の問題について本当に踏み込んで考えるのだとすれば、ある議題における賛成・反対というのは常にゴールではありえない、ただの通過点であるということを意識できているかどうかなのです。それを頭でわかっていても実践できていないとき、人は「勝った」と喜び、「負けた」と悲嘆するのです。

決まったことを覆そうとするのは、かなり面倒なことです。それが世界レベルでたくさん起きているのは、現代の人類が執着心を強く持っている証拠だと思っています。

与えられた条件において世の中が向かっている方向を正しく見据え、反骨心や負けた腹いせや反動ではなく、いまある状況を公平に吟味して次のベストな選択へ進んでいく心の持ち方が肝要だと思うのです。

行き着くところは、どのように見える相手にも、愛すべきポイントを見つけられるかどうかという、個人的なところになってしまいます。それの積み重ねで世の中はできています。

高尚にみえるイデオロギーにこそ罠があるということに気付くことができれば、物事の本質が見えてきます。その見分けるポイントは、自らの行動原理に負の感情が少しでも混じっていないか、と自らに問い続けることができる純粋さだと思います。誰にでもあるんですよ。使わなくなっちゃった人が多いっていうだけで。

対立構造というもの自体が恣意的な捏造であり、その原理がわかれば対立はありません。これはまた別の話としてこんど書こうと思います。

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