最後のひとりになったって

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上司との考え方や意見の相違、いろいろあった。
転職エージェントにも登録し、仕事も紹介してもらいながら、疑問を感じた。
今までの自分なら、間違いなく疑問も持たずに次の仕事を探していただろう。
転職するなら、動機には事欠かないはずだ。
自分以外の日本人社員は、全員辞めてしまった。インド人の社員すら、辞めていっている。
自分が入社した当時からいる社員は、ひとりだけだ。その彼も、2年後には帰国するからという理由があって、残ることを選んでる。
辞めた人たちの理由がひとつ。自分が悩んでる上司のことだ。
どんなにどんなに頑張っても、結果を出す前にバラバラにされる。
自分だけだったらいい。しかし取引先にも迷惑がかかっているのだ。
取引先と顔をつき合わせて毎日仕事をしている以上、「うちの組織が悪いせいなんです、すみません」じゃ済まない。
これがとてつもないストレスになって、うつ病を悪化させているのはよくわかっている。
エージェントからは、一部上場の有名企業から、将来の期待があるベンチャーや外資系企業まで、いろいろな案件が高待遇で紹介されてくる。
それでも、転職に疑問を感じているのだ。
35歳になった自分が、年齢を理由に守りに入ってるのかと自問さえしてみた。しかしそうではない。

ひとつめの理由。
自分は、99%の人間が否定したこの上司のことを90%否定しながらも、10%、尊敬していることに気がついていた。
そんな自分を認めたくないのだが、事実そうだということを、今ここに書かざるを得ない。
上司は、巷で言われている「団塊の世代の悪いところ」をすべて持ち合わせたような人間だ。しかし、情熱がある。
それが悪い方向に働いているのは否めないが、この情熱は、団塊の世代だからこそ持てるものである気がしてならない。
自分が今まで接してきた、団塊の世代の人たち。
若者には無い、最後の最後まであきらめない粘り強さ(しつこさ)と、情熱と、情。
自分の中の何かが、いまここでこの上司が持っていて自分が持っていないものを吸収して、自分のものにしろと叫んでいる。
そして後の世代に伝えなければならない。本気でそう思っている。バカじゃねーのとか思ってもらって結構。
この情熱は、世代を超えて通じるパワーがあると思う。人を惹きつける何かがあると思う。
自分がこう思うのには、もしかすると母の存在が関係しているのかもしれないと思うこともある。
どんな逆境にもめげず、仕事を貫いて3人の子供を育てぬいたあの母親のパワー。似たものを感じる。

ふたつめの理由。
今ここを去るということが、100人中100人の人間が「妥当」だと評価したとしても、自分にとっては、そうではないと感じているということ。
もしここに転職の理由があるとしたら、それは本当の意味で自己都合なのだ。
俺はここから逃げてはいけない。
この環境から逃げることを、みんな勧めてくれる。
とくに、うつ病なんて爆弾を抱えている身だから。
でもここから飛び出してしまうってことは、うつ病は治らない。
っていうか、また次の職場で、同じ不安を抱えていかねばならない。
また同じ状況になってしまったら、またうつになるのか。
そんなこと繰り返していられない。

そして3つ目の理由。
最後になるが、取引先のみんな。そして、プロジェクト。
仕事というものは、常に代替のきくものである。自分がいなくても、なんとかなるものだ。
「自分がいなければ!」なんてものは、ただのエゴだ。そんなことはよくわかっている。
でも個人的に、あのひとやこのひと、プロジェクトのいろんな人たちの顔が浮かぶ。
彼らのために、少しでも自分にできることがあるなら、それはやるべきなのだ。
そして自分がつくりだす予定のもの。プロジェクトが完了すれば、ひとつの製品が世に出る。
それによって、世の中がまたひとつ便利になる。
これ以上便利にしてどうしろってんだという葛藤もある。しかしこの業界を選んだのは誰でもない、自分だ。
将来なにを作り出していくことになるか分からないが、いま関わっているのは、これなのだ。
道具は、使うものに責任があるというしかない。
原子力の発明と一緒だ。
自分がやらなくても、誰かが作り出す。
作り出されてしまうことを止めることはできない。ならば、作られてしまったものをいかに上手に世の中で活用し、良い社会に貢献するかを考えるべきなのだ。

小さい頃の、忘れられない思い出。
当時、横浜の団地に住んでた。
横浜に住んでいたのは小学校1年生の夏から2年生の夏までのたった1年間だったので、これがその間の出来事だったということは明白だ。
父は毎日残業で会社に泊まっていた。(と、母から聞かされていて、それを信じていた)
帰ってくるのは週末だけなんてのが日常だった。どこの家でも父はそれくらい忙しいのが当たり前なんだと信じてた。
ある日、父が久しぶりに帰ってきた。
母を追うように、嬉々として父を玄関まで迎えに行くと、父の手にはボストンバッグやらスーツケースやら、たくさん荷物が。
それを見た母は不安そうに「どうしたの?」と父に尋ねた。
父は、「社長とやりあって、辞表をたたきつけてきた!」といった。
そのときの父の自身満々な顔と、母の不安そうな顔のギャップを、ものすごい違和感で眺めていた。
いまだからわかる。そのギャップが。
社長とやりあうってことも、辞表をたたきつけるってことも、自慢げに言うようなことじゃないのだ。
父は「こんな会社辞めたって自活できる」という自信に満ち溢れていたのだろう。
しかし自分は、不安そうな母をみて、父をはじめて憎んだ。
そのあとの信じられないやり取り。
母「そのボストンバッグはどうしたの」
父「会社から、かっぱらってきた」
バカいってんじゃないよ。自分の親がこんなことするなんて信じられなかったよ。
僕は妹がそばにいた手前、不安そうな顔なんてできなかった。
でも父に「うちの家計だいじょうぶ?」なんて聞くことだってできなかった。
母は当時よく、電話で誰かと借金の話をしてた。
大人になってみれば、借金なんて珍しくもないことだと理解できるが、
当時まだ子供だった自分は、「うちは借金があるんだ……」と不安におびえた。
でも借金のことなんて親には聞けなかった。

たったの7歳のころの話だが、このエピソードには、ずっと忘れられずに心に刻まれている。
そして、いまの自分へのヒントがある。
一家の大黒柱の存在が揺らぐと、家族はみな不安になるのだ。
だからいま、自分がうつ病ごときで家族を心配させていることが、一番つらい。
そして、環境を変えて、いい条件の仕事に就くことばかりが、最善の策ではないと思う。

とにかく、できることは全部やってみなければ。この想いは、前に書いたときからまだ変わっていない。
そしてまだ、万策尽きたわけではない。
病気は、薬で対処できる。
会社は、自分を待っていてくれている。
あの厳しくて妥協がなくて無茶ばかり言っていた上司が、いま一番自分のことを心配してくれている。
今まで仕事のことでもそうしてきたように、病気について今の状態や不安すべて、本音をぶつけたら、上司の対応が変わったのだ。
そしてこのブログは、まだ続けることにした。
ここに書くことで、なにか良い影響が出ている気がしているから。

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