帰り道

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晴れの日を人生で一度も経験したことがない人に晴れの日の空がどういうものかをいくら説明したところで、理解できないのと同じように、僕たちはきっと曇り空に気づかぬまま生きている。

あの日の僕はといと、お昼休みにふと見上げると、ようやく冬の終わりを告げるような素晴らしく気持ちの良い突き抜けるような青空が広がっていたものだから、仕事を早めに切り上げて、できるだけ遠くの駅まで歩いて帰ることにしたんだ。

ポカポカとあたたかい小春日和の陽気が、僕のジャケットをあたためる。
日比谷公園には、たくさんのいろんな人たちが、それぞれ思いのままにしていた。
ひなたぼっこをするお年寄り。ペットボトルのお茶を片手に楽しそうに話し込む若い女性たち。なにやら真剣な面持ちで語り合う、車椅子の男性とその友人と思われる男性。

そんな光景を横目に、日比谷花壇のほうから高等裁判所にむけて広場を抜けていくと、小さなバラックの売店がある。公園を取り囲む近代的なビル群のイメージとは裏腹に、この売店の周囲だけ、昭和にタイムスリップしたような気分になる。僕は昭和のどちらかといえば後半に生まれた人間だけど、なんとなく昭和初期、という言葉がしっくりとくる、そんな売店だ。
この売店の店構えを見ていると、まだ東京にもこんな場所があるんだなというほっとした思いと、現代において失われてしまったであろう、ときには強烈すぎたかもしれない個性的なものたちに想いを馳せる。
なにしろ一日のほとんどの時間をコンピュータとにらめっこしているのだから、そういった思いはさらに強くなる。普段から、リアルなものに触れる機会が極端に減っているのだろう。もしかしたら、ちょっとしたビョーキかもしれない。

僕は売店の前に、非の打ち所が無いベンチを見つけた。もうここしかない。ここに座るんだ僕は。
しかしどうも場所が売店の目の前なので、何か買わないと悪いなという気持ちになってくる。これは公園のベンチなのだから、別に何も買わずに座ったってぜんぜん構わないはずなんだけど、なんとなく落ち着かないので、あたたかいお茶を買った。
売店のおじさんは、ちょっと高級なお土産用のキャンディでも入っていたようなブリキのまるい入れ物からお釣りを取り出して、僕に渡した。

ようやくベンチに腰掛けて、さてどんなルートで家まで帰ろうかな、と心を巡らせる。この時間こそが至福。
普段見慣れた街も、通る道を一本変えただけで、印象がガラッと変わってしまうものだ。
地図なんて見ながら考えるのもいい。

残念なことに僕はもう後戻りができないほどにテクノロジーに毒されてしまっているため、そこで取り出したのは古き良き地図ではなく、iPhone。Googleマップは便利だ。味気なさ過ぎるけどね。でも、Googleマップにだって、紙の地図には無い楽しみがある。たとえば地図を、写真に切り替えることができる。人工衛星が撮影した地上の写真を繋ぎあわせて作られたリアルな地図は、見ていて飽きない。

しかしせっかくのいい天気のもとでそんなバーチャルの地図越しにものを見なくたっていい。僕は目的地を決めると、iPhoneをポケットの中にしまった。

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