不意の感覚

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最近ときどき不意に心の奥から懐かしいような安心感に溢れる感覚がグワッと湧いてきて、幸せに包まれる。しかしそのタイミングはいつも突然だし、長続きしない。

それはとても優しく温かく深いもので、子供の頃を思い出す。

人間は本来この充足感を感じて生きているもので、この感覚があってこそ、なんの躊躇いもなく前に突き進むことができるのだと感じる。

そう言った意味で僕はまだまだ病んでいる。本来なら楽しいはずの、ライフワークであるはずの『仕事』のことを考えるだけで胸が苦しくなる。

会社に行けば、みんなそりゃ優しい言葉もかけてくれるし、この歳だから期待も背に受ける。でも僕はそれを本当の優しさに思えない。傷の舐め合いのように感じてしまうのだ。僕は人に軽々しいことは言えない。でも本音を語るとみんなが面倒臭いという。

『あなたは面倒な人だね』

『あなたは話が長いね』

『私はそこまで今の仕事に命かける気ないし』

学生時代からそうだ。みんなが賛成してる意見に反対すれば面倒臭い奴だと言われたり陰口叩かれたり、しまいには教師まで僕を『説得』して迎合させようとする。納得は与えてくれない。説明するのもめんどくさいのかと思いきや、みんな説明できるほど深く考えてないだけだったり。

自分をうまく使ってくれる人を待ち続けるのはやめたほうがいい。そう、ずっと何かを待ってたような気がする。

自分で立ち上がるほうが早いし楽。

そりゃ僕だっていろんな人に支えていただいてるから今こうして生きていられるし、それが幸せの理由のひとつである。しかし、人に支えられるより人を支えるほうが楽しい。愛されるより愛したほうが幸せに決まってる。愛することは辛いことって言ってる人は、何かしら与えた優しさへの見返りを求めているのだと思う。僕も散々それで悩まされた時期があった。

僕はこのように考えることで幸せの原点に帰ってきたと思ってる。

冒頭に書いた、突然やってくるあの感覚こそが体全体で感じてる幸せなのだと思う。あれを僕は取り戻したい。

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