Deflation

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In economics, deflation is a decrease in the general price level of goods and services.[1] Deflation occurs when the annual inflation rate falls below zero percent (a negative inflation rate), resulting in an increase in the real value of money – allowing one to buy more goods with the same amount of money. This should not be confused with disinflation, a slow-down in the inflation rate (i.e. when inflation decreases, but still remains positive).[2] As inflation reduces the real value of money over time, conversely, deflation increases the real value of money – the functional currency (and monetary unit of account) in a national or regional economy.

Currently, mainstream economists generally believe that deflation is a problem in a modern economy because of the danger of a deflationary spiral (explained below).[3] Deflation is also linked with recessions and with the Great Depression. Additionally, deflation also prevents monetary policy from stabilizing the economy because of a mechanism called the liquidity trap. However, historically not all episodes of deflation correspond with periods of poor economic growth.[4]

さて、多くの人が日銀は金融を引き締めすぎているからデフレになると批判しています。
これは半分正しくて、半分間違っています。
日本の金融政策は引き締めになっているのは事実ですが、それは日銀が悪いわけではありません。
日銀は中央銀行としてまずまずの仕事をしていますし、実は超低金利の環境での金融政策という点に関しては世界の最先端にあり、アメリカのFRBやヨーロッパのECBは日銀からいろいろなことを学んでいます。
なぜ日本はゼロ金利なのに金融引き締めなのでしょうか?
中途半端に経済を勉強した人は、金利を下げることが金融緩和で、金利を上げることが金融引き締めであるとか、貨幣供給を増やすのが金融緩和で、貨幣供給を減らすことが金融引き締めだと覚えているかもしれません。
テスト勉強ならこれでもいいかもしれません。
しかし、こういう定義はまったく間違っています。
金融緩和とはGDPの潜在成長率より金利を下げることで、金融引き締めとはGDPの潜在成長率より金利を上げることです。
GDPの成長率とは国内で生産される付加価値の合計が年率何%増えるかです。
「潜在」とついているのは、その経済が本来持っている実力です。
なので実際に実現される成長率は、この潜在成長率より高かったり低かったりしますし、潜在成長率を直接みることはできません。
42キロをだいたい2時間30分で走れるマラソン選手でも、途中でつまづいたりしたらちょっと遅れるだろうし、追い風が吹いたりしたらちょっと速くなるかもしれません。
この2時間30分というのがこの選手の「潜在的な」実力です。
ふつうの状況なら経済は何%成長できるかというのが潜在成長率の意味です。
つまり潜在成長率>金利の世界では、銀行からお金を借りて事業を起こしたり投資をすると損することもあるし、得することもあるけど、平均的にはもうかる確率の方が高いという状況です。
逆に潜在成長率<金利の世界では、銀行からお金を借りてなんかすると損する確率の方が高くなってしまいます。
だから中央銀行は景気が悪くなって物価も下がり気味だと金利を経済成長率より下げて投資意欲を後押ししますし、逆にバブル気味で資産価格がどんどんあがっているような状況では金利を上げるのです。
さて、ところでこの潜在成長率は何で決まるのでしょうか?
これは簡単で労働力の質と量をかけたものです。
