社会的行動

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かつて思っていた45歳のイメージと、実際になってみて感じる45歳の自分には、好ましい意味で、大きな開きがあった。

今の日本を、今の世界を覆う暗雲は解消可能だと強く感じる。ただそのためには、段階がある。全ての段階が重要であり、腑に落ちないまま次のステップに進んではならない。さもないと人は様々な憶測、つまり思い込みを頼りにするか、あるいは他人の言葉を借りて生きるしかなくなるからだ。

ここに、人が社会的行動をするにあたり、遡る形で必須条件を探るひとつの糸を例にする。

あくまでこれは、1つのやり方(糸)でしかないことを記しておく。

行動しなければならない。

行動するためには、行動への意欲を高めなければならない。

意欲を高めるためには、問題意識を持たねばならない。

問題意識を持つためには、正しく理解しなければならない。

正しく理解するためには、正しさを定義し続けなければならない。

正しさを定義し続けるには、常に自分と向き合う勇気がなければならない。

自分と向き合う勇気を持つためには、自己を否定も肯定もしない中庸を理解せねばならない。

中庸を理解するには、多面的な視点を持たねばならない。

多面的な視点を持つためには、物事を柔軟に捉えられなければならない。

物事を柔軟に捉えるためには、多様性のある経験を積まねばならない。

多様性のある経験をするには、溢れ出る好奇心を持たねばならない。

溢れ出る好奇心を持つには、否定的感情の出所を理解せねばならない。

否定的感情の出所を理解するには、肯定する勇気を持たねばならない。

肯定する勇気を持つためには、信じてきたことを疑う勇気を持たねばならない。

信じてきたことを疑う勇気を持つためには、他者の愛を信じなければならない。

他者の愛を信じるためには、他者を愛することができなければならない。

他者を愛することができるようになるためには、まず身近な人を愛することができなければならない。

身近な人を愛することができるようになるためには、まず自分を愛してやることを自分にゆるしてあげなければならない。

自分を愛することをゆるすためには、自分と向き合わねばならない。

自分と向き合うためには、自分との向き合い方を知らねばならない。

自分との向き合い方を知るためには、自るんと向き合うための勇気を持たねばならない。

自分と向き合う勇気を持つためには、自分の価値に気づかなければならない。

自分の価値に気づくためには、自己愛や承認欲求を捨てて、自分自身のありのままの姿を認識せねばならない。

自分自身のありのままの姿を認識するには、自分以外の情報、つまり常識を捨てねばならない。

常識を捨てるためには、全ての可能性に立ち向かう勇気を持たねばならない。

全ての可能性に立ち向かう勇気を持つためには、限りある命についての理解、つまり、死の恐怖を克服せねばならない。

死の恐怖を克服するためには、時間を利用して考えなければならない。

時間を利用するには、時間を確保しなければならない。

時間を確保するには、無駄なことをやめなければならない。

無駄なことをやめるためには、何が無駄なのか知らねばならない。

無駄を知るためには、優先順位をつけなければならない。

優先順位をつけるためには、自らの限界を知らねばならない。

自らの限界を知るためには、限界までやる経験をしなければならない。

限界までやるためには、ルールからの脱却をしなければならない。

ルールからの脱却をするためには、ルールの本質を理解しなければならない。

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