子供たちと向き合う

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水谷先生が講演で言ってた言葉より。
タバコを吸っている子供を見かけたら、勇気がなかったら声をかけなくてもいい。彼らから目をそらさないでほしい。
5分でいいから、悲しそうに見ているだけでいい。怖かったら、離れた場所からででも。
これが5人、10人、50人と増えていけば、絶対に世の中が変わる。

――大人は理想をすぐ否定する悪い癖がありますよね。
これって、大人になっていく上で「理想」は理想にすぎないんだ、現実化するなんて無理だ、と気付く、と言う方がいますけど、それは間違いだと思うんです。
本当にみんな挫折してるんでしょうか。
理想を求める前に「どうせ無理さ」と、諦めてしまっているだけの人が大多数だと思うんです。
本当にやってみて挫折した人は、ほんの一握りではないか?

そんな事を考えながら、先生の話を消化していたら、理由はわかりませんが、よくTVで見るアフリカや中国奥地の少数民族の映像が頭に浮かんできました。
彼らの住む部落?村? そこに非行少年は、いるだろうか?
テレビだから映し出されていないだけ?
いや、違うだろうな。
きっと非行少年はいないだろうな。
村の全員と顔見知りの社会。
そこには、夜の社会もない。

アフリカや中国奥地のビジョンから、日本の繁華街へイメージを戻すと、明らかに異常事態だということが、リアルにわかりませんか? 僕はとてもリアルに感じました。

そして、日本において僕がイメージする繁華街の数々――僕がイメージするのはどうしても生活上よく見る場所、例えばJR津田沼駅周辺などになってしまうんですが――それらの場所に深夜、子供たちがしゃがみこんでたむろして、家に帰らない。
この子供たちが一切いない、夜の駅前。これをイメージできないとすれば、それは、「実際には無理」だからではなくて、「大人の想像力とパワーが足りなすぎる」せいだと思います。

想像してみましょう……。

夜の繁華街に子供が全然いないのが当然だったら?
そこに子供がひとりだけ、歩いていたら違和感がある。
その違和感が無い現在の状況がおかしい。大人の異常。誰も声をかけない。
夜の子供達は、少しずつ、少しずつ増えてきた。
それが当たり前になってきた。
今じゃ、声をかけるときに大人のほうが恐怖を感じてしまうくらいたくさんいるのでしょう。
その先はどうなりますか?

怒るんじゃなくて、心配する。心配じゃないですか?大人のみなさん。
「心配しろ」って強制できるもんじゃないですが。
心配できる心は、誰の中にでもあるはず。
自分の子供がいない僕の中にだってあります。
そんな心をもっと育ててあげたらどうでしょうか。
1週間に10分間でもいいと思います。その時間だけ、自分以外の人や、子供達の未来について考える。
子供達は、たとえ自分の実子じゃなくても、未来の希望だと思いませんか。
仕事をしているあなたが週末、同僚と飲んでちょっと遅くに帰ってきて、自宅の最寄りの駅前で子供達を見る。
ギターを持って地べたに座り込んで歌っている子もいれば、それを取り囲むように座り込んでタバコを吸ったり携帯をいじってる子がいる。
ベンチで騒いでいる子もいれば、閉まった店の前でただ座ってボーッとしている子もいる。
そこを早足で通り過ぎていくということは、後回しにしているということです。
気がつきませんでしたか。僕も気がつきませんでした、以前は。
でも今は気付いてます。
あなたも、もし今気付いたのなら、今から考え方を変えてくれたら嬉しいです。

社会人のあなたは、自分が今日中に片付けなければならない仕事を、「明日にしよう」と言えますか?
明日になったらまた、「明日にしよう」と毎日毎日延ばし延ばしにしたら、あなたの社会人としての人生はどうなるでしょうか。

あの子供達を避けるということは、仕事を延ばし延ばしにしているだけ。
延ばすためのとってつけた理由も、もうとっくに出尽くしました。
あとは、溜めた仕事を片付けるか、退職して首をくくるかしか、残された道がない。
溜めた仕事を片付けるのは、とても大変ですね。
でも、溜めてしまったんだから仕方ない。
だれの責任?
僕たち、大人です。
社会全体を大きな会社として捉えてみれば、誰が解決すべきかわかります。
できない大人の尻拭いは、できる大人がするしかないんです。
できない社員の尻拭いを、できる社員がするように。
決してその尻拭いに、不満を漏らしてはいけないと思います。
できなかった社員の尻拭いをしているんじゃありません。
その尻拭いをしないと、困るお客さんがいる。困る会社がある。自分も困る。
それだけです。
でも、みんな逃げてしまったら、どうなるでしょう。
倒産ですね。公務員でもない限り、潰れます。
いまの社会は、そんな状態ではないでしょうか。

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