銚子 喜久よし

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90近いというお婆さんがひとりでやってる旅館。窓を開けると銚子漁港の明かりが見え、凛とした静けさの中、遠く漁船のディーゼル音が漂ってくる。昭和のまま時間が止まったような部屋、裏路地。つげ義春の作品をつい彷彿させるような佇まい。
会計でお釣りの計算ができない婆さん。背筋はシャッキリとしているけど、動きが緩慢で話し方から見ても残念ながら少し認知症の症状が出ているように見えた。

認知症の残酷なところは、人の心は病んでないのに脳が、身体が、いうことを聞かないこと。ご本人はさぞかし歯がゆい思いだろう。

今年はめっきりお客さんが減った、もう旅館を畳もうかと思っている、と語る婆さんを思い出しつつ、そういえば少し前に泊まった銚子駅前のビジネスホテルも経営が大変そうだったなあと回想。

部屋も廊下も浴場も、隅から隅まで綺麗に磨き上げられている。あの婆さんがひとりで掃除しているのだろうか。

銚子には素晴らしい観光資源もあるし名産物もたくさんある。食事も景色も文句なしの一級品がたくさんある。そして都会にはない情緒があり、都心からたったの100キロしか離れていない。

犬吠埼の蕎麦屋のおばちゃんが言ってた。銚子の人はみんなで集まって熱くなれるんだけど、芯になる人がいないからせっかく熱しても形になる前に冷めてしまうと。

若い子持ち世代を中心に隣町の飯岡や利根川の向かいにある茨城の神栖市へ移住してしまう。子育て支援も充実しており、工場などの仕事もあるからだ。いまや市の公務員すら隣県から通う人が増えているという始末だ。地元に住み続けられるものなら住み続けたい、と後ろ髪を引かれる思いで銚子を去る人も少なくないだろう。

この街は漁師の町なのだ。

純朴で誠実な人たちが日々をまっとうに生きている。それが今の経済の流れに順応できていないだけなのだ。

そんな現実に押し流されそうになっている銚子の様々な素顔を見て、自分に何かできることはないだろうかと、この関東のとっぱずれにある優しい街を訪れるたびに思うのだった。

おそらくこんな現実を突きつけられている街は日本国内にたくさんある。

この街の元気はどうしたらうまく燃やせるのか。

人生は縁と縁で繋がったパズルのようなものだと僕は思う。

銚子とは縁もゆかりもなかった僕がこうしてこの街に惚れ込んでしまったことにも何か意味があると思う。

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