教会で退院祝い

この記事は約7分で読めます。

なんとも不思議なタイトルですね(笑)
先日入院していたとき、お隣のベッドには我が家から車で10分ほどの場所にある、福音派(プロテスタント系)の教会の牧師さんでした。なにしろ入院というのはすることが何もなくて、話をする以外には読書くらいしかできることがないのです。

※プリペイドカード式のTVもあったのですが、カードを1000円で買って、結局10円分しか使いませんでした。もともとあまり好んでテレビを観るほうではないのですが、入院して穏やかな生活をしていると、最近のバラエティ番組にひどい違和感を感じるのです。スピード感というか、焦りのようなものを観る側の僕が感じてしまうのです。(満員電車に乗っているときと同じような不安を感じてしまうのです)
(余談ですがこのプリペイドカード、売店の前に精算機があって、そこに入れたら未使用分のお金が返ってきました)

牧師さんと色んな話題で盛り上がり、すっかり意気投合してしまったのでした。
その牧師さんがいまから40年前、イスラエルのヘブライ大学に単身、留学に行ったときの話を聞いたり、僕がインドで接したヒンドゥー教文化の話をしたり、宗教以外にも政治、文学、歴史、生活、趣味と色んな話を、お互いの体調が良い限り長々としていたのでした。
ところで、教会もIT化の波には逆らえなくて、海外に宣教にいった牧師さんと連絡を取るためにEメールを使ったり、教会のホームページを作ったりするのに悪戦苦闘しているそうです。
前置きが長くなりました。先日そんな牧師さんが退院なさったとの連絡を受けて、入院中に「ふたりとも退院したらお互いの退院祝いをやりましょう」なんて約束をしていたのですが、それをやりましょうという話になりました。
牧師さんは今回の入院で前立腺を除去する手術を行って、これからしばらくは毎日1.5~2リットルの水分を摂るように看護士さんに言われて肩を落としている姿を見ていたし、コーヒーが好きだと伺っていたので、コーヒー豆を数種類お店で挽いてもらって、手土産にして教会(教会の上にお住まいがある)にお伺いしたのでした。
牧師さん夫婦は食事を用意してくれました。ご年配なので和食かなと(理由はないけど、年配の方は和食が好きという方が多いので漠然と)思って行ったのです(誤解のないように書いておきますが、僕は和食大好き)が、出てきたのはびっくり、カルボナーラのパスタと、茄子とトマトのマリネ(アンチョビ入り!)、海の幸で出汁を取ったスープ。どれもおいしかったです。食後にはりんごにアイスを添えたデザートと、ドリップしたコーヒー。(僕たちの年齢に合わせて作ってくれたのかな?)
ここでも時間を忘れて話が盛り上がってしまい、気がつけば夜の9時半。
本当においしいごちそうと、楽しい時間をありがとうございました。
自分でも意識していなかったのですが、牧師さんと話していて気がついたのが、いままで僕はキリスト教に接する機会が、(キリスト教信者ではない)日本人にしては結構多かったのかなということです。
まずキリスト教を最初に知ったのは幼稚園。キリスト教(エスコラピアス修道会)の幼稚園に通っていたんですね。園内に教会があって、シスター(修道女)がたくさんいませいた。ここで毎週、聖書のお話を聞いていたのです。クリスマス会の出し物では、キリスト生誕の劇で三人の王様のひとりをやったり。
ここで知った聖書の話とか賛美歌が、後々思わぬところで役に立つのでした。
その後普通に公立の小学校と中学校を卒業し、高校時代に米国に留学。最初のホストファミリーはプロテスタント系の教派、メソジストの熱心な信者でした。キリスト教の信者でない僕を毎週日曜学校に通わせ(!)、クリスマスには聖歌隊に入らされて(!!)、ピアノがちょっと弾けることがバレてからは、なんとまあ教会で聖歌隊のピアノまで弾かされた(!!!)という、当時にしてみれば聖歌隊のあの天使のようなスモックを着るのがとっても嫌だったのだけど、今思えば貴重な経験ですね(笑)。ここで、幼稚園のときに「刷り込まれ」た知識が役に立ったのです。だって、アダムとイブの話とか、あっちなら幼稚園児でも知ってることなんですよ。聖歌もほとんど知っていたのは幸いでした。ただ、僕が知っていたのは日本語の歌詞だったので、英語の歌詞を覚えるのにとても苦労した思い出があります。
