真の自由は無条件

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「選択肢は多いほどよい」という近代の定説に心理学者・Barry Schwartz(バリー・シュワルツ)氏は異議を唱えます。様々な事例をもとに、選択肢の多さが逆に人々の幸福度を下げているとする自説を説きました。(TED2005より)

上記の記事を見る限り、人は自由になっても大した得はしないということです。なぜこのようなパラドックスが起きるのかというと、自由の定義、幸福の定義の問題であると考えます。

この記事において最善の選択とは誰かに与えられた選択肢の中から自分が欲しいものを選び取ることのようですが、自由とは与えられたものの中から何かを選ぶことではありません。

発想を逆転させたらよいと思います。

何かやりたいことがある、実現したいことがある。つまり、まずはじめに意思があります。それを実現させるために手段を考えます。

手段はもしかしたら与えられたものの中から見つかるかもしれませんし、見つからないかもしれません。見つからない時、どうしましょうか?それは自分で考えることです。無ければ作ればよいというのも1つの答えだと思いますし、諦めるという選択肢もあるでしょうし、与えられた選択肢の中から一番近いものを選ぶこともできるでしょう。

重要なのは、手段を模索するプロセスの中で原初の意思がブレてしまわないことだと思います。

選択肢や選択肢以外も含めて考える、それが真の自由です。そのため、自由には責任が伴うとよく言われるのです。ここでいう責任とは誰かに対して何かをするといったような重いものではなく、極めてシンプルに、自分がやったことの結果は素直に受け止めるということに過ぎません。

結果がどうあれ、それは自身の経験となります。達成できなければまた別の道を探すか諦めるか考えればよいのです。ここで多くの人が陥る罠があります。目的を達成できなかった時、それを失敗と決めつけてしまうことです。

失敗というものは実は存在しません。失敗とあなたが認めた時が失敗なのです。

この考え方が大切な理由は、人は結果の良し悪しを成功失敗と判断してしまうと、失敗に目を向けたくなくなるところにあります。成功失敗という分類であえて言うならば、本来は成功こそ目を向ける必要のないものです。なぜなら成功は何も問題がなく、次のステージに進む足場ができたということだからです。

うまくいかなかった時に感情的になるのは人だから避けられませんが、それを反動にしようとか無視しようとか、それこそまたうまくいかなくなる原因を自分で作り出すことになり兼ねません。

自由に考え、自由に行動し、自由に結果を受け止める。これが真の自由の定義だと思います。まだまだ書きたいことはたくさんあるのですが、今回はこのくらいにしておきます。

次に、幸福の定義について書きたいと思います。

冒頭の記事において、幸福の定義とは何かを手に入れること、つまり期待した結果を得ることにフォーカスしています。世の中の趨勢がそうであることを、今では僕も理解しつつあります。

ここで僕の幸福の定義、2016年バージョンを説明しますと、それはゴールにではなくプロセスにあるということです。人はよく物事がうまくいかなかった時に「大切なのはプロセスでゴールではない」と言ったりします。そしてまた別の意見として「でもなんだかんだ言ったって結果を出さなきゃ意味ないじゃん」というのもよく耳にします。実はこのどちらの意見も結果重視してしまっていることにお気づきでしょうか。前者は「結果を重視しているからこそ、結果を失敗と認めてしまっており、それに対する慰めのメッセージとしてプロセスの重要性を指摘している」。後者はまさに、結果が全てと言っています。

何かを獲得してこそ幸せ、というのは実はまやかしです。プロセスの中で我々はどれだけの活動をしているでしょうか。それこそが生きていることの印であり、そこで学ぶこと、関わる人々、すべてがあなたの人生の一部ですね。幸せがそこにあることに気づくことができるかどうかがポイントです。

人は余裕がなくなると主観的になりがちです。主観はもちろん大切な要素の1つですが、主観だけにとらわれてしまうと判断を誤る原因になるばかりか、今この瞬間の自分が「生きている」ことに感謝する余裕もなくなってしまいます。

正しい選択をして得する結果を得ることだけが幸せではないということです。選択をしている自分自身こそが幸せだということです。

僕がこんな話をわざわざブログに書くのは、自分が考えてることをひけらかすためではありません。

不自由のドグマ、不幸のドグマにハマって抜けられなくなってる人が、この日本には沢山いるからです。

もしかしたら日本だけではないのかもしれませんが、日本で暮らしているから他の国の現在はよく見えにくいです。

いま携わってる仕事は、チームメイトに日本人の方が少ない環境です。カナダ人、アメリカ人、中国人、フィリピン人、ハンガリー人、バングラデシュ人、スリランカ人、インド人、セネガル人、イギリス人、などなど様々な国の人と仕事をしています。

彼らと話をしていて常々感じるのが、日本の自由や幸福に対する偏りです。もちろん彼らは国際的な仕事に携わることができるエリート層ばかりなので、もっとローカルに根付いた人たちと話をしないと他国の事情は見えてこないのですが、それでも日本の異常性については他国の人たちに広く認知されている現状があるということだけ言っておきます。

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