解毒

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今年も残りあと1ヶ月半となってしまいました。今晩は68年ぶりに月が地球に最接近するスーパームーンですが、降水確率は60%。皆さんいかがお過ごしでしょうか。

今年の春から続く健康に関する一連の流れと、そこから考えたことについて書いてみたいと思います。

ことの始まりはとあるプロジェクト。無理ゲーっぽい目標と足りない支援で孤立無援に近い状態からなんとかチームを編成し、皆さんの善意に支えられながら、満足度60%ではありますが、なんとか厳しい戦いを越えました。4月から携わっていたのですが、それから3ヶ月間は光陰矢の如し。マシンのように働きました。それを支えたのは、「これはきっと自分にとっても会社にとってもプラスになる大切な足がかりになる」という自分勝手な思いです。

しかしそのプロジェクトも佳境に入り、いま思えばですけれど同時にストレスの蓄積もMAXに。8月には謎の足首痛に悩まされ、歩くこともままならない状況になりました。8月末にエントリーしていた札幌のフルマラソンは人生初のフルマラソンということもあり、春先に150kmの自転車レースを無事完走した自信もあったため個人的にはかなり期待していたイベントだったのですが、体調もモチベーション的もアウトな状態になり、残念ながら棄権。

それから業務のあり方、自分が本当に実現したいことについて瞑想や思考を重ねながら五里霧中を突き進む毎日。不定愁訴に悩まされ、対策を建てなければ前に進めないところまで追い込まれました。本やネットや人々の知恵を取り込みながら、考えたり捨てたりを何度も繰り返し、今まで簡単にできていたような仕事内容やプレッシャーに耐えられなくなっている自分に悩みながら、とうとう先月末から新しい働き方にシフトしはじめました。

夏頃から、長年保留したり試したり失敗したりを繰り返してきた禁煙というテーマにも真剣に取り組みました。納得しないと行動できないめんどくさい人間なので、タバコ、ニコチンと人類の歴史から、人体や思考に与える影響、健康面のイシュー、タバコに含まれる添加物や燃焼時に発生する物質について、タバコという習慣にかける時間の意義、嗜好品というジャンルについての考察、広義の依存とは何かについてなど、とことん自分の習慣について向き合い、そこで出した結論は、「悪習かどうかは結論付けられないが、タバコを吸うという経験にのみ頼っていては何も見えない」ということです。それで、禁煙することにしました。

習慣というものはとても深い。そこには必ず理由があり、その理由から目を逸らしたまま、習慣だけを排除しようとすると無理が生じます。そう思った経緯についても書いてみようと思います。

10月に禁煙をはじめてしばらくして、食生活の見直しもしました。ここ2年弱は自炊で食べるご飯はほぼ玄米でしたが、マクロビに詳しい友人の教えなどもあり、基礎体温を高めることで免疫システムが強化されるかもしれないという思いで、中医学的に言うところの「陽性」の食材をメインに、添加物や農薬にも気をつけた食事をはじめました。

禁煙と食生活改善によってだいぶスッキリしてきたと思います。しかしどうも決定打に欠けるし、なにより不都合だったのは、社会ストレスからはフリーになっていないのに、食べる楽しみや吸う楽しみなどをほぼ排除してしまったために、たまに無性にお菓子が食べたくなるのです。これを当時の僕は、タバコをやめたから食欲が増している(良い効果)だと勘違いしていました。禁煙すると太る、ってよく言いますよね。これはタバコの悪影響から開放されて本来の食欲に戻ったと勘違いしている人が多く、僕もその一人でしたが、あとになって思えば喫煙への欲求を食欲に転嫁していただけのようです。

こんな調子で、たまにお菓子などを食べるとはいえトータルで摂取しているカロリーや炭水化物も減ったのだから、健康的な体に近づいてもいいのに、なぜか腹回りはブヨブヨしたまま。むしろ太ってる!?

そこでたどり着いたのがデトックス。体内に長年の不摂生で蓄積した毒を排出しようと思ったわけです。手段はプチ断食。書店でたまたま目についた断食本に手を出して、1日断食ならばプロフェッショナルの手を借りなくてもできるということで、やってみたのでした。

すると何が起きたか・・・。

まず、2年ぶりくらいに風邪を引きました。あらら。

さらに、左足の親指から不穏な痛みが・・・。

8月に足首が痛くなったときと同じです。

実はこの痛み、人生3回目。

ネットで調べれば調べるほど、これは痛風であるとしか思えないのです。

タバコもやめて、お酒もほとんど飲まず、健康に気をつけていて、それで、痛風。

痛風について知っていたことといえば、「プリン体を摂りすぎると駄目」「尿酸値が高いと尿酸が結晶化して痛みにつながる」くらいです。

痛風が起きるタイミングとしてはおかしくないか?という思いのなか、まともに思考を集中させることもできないような痛みの日々が1週間ほど続きました。

どうしても外せない打ち合わせもあったりして、口にしたくなかった痛み止め(ロキソニン)にも手を出しました。ロキソニン、確かに効きます。正直、応急処置として存在してくれているのがありがたかったです。

痛風の痛みは、言葉で表すのが難しい。とにかく痛い。動いたり触ったりしたら当然、声も出ないほど痛い。でも、何もしてなくてもいたい。風が吹くだけで痛い。

 

ようやく痛風の呪いから解放されつつあり、さて自分が立てた健康化計画の中で風邪と痛風に悩まされてしまったのはなぜか?という分析をしてみようという気力を持つ程度には回復してきました。

いろいろ調べているうちに見えてきたことがありますので、ここに共有したいと思います。

まず、風邪に関する勘違いについて。ちょっと調べれば出てきますが、次のサイトを読んでいただければと思います。

そうです。風邪には、風邪の原因になったウイルスと闘っているというだけでなく、体温上昇して免疫システムがフル稼働したついでに、体内に溜まってしまった毒素を排出しようとする大切な役割があるというのです。

さらにこんな記事が。

そもそも痛風はなぜ起きるのか。

ヒトを含むヒト科では、進化の過程で尿酸オキシダーゼ活性の消失により難溶性物質である尿酸をより無害なアラントインに分解できなくなっている。

尿酸が体内に蓄積すると結晶化して関節析出し痛風発作を誘発する[1]

高尿酸血症の患者にきっかけが加わると痛風を発症する。何がきっかけなのか明確ではないことも多い。

ヒトが尿酸をうまく分解できないことはわかった。そして尿酸は、強力な抗酸化物質であるということも。

人体がなぜ酸化するのか、抗酸化作用がなぜ重要なのかについては上記の記事を読めばわかると思います。

さらに、抗酸化作用によってヒトの体は様々な恩恵を得ている。

様々な脂溶性の薬を服用していた期間が過去に長かったことから、想像できる仮説があります。

つまり風邪を引いたのも、痛風になったのも、不健康のもとである毒を体外に排出しようとするプロセスのひとつなのではないかと。

体温が上がらなければ免疫システムはうまく働かないし、脂肪燃焼もしない。蓄積した毒は排出できない。ここで痛風と風邪という、共通して「熱を出す」という病気が併発したことには、何か意味があるのではないか、と思うのでした。

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