Recent life

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 それまで思いも及ばなかったような哲学的なことを考えてしまったり、過去に経験したことがないほど精神が研ぎすまされたような感覚になって、自分でもハッとしてしまうほど論理的な思考ができたりする。そして次の日は一日中霞がかかったような状態で、記憶の映像が古い白黒映画とか微かに色のついたセピア色のような感じで、端のほうが白濁している。霞んだ精神状態は主観的に確認できないので、晴れ渡って初めて曇っていたことがわかる。薬のせいなのか病気のせいなのか知らないが、この高揚と沈降の反復はとても疲れる。そして生み出されたものは無為に闇の中へ失われていく。

 最近、自己の再構築あるいは漸進する自分自身を第三者的に俯瞰するという偶然の体験をし、自己というものはひとつのシステムのような自我の下(上?)に感情とか機能とかのサブシステムみたいなものがあり、それがうまくつながって全体を成しているということがとても強く実感できた。私にとって本来あるべきところにサブシステムがないことと、それらのつながりがうまく制御できていない。こういう書き方をすると人体は機械ではないと批判されそうだが、私が言いたいのはそういうことではなく、たとえの話だ。これ以上うまく説明することができない。

 いまの私は人と話すときも文字を記すときと同様に、句読点の間に様々なドラマを抱えて生きている。この事実が異常だと感じる。一句話して、息継ぎをする間に様々な感情が私を襲う。
 希望と絶望、快楽と苦痛、喜びや憎しみや悲しみや憤りや安らぎが葛藤して、計算機のイコールを押したときのようにバチッと結果を出す。その結果が絶望であれば次に私を襲う感情は絶望感で、喜びであれば私は笑顔で会話を続ける。

 人と話ができるようになったのも偏に周囲の皆さんの高配の賜だと感謝してやまないが、話をしている最中に突然ぷっつりと糸が切れたようになってしまう現在、まだ皆さんに元気な姿を見せられる状態ではないと思う。
 仕事のこと、人のことを考えるのをやめるというのは当初苦痛だったが、いまは人や仕事のことが様々な感情サブシステムに不本意な形で結合しているため、悲しい思いや絶望を感じてしまうことがあり、それは現在の私にとって非情に辛いことなので、あまり人や仕事のことを考えないようにした。薬がそれを助けてくれていることは確かだ。
 現在服用している薬は、三環系抗鬱薬と睡眠剤。食欲に関しては食べる量を調節できない。まったく食べなくても問題がないし、食べ過ぎて嘔吐してしまうこともある。
 運動をしていないので嘔吐しないと体重維持できないという気持ちもあって嘔吐しているのかもしれない。
それより問題は睡眠で、いま2日に1度しか眠っていない。それ以外は、昼寝もうたた寝もせず、完全に覚醒している。
うとうとすることもない。
 気づいたのは、「しなければならない」という思いに追われているということ。
 正確には、健康なときからずっと追われていて、今も追われている。
 仕事に追われているというのは仕事そのものに追われているわけではなく仕事をする理由に追われていて、時間に追われているというのは時間を消費する全てのもの(仕事だけでなく趣味の時間も含めた時間)に追われている。
 どれもごく当然のことだが、私の場合は性格上、白か黒なのだ。これらを遂行できる能力を有するべきなのが自分という存在であり、それを遂行できないという選択肢が無い。
 遂行すべきものが遂行できないということは、人生の目的を達成できないということになる。つまりは、死に値する。
死について考えるとき、人は生きる意味について考える。自分が生きる理由について考える。
 生きる理由に照合して追われるものを分析すると、半分は物質的なものに追われていることがわかる。残りの半分は人生の目的と呼べるものだし、これに追われるということにストレスは無い。ストレスの原因は前者にある。
物質的なものにはほとんどの場合、金銭的なものが関係する。それは私が資本主義社会の一員として生活をしているからだ。しかしこの物質の追われた生活をしていると私の精神が破綻する。企業も個人も金銭を目的のひとつとすることには何も異議がないが、金銭を「第一の」目的にすることは私の精神を破綻させる。行動には原理が必要だが金銭が第一原理になることはなく、自分の生きる役割を全うしているかどうかが問題なのだ。

 これまで私はそうした葛藤のなか、綱渡りかもしれないがうまく自分を生かしてきた。そして健康な一般の社会人として、騙し騙しなのかもしれないが現在ほど内面的な問題が露呈することなく暮らしてきた。少なくとも、そうしようと努力してきて、実を結んできた。
 今になって考えてみると、今までに問題が出なかったことが奇跡だったのかもしれないと思う。
 私は様々な原因を抱えている。
 主治医は、カウンセラーを否定した。私の病気は薬でほぼ100パーセント治ると言われたが、私は知っている、それだけでは寛解することはできても治癒することはできない、麻痺することはできても安寧を知ることはできないと。

 そして私は、私の知らない自分自身もたくさん抱えている。

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