ダブルバインド

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国府台

今週末は、2年ぶりのTOEIC受験。
いつも会場に「千葉県」を指定するんだけど、市川の国府台にある千葉商科大学。
毎回、なんて不便なんだろうと思う。
千葉商科大学の隣に、国府台病院の国立精神・神経センターがある。
そこへ、だいぶ昔に通院したことがある。
いま思えば解離性健忘か解離性遁走ってやつだ。
まあとにかく、記憶をなくした期間があったことがあって、親と一緒に行ったんだけど、ろくに診察もせずにヒアリングだけで異常なしと言われた思い出が。
で、記憶なくしたのも嘘なんだろうという話になって、悲しかった。
記憶なくしてることってね、本人が一番疑ってるよ。
だって記憶をなくしたっていう記憶がないんだから。
でも1日とか、すっぽり記憶がなくて、こりゃ客観的事実からみてもどうしても記憶が抜け落ちてるとしか思えないんだよなー、と、ようやく納得せざるを得ない状況になって、そこで「嘘でしょう」なんていわれちゃって、正直なんて答えたらいいのか分からなかった。
あのときに問題をつかんでいたら、後々もっと楽だったなーなんて、ふと思い出しちゃった。

iPod U

とても基本的なクラスしか無かったりするんだけど、生の英語を聞く訓練にもなるし、結構ためになる内容も多い。いまはStanford UniversityとUC BerkeleyのComputer Science関連のクラスを聴いてます。
しかし自分が仕事してる分野の言葉って結構聴こえやすかったりするから、ほかの授業を聴いたほうがいいんだよね。たぶん。
TOEICも控えているし、とにかく左耳の聴力がほぼゼロなので、リスニングに関しては力が入ってしまう。

Picture books

絵本をたいせつなものとして捉えることができる人は、かなり幸せだと思う。
絵本は、遺伝情報以外に記憶や経験の伝達手段を持たない人間が創造した、
人間の寿命よりもはるかに長い時間を伝わる情報、「書物」への入り口だと思う。
そして、情緒の源だと思う。
なくしたくない心、育みたい心がたくさん、簡潔に表現されている、そんな絵本が好き。
感動でむせび泣くような本や、親に都合の良い教育的内容がある本や、結局なにが言いたいのかわからないものや、絵ばっかりでストーリーがないものがたくさんあるけど。
絵本作家というのは、ものすごく大変な仕事だなと思う。
児童心理学や社会心理学、このあたりも重要だと思う。
最近は、大人向けの絵本も当たり前に見られるようになりましたね。

Double bind

この世でいちばんおそろしいもの。きらいなもの。
つぶれてしまうもの。ストレスになるもの。
身の回りの人たち(とくに子供たち)に対して、ダブルバインドがないかどうか、常に気をつけてください。

Double bind is a communicative situation where a person receives different or contradictory messages.
The double bind is often misunderstood to be a simple Catch-22 situation, where the victim is trapped by two conflicting demands, the difference lies in how they are imposed upon the victim, what the victim\'s understanding of the situation is, and who imposes these demands upon the victim. Unlike the usual no-win situation, the victim is largely unaware of the exact nature of the paradoxical situation he or she is in. This is because a demand is imposed upon them by someone they regard with respect, and the demand itself is inherently impossible to fulfill.

ダブルバインドとは、人が、異なるまたは矛盾したメッセージを受け取るというコミュニケーション上の状況のことです。
ダブルバインドは、ふたつの矛盾する要求によって抜き差しならない状況になる、といった単純な板ばさみ状態(Catch-22 situation)とよく誤解されますが、要求が犠牲者へどのように課せられるか、犠牲者が状況をどのように理解しているか、そして誰が犠牲者に要求を課すかという点において異なります。通常のジレンマ的状況(no-win situation)と違い、犠牲者の多くは彼(または彼女)の置かれた矛盾した状況の本質に気付きません。これは、要求が犠牲者の尊敬する人から課されており、要求自体は本質的に実現不可能であることに理由があります。

【例1】
母親が子供に「おやつを食べなさい」といいます。
子供は大喜びで、テーブルの下にまでお菓子のくずをこぼしながら食べています。
それを見た母親が、「そんなにこぼすなら、もうおやつはあげない」といいます。
子供は、こぼさないでおやつを食べることなんでできません。

【例2】
父親が子供に、「分からないことはいつでも何でもお父さんに聞きなさい」といいます。
しかしある日曜のこと、子供が父親にわからないことを教えてもらおうと思って尋ねると、父親は「お父さん、昨日遅くまで仕事してて疲れているから、あとにしてくれないか」といいました。

【例3】
部下が仕事でミスをして上司が注意した。
「どうしてこんな大切なことを報告しなかったのだ」
それから部下は、いままで自分の判断でやっていたことも、上司に報告するようにしました。
すると上司は、「どうして何ひとつ自分で決めることができないんだ」といいました。

【例4】
「家でいい子にして遊んでいてね」といって、両親が出かけていきました。
子供が家で遊んでいると、両親が帰ってきて、母親が言いました。
「どうしてこんなに散らかしたの!」
それを聞いた父親が、今度は母親に向かって言いました。
「怒鳴るんじゃない!」

Attachment

ジョンレノンも言っている。All you need is love.
ほんとだよね。
It's important to produce secure attachment of the child to its parents.

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