健康報告

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健康状態について。

最近は、おおむね良好です。むしろ、かなり良いと言えるくらい。

GWにはじめて義父母の前で悪い症状が出て、かなり心配させてしまった。

それ以来まだ顔を見せてないから、安心してもらうためにも近いうちにまた行って、調子も良くなったことを報告しに行こうと思う。

ただ、今も1ヶ月に1~2回の割合で、「落ちる」ことがある。
たいていの場合は薬を飲めば解決できるんだけど、次回医者に行ったら、頓服で即効性のある安定剤のようなものを処方してもらえないか、相談しようと思う。
落ちたときにはどうしようもなく絶望的な気分になり、自分が存在していること自体が苦痛になる。

「焦る」ことが、この病気にとって一番よくないと、経験上思った。
「休んだことで遅れをとってしまった」と焦るのが、一番よくない。
「他の家庭では当然できているのに、自分はできていない」って考えるのもよくない。
焦ってしまう。焦ってはいけない。
以前は、そう自分に言い聞かせながら病気と折り合いをつけてきた。
いまはその点についてはちょっと違っていて、焦らないでいいんだなって体が理解するようになってきた。
「人並み」なんて基準は、無いんだ。
自分は自分でええじゃないか。
いままで十分、焦ってやってきた。
かなりイイ線いってるじゃないか。将来性もあるじゃないかと。
自分にそう言い聞かせるのではなく、そう自然に思えるようになってきた。

焦るっていうのは、何かと自分を比較するから出てくる感情なのですね。

常に比較され、比較して生きてきた自分にとって、比較しないという生き方はたぶん、なにもかもがうまくいっているように見えていた幼少時代以来のことだと思う。
自分の価値観を持たない、比較することでしか自分の価値を認められない。
それって悲しいことなんです。
長い間、自分は主張がないのではないかとか、価値を創造できない人間なのではないかとか、悩んでいました。でもそうじゃない。表現の手段を知らなかっただけ。
どうやって自分の価値観で生きていけばいいか知らなかっただけ。
これは、いまでも課題です。
本当に、自分の価値観に100%忠実に生きることができたら、幸せですよね。
まだまだです。でも、焦ってはいません。
誰かと競い合っているわけではないから。
自分の行きたい方向に向かっているだけ。

上記のようなことを考えるようになって、心が安定してきてから、またしばしば不思議な感覚がふわっとやってくることが増えてきた。
忘れていたなつかしい感覚。
町の空気からだったり、ふと屋外に出て空を見上げたときだったり、
ただ家に帰る道を歩いているときだったり、いろいろなんですが。
なつかしいような、思いだしきれなくて切ないような、不思議な間隔。
そういえばこの感覚、昔はもっとあったんですよ。
これは、いったい何なんだろうか?

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