労働者一人一人の生産性は同じでも、労働者がどんどん増えていくような状況では経済は成長します。
また労働者一人あたりが効率的にモノやサービスを生産したり、新しいモノやサービスをどんどん生み出せば、労働者が増えなくても経済は成長します。
生産性をあげるのは民間企業の創意工夫によるイノベーションしかありません。
当たり前ですが、官僚や公務員がiPhoneを作ったりGoogleのようなサービスをはじめることはないでしょう。
また公共の交通機関が発達していたり、光ファイバーなどの通信網が張り巡らされていたり、さまざまな教育や訓練の機会があったりと、よい社会インフレストラクチャーが整備されていたら、国民はより効率的にモノやサービスを生産できるでしょう。
しかし技術の先端にある先進国では、すでにこっちの労働生産性はかなり高いですしインフラも整備されているので、それほど高めることはできません。
そして日本の場合は少子高齢化でどんどん労働者が減っていってしまいます。
つまり日本の潜在成長率はどうしても世界の他の国々より低いのです。
ということは日本は世界の他の国々よりも低い金利になるのは当たり前なのです。
中央銀行が金利を決める(短期金利だけですけど)わけで、その金利は潜在成長率のあたりで上げたり下げたりするはずです。
ここでグローバリゼーションを考えましょう。
グローバリゼーションとはヒト・モノ・カネが国境を越えて自由に動き回ることです。
それでこのみっつのうちでカネが真っ先に完全にグローバル化されています。
今ではどこの国にいても世界中の株や債券を簡単に取引できます。
ということは世界の中で日本の株や債券に投資する人も、ブラジルや中国の株や債券に投資する人も同じ人なのです。
彼らは日本のほうが成長率が低いといっても、日本の株や債券のリターンが、ブラジルや中国のような新興国の株や債券のリターンよりも低いことを許してくれません。
たとえばブラジルの株を買えば一年で10%のリターンが見込めるのに、日本の株の一年3%のリターンに満足することはありえないのです。
なぜなら日本株の3%のリターンは、ブラジル株に投資すれば得られたはずの10%のリターンをあきらめて得られるものだからです。
つまりこの場合は、日本株の値段が下がりきって(底まで下がれば後は上がるだけなのでリターンはあがる)、ブラジルの株が上がりきる(上がりすぎると次は下がる確率が高くなるのでリターンは下がる)まで、日本株が売り込まれて、ブラジルの株が買われることがわかります。
同じようなリスクの金融商品なら地球でただひとつの期待リターンがすべての国で要求されてしまうわけです。
グローバル化された資本市場では株式だけではなく、債券や商品などあらゆる資産に対するリスクとリターンが瞬時に世界中で比較され価格が決定されていくのです。
日本の大企業の経営者は高い賃金を日本人社員に払いながらブラジルや中国の会社と同じようなリターン、つまり配当を含んだ利益を常に要求されるのです。
次にアメリカの長期国債と日本の長期国債のリターンを考えましょう。
国債の実質的なリターンは金利からインフレ率を引いたものです。
これは実質金利と呼ばれます。
物価が下がっているとお金の価値は上がるのでたとえ金利がゼロでも国債は高いリターンを出しているのと同じです。
ここでアメリカ国債の実質金利をR(a)、日本国債の実質金利をR(j)、それぞれの名目金利ををI(a)、I(j)、それぞれの期待インフレ率をP(a)、P(j)としましょう。
期待インフレ率とは人々が予測するインフレ率です。
R(a) = I(a) - P(a)
R(j) = I(j) - P(j)
しかし、ここでカネだけは完全にグローバル化していますから、両国の国債の期待リターン、つまり実質金利も同じぐらいになるはずです。
そうなるまでリターンの低い方が売られて、リターンの高い方が買われます。
期待リターンと実現リターンを混同するのはよくありませんが、過去10年ぐらいのアメリカ国債の長期金利の平均は4%ぐらいでインフレ率は2%ぐらいでしたし、日本の長期金利の平均は1.5%ぐらいでインフレ率はマイナス0.5%ぐらいだったので、実現した実質金利は両方ともぴったり2%ぐらいで一致しています。
ところで投資家からみればこれはリターンですが、お金を借りて事業を興したり投資をする人からみればこれは負債コストです。
債券の投資家のリターンである金利と経営者が支払う負債コストはコインの裏と表です。
さて、ここでアメリカと日本の実質潜在成長率をG(a)、G(j)としましょう。
金融引き締めでも金融緩和でもない中立な金融政策とはこの金利と潜在成長率を同じぐらいになるように誘導することです。
中立な金融政策では実質長期金利と実質潜在成長率が等しくなればいいでしょう。
G(a) = Rn(a) = In(a) - Pn(a)
G(j) = Rn(j) = In(j) - Pn(j)
しかしマーケットで債券の投資家に求められているリターンは両方とも同じでR(a) = R(j)でないといけません。
ところが人口の減っていく老いぼれ国家の日本とアメリカのような人口も増えてどんどんイノベーションを生み出す国では成長率は違いますから当然、次のような不等式が成り立ちます。
