夜回り先生

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今日、水谷先生の「夜回り先生」を読んだ。
ちょっと前から気になっていたのだけど、やっと本屋に行けたので。
人間って、たったひとりだけを取り上げてみても、多面性があって、とてもじゃないけれど第一印象だけではその人は語れない。
僕は読み終わってまず、自分の父親のことに思いを馳せた。
自分が父親という存在を拒否し、拒否されたと信じて、あれからいくつもの年が過ぎた。
僕も30を過ぎ、昔と比べて色々と考え方が変わってきたということを、父親に対する思いの変化から感じることができる。
僕の父親は、教育関係者だ。学校の先生ではないけれど。
僕が父親を自分の心から失ってから、僕は常に父親を探していた。

時は経ち、いま僕は若者ではない。
若者が、僕らの世代を見て育っている。
水谷先生の本を読むと、現代社会の大人たちに対して絶望的な思いを抱いてしまうが、でも僕は若者たちに伝えたい事がある。
こんな世の中でも、素敵な大人は、たくさんいるんだということを。この世は絶望だけでできているんじゃないということを。
僕は、素敵な大人たちに巡り会うことができたから、今日まで生きてこられた。
愛をもって支えてくれる人たちがいたから。
そしてここに宣言する。僕は行動するということを。
行動する大人であるということを。
人はいつのまにか、自分が若かった頃の思いを忘れてしまいがちだ。
僕の若い頃に感じた憤りや悲しみは、危うく消えかけていた。嫌な思い出は、消してしまおうとする機能が、頭の中にあるようだ。
でもそれを水谷先生の本が思い出させてくれた。
行動することが大切なのだ。
勘違いされたくないが、僕はずっと、行動してきた。それだけは自信をもって言える。
失敗もたくさんしたし、絶望も何度もしたけど、立ち上がれる限り、失敗は失敗じゃない。
失敗に打ちのめされて立ち上がれなくなったときが、負けたときだ。
立ち上がれる限り、負けじゃない。
僕はいま、若い世代に僕の生き方を真似しろとはいいたくないけど、恥ずかしいとは思うこともない。
僕にとって次の行動は、勇気を持つことだ。
町中で見かける大切な花の種を、(悪い意味での)大人の目で見てはいけない。
自分がそうやって見られていたときの気持ちを思い出して、彼らに道を示してあげるのだ。
それが水谷先生のような教師がやるべきことだとか、親がやるべきことだ、といって、見て見ぬ振りをするのはやめた。それは、結局自分が関わりたくないから逃げているだけなんだ。
僕らの世代には、腐った大人だけじゃないんだということを、若い世代に伝えたい。
独りぼっちで、ギリギリのところを生きている若者たちに、君はひとりじゃないんだよ、僕らが待っている、君たちが成長して僕らと一緒に世界を作って行くのを楽しみにしている、と、伝えなければならない。

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