次にお世話になったホストファミリーは、やはりプロテスタント系の、バプテストの一家でした。どこのお家でも、日曜は家族そろって教会に行くわけです。こちらでも毎週お世話になりました。牧師さんの説教も、ときどき、またはほとんど、何を言ってるのかわからないままに毎週聞いていました。最初は周囲の人に合わせて立ったり座ったりアーメンと言ったり、目立たないようにかなり気を使いましたが、だんだん慣れてくるものです。このときのホストブラザーであり学校のクラスメイトだったCharlesは、ヘヴィメタとパンクが大好きで長髪の悪ガキだったのですが、彼も教会に来るときちんとお祈りをして、献金をして帰ってくる、その姿に大きな驚きを覚えたのは、忘れられません。
大学??僕は大学を卒業していないのですが、入学はしています(笑)。大学も、そうと知っていて選んだわけではないのですが、ミッション系というやつでした。(またまたプロテスタント系!)
神学の受講が必須で、しかもそれが土曜日にあるのでした。神学のために土曜日学校に行くというのは、遊び盛りの大学生にとっては辛いものです。受講が嫌ならば、受けない方法があります。それは、週に一度のボランティアに参加するというものです。こちらは平日です(笑)。
僕はというと、中退するまでの間、せっせと神学を受講していたのでした。
それからもう一つ忘れていました。小学2年生のときに両親に「ボーイスカウト」(小学生はカブスカウト)に放り込まれてから、惰性で高校卒業(シニアスカウト)まで続けていたのですが、このボーイスカウトというやつには、多岐にわたるさまざまな資格のようなものがあるのです。たとえば「ロープ結び」であれば、様々なロープの結び方を学んで、テストを受けるのです。それで合格すると、バッジがもらえます。布製のワッペンです。これをボーイスカウトの制服の肩口に縫い付けていくわけです。たくさんバッジを持って、袖に縫いきれなくなると、専用のたすきに縫い付けるようになります。まるで昔の軍隊のお偉いさんが、勲章をたくさんひっさげている写真ありますよね、あんな感じです。
そんな数ある資格のなかに、神道とか仏教とかキリスト教なんでものがあるのですが、それを全部持っています。まあこれを持つようになった経緯は自慢できたものではなくて、僕が所属する団「○○市第○○団」は、素行が悪いことで有名だったのです。そこでうちの隊長さんが「お前らは本当にたるんでるから、全部とってこい」という命令を受けまして、教会やらお寺やら神社に泊まり込みで、ボランティア活動をしたり説教を聞いたり座禅を組んだり、ゴミ掃除をしたり、教えについて学んだりしに行った訳です。修行中は外出禁止なのですが、それはまあ守られるはずもなく、先輩に「お前近所のコンビニに行ってこい」なんて言われると逆らえない完全に軍隊と同様な上下関係の団だったので、夜中にこっそり抜け出してコンビニに行ったりするわけです。パシリですけど、イジメとは違いますよ。代々受け継がれて行くんですよ。後輩はいずれ先輩になるという。そういうやつです。
ある時はド田舎のお寺に送られたわけなんですが、そんなときなんて、近所のコンビニなんてっていっても歩いて1時間近くかかるところにあるわけです。そこまで後輩同士2~3人で息を切らせながら、懐中電灯で暗闇の参道を照らしつつコンビニまで行くのです。やっとの思いで辿り着くと、コンビニはとっくに閉まっているんですね。当時は当たり前のことだったんです。田舎のコンビニなんて夜中に開店してるほうが珍しい時代だったんです。夫婦で経営してたりしてね。セブンイレブンは、その名の通り7時に開いて11時に閉まっていたのです。
だからといって手ぶらで帰れないので、自動販売機でジュースとか、時にはお酒とか(背伸びしたい年頃だったので)買って行くんですが、自動販売機っていうのは、どんなにたくさん購入しても手提げ袋をくれるような気を利かせてはくれないので、買ったものをシャツとかジャンパーなんかにくるんで持って行くんですね。
そんな怪しいものを背負って、また懐中電灯を付けて山道を登ってお寺に帰って行くと、そこに鬼のような顔をした住職さんが待ち構えているんです。
「お前ら何をしに寺に来たんだ、もう帰れ!」と。
なんだか話がだいぶ逸れてしまいました。このへんでやめておきます……。

コメント