無意識のチカラ

この記事は約1分で読めます。

思うようにいかないと感じた時、思うようにいっている。
単に流れが見えないだけ。
わたしには見えていないものがたくさんある。
だから、思うようにいっているか、いっていないかなんて考えるだけ無駄なのだ。
すべては安心のもとにある。

幸せになりたいのではなく、すでに幸せ。
もしそう思えないなら、単純にわたしにはそう思えるだけのヒントが手元にないだけ。

心は病まない。シンプルに、まっすぐ伸びるために出来る限りのことをしようとするだけ。
草木が太陽に向かって葉を広げようとするように。
わたしが考えることのできる狭い世界感のなかでは到底気付くこともできないような、深い理由がある。
すべての点と点はあとでつながる。
人は無意味な行動をしない。
人は無意味に病になったり、無意味に突拍子もないように見えることをしたりしない。
すべて意味があるのだ。
一見、わたしとは無関係に見える出来事もすべて。

まっすぐ伸びようとするわたしを妨げるチカラと、まっすぐに伸びようとしていないわたしを正そうとするチカラを混同しないためには、希望と欲望の違いについてよく認識することが必要だけど、認識しようがしまいが、そのチカラの違いは感じられるはず。

不安や恐怖だけを見て避けようとしていたら見えてこない。
太陽がどこにあるのか見ずに闇を避けているだけでは、光を受けられる確信は得られないのだ。

コメント