学校に行くってこと

この記事は約5分で読めます。

小学校の頃、テストなんてとくに勉強しなくても100点が当たり前だった。
学校の印刷物なんてみんな藁半紙だった時代だけど、テスト用紙だけ真っ白の上質な紙だったよね。
で、テストの回答が早く終わったら裏返しにするんだけど、テストの裏には読み物とかあったっけ。あれ読んでも時間が余ってしまって、周囲に「あいつは頭いいからよー」なんて言われるのがいやだから、わざとゆっくり答えを書いたりしてたっけ。
勉強が大好きだった。
教科書に書いてあることが新鮮でわくわくして、
まだ授業でやっていないページが読みたくて読みたくて仕方ないのだけど、読んじゃうと先の楽しみがないから、我慢してたっけ。

それが変わり始めたのは、小学校3年生くらいかな。たぶん。
まず、100点とっても褒められなくなった。
逆に、100点じゃない答案を持ち帰ったら、95点でも、責められるようになった。
どうしてこんな問題解けなかったんだろうねって。
小学校のテストは授業をちゃんと聞いていれば100点とれるようにできてるんだって。
まさか小さな子供のころに教師や親に非があるなんて信じられないから、自分はなんてダメなやつなんだと、自分を責めた。

小学校3年生から、学校に行きたくなくなった。
4年生から、仮病を使うようになった。おなかが痛いって。
登校拒否だ。親は自分の子供が登校拒否だなんて気付かないのか、受け入れられないのか、僕が本当に具合が悪いのだとして、あちこちの病院に連れ回した。
どこかの医者が、僕の苦しみを透視してくれたらいいのにって思った。
かかりつけの小児科のやさしいおじいさん先生に、いつも心の中で、どうか学校は休んだほうがいいとか、適当な病名とか言ってほしいって思った。
いろんな医者いって、「自律神経失調症」っていわれた。
「仮病」の医学用語だと思ってる。

こんどは大学病院に連れていかれて、IQテストとかロールシャッハテストとかされた。
頭がおかしくなってると思われたくなかったから、とても緊張した。

やがて、近所に同い年の子が引っ越してきた。
だんだんと学校に行くことが苦痛じゃなくなってきた。

学校では、短距離を走るのが速いことと、絵をほめられるのが、いつでも嬉しかった。
みんな素直にすげー!って言ってくれるから。
テストの点数をほめられるのは、死ぬほど厭だった。
陰口をたたかれるから。
ピアノは人前では絶対に弾かなかった。
ピアノを習っていることがバレたとき、どうしても弾かなければいけないときは、わざと間違えたりして、下手なのをアピールしてた。

それから、4年生になると有無を言わさず中学の受験勉強をさせられた。
僕の意思に関係なく、塾にも通った。
夏休みだって夏期講習だった。
僕は小学校のクラスメートたちと同じ学校に行けなくなるのがいやだった。
でもそんなこと聞いてもらえなかった。
公立(市立)中学がどんなによくないかとか、高校、大学に有利だとかいろいろ言われた。不安になった。
受験に失敗した。わざと失敗した。
お金をかけて受験勉強に力をいれてきた親を裏切ったことで、自分がもっと嫌いになった。お金ばっかりかかる子供って言われた。
今なら自分のせいじゃないことだって言えるけど、当時は、こんな子供でごめんなさいって、親の期待に添えなくてすみませんって思ってた。
さんざんけなされていた地元の中学へ行かざるを得ない自分が申し訳なく思った。

勉強はそれから嫌いになった。
でも勉強しなくても成績のとれる科目は確かにあった。

社会のように、暗記をがんばらないと成績のあがらない科目は苦手だった。

あれだけ受験に熱心だった親だが、高校受験のシーズンになって、いきなり父に「おまえ何のために高校行くんだ」って言われた。
「おまえ勉強嫌いだろ」
「学校は勉強しにいくところだ。勉強しないなら就職しろ」
たしかに勉強は嫌いだった。
でも勉強しなくても総合成績は学年で10番以内だったし、成績さえよければ母には何も言われなかったし、母はいい高校へ行かせることばかり考えてたから、突然、寝耳に水だった。

父には、長時間の説教を、何度もされた。
父が恐ろしい絶対権力だったから、僕は正座したままひとことも言い返せず、黙ってそれを聞いていた。
高校に行くには理由が必要なんだってことを、思い知らされた。
世の中には義務教育が終わったら高校にもいかずに働き始める人がたくさんいる。
なのにどうしておまえは目的もなく高校に行くんだ?
いい大学に行くため、って答えたことがある。
そしたら、ひっぱたかれた。

典型的な教育ママの母と、学校に行くなという父の矛盾する要求に挟まれて、本当に困った。
結局、家を不在にすることが多かった父の目をすりぬけるように、問題解決せずに、なあなあで受験し、受かり、入学した。

合格したあと、父が僕をまた呼び出した。
学費を誰が払うと思ってるんだ。払わないぞって言われた。
僕は土下座して、一所懸命勉強したいので高校へ行かせてくださいといった。
なんのために勉強するんだって言われた。
正直、目的意識がそこまでなかった。
言葉に詰まった。
「おまえは学校の成績はいいかもしれないけど馬鹿だ。ひとりで生きていく力もない。能力のない人間だ。社会に出ろ」って言われた。
確かにそのとおりかもしれないって思った。

今度は父と母の壮絶な喧嘩が始まった。

いまどき高校くらい行かせないととか、まあそんないろいろな意見の相違ってやつ。

結局高校には行くことになった。

自分の意思じゃなくて母の意思だった。

でも内心、いま社会に出ても何をしたいか何をすべきかもわからないから、その決断を少なくとも3年間先延ばしにできたってことで、安心した。
生きる力をつけなきゃいけないと、そのとき思った。

自分の父のように、収入が不定な仕事はするまい、と思った。
(実は父が「今月は収入が少ないからこれしか入れられない」と言っていた月にも、もうひとつの家庭にお金を入れていたことは、後で知ることになる)

この先、父との確執(父は一方的だったが)、父と母の確執は、激化していくのだった。
この先の話は、気が向いたときにでも。

コメント