G(a) > G(j)
またここで元に戻りますけどR(a) = R(j)になるように市場の投資家から常に圧力を受けるわけです。
つまり、現実には次のような関係になるわけです。
G(a) > R(a)
G(j) < R(j)
要するにアメリカでは常に成長率>金利の世界で、日本は常に成長率<金利の世界なのです。
これは日本には慢性的な金融引き締め圧力で、アメリカには慢性的な金融緩和の圧力がかかることを意味します。
アメリカはずっとバブル気味だった時に、日本はずっとデフレ気味だったのはうなずけますね。
潜在成長率の相対的に低い国にはカネのグローバル化から常に金融的なデフレ圧力がかかりつづけるということを意味します。
アメリカと日本では人口増加率が2%ぐらい開いていますし、アメリカにはシリコンバレーのようにイノベーションが起こる仕組みがたくさんあります。
そしてニューヨークには世界最高の金融センターがありますし、ハイリスクなベンチャー企業に投資をするスーパーリッチな人がたくさんいます。
生産性を高める力も1%ぐらいは開いていてもおかしくないでしょう。
つまり、人口と生産性で、アメリカと日本の潜在成長率のちがいはどんぶり勘定で3%もあるのです。
中立から1%金利を引き締めると大体物価は1%さがりますし、逆に1%金利を上げると大体物価が1%あがります。
アメリカと日本の実質長期金利が同じだとすると、相対的な金融緩和と金融引き締めの格差によりインフレ率に3%も差がでることがわかります。
ということはアメリカのインフレ率がプラス2%だと、日本のインフレ率はマイナス1%ぐらいになってしまいます。
今はアメリカも超低金利に突入していますしデフレ気味なので、それより3%デフレ気味になると考えると日本はさらなるデフレに突入していくことはほぼ確実なような気がします。
金融政策というのは常に金利が主役でマネーサプライなどは金利が決まったあとに自動的に需給で決まる従属的な変数にすぎません。
しかし、日銀はゼロ金利に突入してにっちもさっちも行かなくなり、量的緩和というマネーサプライそのものを目標にお札をすりまくるという政策をとりましたが、やはり流動性トラップが予言するとおりにほとんど意味がありませんでした。
そういう意味で日本の慢性的な経済の停滞を解決したいならばボーリングの一番ピンはデフレをなおすことではなく潜在成長率をあげることなのです。
デフレは経済の停滞の原因ではなく結果なのです。
デフレからの脱却はボーリングでいえば最後に倒れるピンです。
ヒト・モノ・カネの中でカネだけが完全にグローバル化していますし、モノも日本は資源のない貿易立国なので農産物のような政治力が強いところ以外はかなりグローバル化しています。
ところがヒトだけはまだぜんぜんグローバル化していないわけです。
ヒトは簡単に住む国を変えないからです。
思考実験ですけど、ヒト・モノ・カネが完全にグローバル化するとそれは国の区別が完全になくなることといっしょなので、潜在成長率の差も消滅して、デフレもなおります。
ところでどうやって潜在成長率を上げればいいでしょうか?
人口が同じだったら生産性をあげるしかありません。
生産性をあげるには不必要な規制を撤廃して民間企業がどんどん自由な競争をするしかありません。
お役所の公務員が切磋琢磨してイノベーションが生まれることはありえないというのはちょっと想像力を働かせればすぐにわかるでしょう。
先進国でさらにテクノロジーのフロンティアを切り開いていくのは、優秀な起業家であり、そういう起業家を育てる洗練された金融システムなのです。
ところが日本では、成功したベンチャー企業の経営者を格差格差と騒いでつぶしたり、ヘッジファンドや投資銀行をマネーゲームだハゲタカだといって追い出そうとしたりで、むしろみずから潜在成長率をさげるようなことばかりやっているのです。
また現在の農業や医療や教育のように規制と既得権益でガチガチにしばられている分野は、すこし規制緩和してどんどん企業が入ってこれるようにするだけでいっぺんに生産性が向上するでしょう。
イノベーションは最先端のハイテク分野だけのはなしではありません。

A few words to conclude this presentation. Japan has been for many years and decades the
wonder boy of the OECD. Now some naysayers are presenting Japan as a lost cause. I do not share this
point of view. I am convinced that through adequate reforms and stronger momentum Japan has indeed
the capacity to become again the envy of the rest of the world.

 

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