Break through the limitation

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マイミクであり、ネット友人であるLさんが、「北丹沢12時間山岳耐久レース」を完走しました。高低差なんと1,140mもあるコースを、43.86kmも、10時間以上かけて走るのです。素人にはおよそ想像もつかない過酷なレースだったことでしょう。
その回想録を読んで、本当に素晴らしいと思いました。感動を分けていただきました。
自己を打ち破るということが生活の中に存在することが、うらやましくも思えました。

マラソンほど、人生の縮図のようなスポーツはないと思います。
中でもこの北丹沢12時間山岳耐久レースを走るということは、人生山あり谷ありを体で現しているように見えます。
スタート地点から650mまで上り、ゆるやかに400mまで下り、そこから一気に1400mまで駆け上がり、そのままジェットコースターのように580mまで下る。そしてまた1000mまで登り、緩やかに610mまで下った後、最後の関門、1433mまで上り詰めて、また下っていくという、コース概要を見るだけで凄まじいものがあります。

僕はいま、ある限界にぶち当たっています。
この年になって、学歴の壁にぶち当たっています。
いままで、学歴についてコンプレックスをバネに頑張ってきたことはあっても、本気で後悔したことはありませんでした。その気持ちが、かなりぐらついていました。
いわば、僕は「学歴」という重装備なしで、かなり高いところまで山を登ったところにいます。今までは努力だけでなんとかなっていたのです。
しかしここに、年齢という強力な壁がもうひとつあります。
年齢+学歴+経歴という、3つの要素がうまく調和していないと、これ以上この山を登るのは非常に困難です。

学歴を甘くみてはいけません。とくに外資系ではそうです。
大学院を出て初めて一人前と呼ばれるような世界に、片足を踏み込みつつあるのです。
それは、単純に「頭が良くていい大学を出た」という、履歴書上のものが重要なのではなく、「何を体系的に学んできたか」という証明です。
ですから、いい学校を出ていればそれだけ高いレベルの教育を受けてきた証明であり、自信をもっていいものだと思います。
学校の名前に左右されず、いい教育を受けたかどうかが重要です。
いい教育を提供する学校は、名前も売れるのが世の常ですが。
日本の大学や学歴神話には、教育の質とは関係なく順位付けがあるようですが、これは無視してかまわないと思います。とくに、グローバルで活躍したいのなら。

閑話休題。
世の中には酸素ボンベなしでエベレストの登頂を成し遂げた人もいるくらいですから、このまま突っ走ることも可能です。

ここで僕がとれる将来の道は、いくつかあります。

  1. 学歴ではない、「経験と知識」で誰にも負けないものを育てつつ、登っていく
  2. 登りながら「学歴」という装備を整えていく
  3. いまの場所で十分眺めがいいじゃないかと、このまま安泰する
  4. (ここまで登ってきた苦労や実績を捨てて)別の山に挑戦する
  5. (ここまで登ってきた苦労や実績を捨てて)自分で山を造る

いままで1だけで登ってきましたが、これ以上は、1だけでは無理があるようです。
2は、現実的です。
3は、絶対に選びません。安泰などという言葉はいまの世において幻想です。
4は、つまり自分に新しいチャレンジを与えてくれる場所(自分が興味を持てることをやっている/はじめたベンチャーなど)に身を置くということですが、もちろん今のような眺望を再び得るためには、ある程度低い場所からやっていかねばなりません。
5は、自分で会社を興すということです。目標、ビジネスプラン、資金、人脈が必要になります。

最終的には5にいきたいのですが、今すぐ選べる道ではないです。
現実化するためにはきちんとプランを立てなければなりません。
そこへ向かうための体力作りとして、1か2を選ぶことになるでしょう。

「学ぶ」にはまだギリギリ間に合う年齢とも言われている僕の年齢ですが、明らかに若い頃よりもチャンスは少ないので、次の一手に全神経を集中しながら進んでいます。
実際のところ、1も2も必要なのです。

今は多分、登り坂がきつい上に、足を捻挫してしまったような状況なのでしょう。
ここで踏ん張ってブレイクスルーしないと、人生に負けてしまいそうなのです。

Lさんに分けてもらったエネルギーで、頑張っていこうと思います。

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