学校にいこう!?

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自分は大学中退、社会的な学歴でいえば高卒と同等。

この業界に入ってからというもの、転職をするごとに一緒に働く人たちの学歴は高くなるばっかりで、現在の会社でも、その前の会社でも、バックオフィス以外の部署で大学を卒業していないのは自分だけだった。
その前にいた企業でも、自分が所属していた部署で高卒は自分だけ。
まあ、逆に言えば、高卒でも同じ仕事してるよーん!って自信になってたんだけど!
 
「大卒は院卒にコンプレックスを抱かないが、高卒は大卒にコンプレックスを抱く」といわれているそうです。ほんとかな。
自分を振り返ってみると、まあコンプレックスがないかといったらこれがまた悲しいことに、とってもたくさん、ある。あった。
気にすること無いよ!ってたくさんの人に言われ続けてきたし、自分でもわかっちゃいるんだけど。
とくに、自分が選んできた会社はみんな、学歴なんかほっとんど気にしないで、実力で評価してくれるし。
実力がなければ首がスパーンと簡単に飛んじゃうところばっかりだけどw

学歴といえば忘れられないのは、あからさまに差別を受けたことである。
しかも一度じゃないんだな。何度もある。この世に学歴差別意識がまだたくさん残っているということだ。
まあ差別をするのは、たいてい学歴以外に自慢できることがない寂しい方々なのだけど。

たとえば――ある会社に、Nさんという先輩がいた。
自分より2つ年上のNさんは、日本の最高学府であるT大学を卒業後、某大手国内企業にエリートとして入社。その後シリコンバレーで働いた経験もあるということで、ぼくと同じ外資系の会社に転職してきた。高待遇で。
シリコンバレーで働いていたくせに、英会話がまるっきりダメな人でしたが。
勤務態度は悪く、落ち着きもなく、責任感もない。ギャンブルとか女とか、どっちかというとぼくが毛嫌いするようなことが大好き。

ある日、Nさんが担当していたプロジェクトで大変なミスが発覚し、みんながNさんを探した。
しかしその日、Nさんは恒例の社長出勤のため、会社にいなかった。連絡もつかない。
結局Nさんが出社してきたのは、午後も3時をまわってからだった。
そのため、お客さんも含めて周囲はカンカンになった。Nさんはプロジェクトを外され、その代役として、自分が後処理を任された。
それ以来、何かにつけて自分に敵対心を持つようになったらしい。
ある日Nさんが、ぼくがある日出したメールの文法がおかしいと指摘してきた。
「英会話っていうのは体で覚えるものかもしれないけど、文法とかそういった知識は、きちんと大学出てないと分からないものかねえ」
と、言われた。これが、はじまり。
ある別の日には、とある仕事の分担を決める打ち合わせのときに、
「大学も出てないような人にはこんなこと任せられないなぁ」
と、あからさまに言われた。
仲良しグループの数名と一緒に、言葉によるいじめも受けた。飲み会の場とかで、言いたい放題なわけだ。まあここでは割愛。
そういう人たちを見ても「かわいそうな人たちだなぁ」としか思えないわけだし、そういう人たちがいたからこそ、逆に大学なんて行ってたまるか!みたいな気持ちもあった。
もちろん、大卒、院卒で学歴なんか全然気にしない人や、尊敬に値する人もたくさんいるのですが。ていうか、Nさんみたいなタイプは稀なのは、分かっています。
しかしNさん以外にも、(自分が大卒じゃないのに言うのもなんだけど)たいした大学出てるわけでもないのに、大学のご自慢と、ぼくが大学を中退したことに対する誹謗中傷が何度もあったわけ。
いつのまにか、そういう人たちはフェードアウトしていったけどw
志の高い社員のあつまる会社には、そういう人、少ないです。

まあ、そんな経験とは関係なく、大卒、院卒に負けてたまるか!みたいな気持ちで今まで頑張ってきた。
仕事ができる人間になるか、できない人間になるかは、どんな学校に行ったかとかどんな学生生活を送ったかということだけでなく、社会生活も含めた期間で、どれだけ向上心をもって努力してきたかとか、どんな経験をどんなモチベーションで積んできたかといったことのほうが大変重要なのである。と、思う。
なので、社会人として向上できる機会があるんだから、いまさら大学にいく必要なんて無いとずっと思ってきた。

しかし20代後半になった頃から、これはもしかしたら大学に行かないといけないのかもしれないと思う機会が増えてきた。
自分はいままで現場での経験や独学によって人並みに技術者と呼ばれる仕事をなんとかやってきたが、それらの経験や知識を結実させ、体系づけて消化するためのひとつの方法として、大学や大学院に行くのは悪い選択ではないと思うようになってきたのだ。
また、自分の可能性を確認したいというか、挑戦するひとつのターゲットとして、仕事をしながら大学を卒業してもいいのではないかと思うようになった。
もちろん、自分の中で鬱々としたコンプレックスがあるのなら、そういったこともいくらか解消できるのかもしれない。

高校のとき1年間米国に留学していたのだが、そのときあちらの高校の国語(つまり英語)を担当していたK先生という、とてもよくしてくれた先生がいた。その先生には進路のことで色々と相談にのってもらったものだ。
最初のホストファミリーには、結婚してミシガンで暮らしている息子がいた。ミシガン大学出身で、一度彼に会うためにミシガンまで遊びに行ったことがある。そのとき見せてもらったミシガン大学のキャンパスの大きさには度肝を抜かれた。
こんな大学に行きたい!と思っていた。
K先生によれば、ミシガン大学もいい大学だけど、理系の学部にいきたいのなら、UCBやMITも十分狙える内申を出せると言われた。もちろん、死に物狂いで英語の勉強をしなければならないが。
しかし!お馬鹿なぼくは、帰国を選択してしまった。
MITは学費がとんでもなく高い。
UCBはまだ安いとはいえ、日本の大学に行くことに比べたら、かなり高い。
実際にはいろんな選択肢があったので、そういうことをきちんと調べもしないで諦めた自分が悪いのですが。
当時のウチはそんな金を払える状況ではなかったし。
こんな経験があると、「あのとき大学いっておけばよかった!」なんて気持ちになることもあるわけです。

そんな過去に決別をすべく、大学にいってみようかなんて考えてみたりしている今日この頃です。
というか、学びたいことがあるのですが。
マーケティング理論です。

はい、長くなったので、今日はここまで。

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