支援について思うこと

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昨年11月、空腹状態のホームレスの女性(70才)が市役所に運び込まれ、路上で寝かされ、市が与えた乾燥米を開封することもなく、職員らに取り囲まれたまま、心不全で死亡した。

| 毎日新聞

生活するのに困らないレベルの私たちが、弱者に対して何か支援できないだろうかと、こういった事件をきっかけに考える。

どんな支援でも起きがちなことなんだけど、支援して一番腹が立つのは、本当にその支援を必要としている人たちが支援を受けられているかどうかだ。

こっちは、本当に八方塞がりの人を助けたいのだ。

たとえば、ホームレスといってもいろんなレベルがある。

ブルーシートで立派なテントを作り、DVDプレイヤーやテレビまで持っているホームレスさえいる。せっかく支援団体から自立のチャンスをもらっても、ギャンブルや酒がやめられなくて元に戻ってしまう人だっている。(依存症であれば治療する必要があるわけで、治療せずに間違った支援をするのは無駄)

また、このニュースのように餓死する弱者がいる一方で、生活保護で毎月十数万円受け取って、働かなくてもお金がもらえるからという理由で、働かない人もいる。

どこの国とは言わないが、地震と津波が国中を襲い、たくさんの人が死んで、住む場所を失った。日本では募金が行われ、大金が集まった。
しかしそのお金がその国の政府へ届けられた後、ほんとうに復旧のために使われたかというと、NOだ。
政治家のポケットに入ってしまった。

ほんとうに支援したい相手を支援するにはどうしたらいいか。

自分で実際に直接、活動するしかない。

たくさんの日本人が、世界中のいろんな場所で頑張ってる。
インドにもたくさんいる。
僕らがIT関係の仕事で訪れるような、大都会のピカピカのビルやホテルではなくて、都心から何時間もかかる山奥の小さな農村にも、日本人は居る。
そして、生活、医療、教育の向上のため、日夜苦心しているのだ。

友人のひとりが、いま西アフリカのブルキナファソで、村の人々に衛生の指導をしている。
別の知り合いは、電気もガスもない小さな村で、世界中のために、木を育ててる。
むかし一緒にプロジェクトをすすめたエンジニアの知り合いは、今はカンボジアの人たちのために、現地で頑張ってる。

国際支援することと比べたら、ホームレスとか、子供たちとか、老人とか、障害者とか、国内の弱者はずっと身近なんだよなあ。

24時間テレビで財布ごと募金するよりも、有効なことがあるに違いない。

そしていま自分はたまたまだけど、インドという不思議な国と深く関わる仕事をしてる。

なんかね、いいアイディアが浮かびそうなんですよ。でもまだ。

とりあえず今できることは、

自分の家の前に、空腹で倒れているホームレスを見つけたら、おにぎりを差し出す、そんなとこだ。生米ではなく。

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