iPadを買わない理由

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iPadの国内予約が始まって、なんだかソワソワしてる人が周囲に増えている今日この頃。実際USで既にiPadを入手した人も身近に3人ほどいて、そういう人のレビューも含めていろいろ検討した結果、初代iPadの購入は控えることにした。

iPhoneのときにもiPhoneを買わない理由というエントリを書いたけど結局3G→3GSと買ってんじゃん、ということもあるので、絶対に買わないと断言しているわけではない。ただ、現時点では買う必要が無いという結論に達したということ。あくまで個人的な決断であるしその理由は本当に僕個人のものであって他の人に当てはまるかどうかは分からないので、iPad購入を意識してる皆さんはそれぞれ自分の決断を信じればいいと思う。

それでは、iPadを買わないと決めるに至った経緯について書いてみようと思う。

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とにかくデジタルガジェットが昔から大好きで、製品そのものに魅力を感じたら財力が許す限り手に入れてきた。いままで購入してきたものは数知れないが、その中でも長く使ってこられたものはごく一部。その「一部」の製品には理由がある。

生活を不便にしないこと。あるいは、不便になる一方で便利になる部分があって、差し引きプラスになること。

これに尽きる。

Palmは長く愛用したけどHandspringが長持ちしなかったのは、当時最新だった「カラー液晶」を搭載したおかげで電池の持ちがひどく短かったこととか、CPUの処理性能が実際の利用に十分な性能を提供していなかったことがある。
一般には受けがあまり良くなかったLinux Zaurusが長く使えた理由は、電池の消耗やOSの重さを越える利点があったから。当時バリバリのネットワーク&サーバエンジニアだった自分にとって、Linuxを持ち歩けるというのは素晴らしく素敵だった。ちょっと特殊な理由だけど、十分に使い倒したと思う。

逆に考えると、利用シーンがしっかりイメージできていないけど、ただ新しいからというだけで買うと必ずお蔵入りしてしまう。
だから、好奇心だけにまかせて購入してしまうのはもうやめたほうがいいかなと思った。

201005120520.jpgApple製品といえばCRTモニタと一体型のPlusから付き合ってるが、とにかくこの会社は、価値観の押し付けが大得意だ。にもかかわらず、発売当初にAppleが想定していなかった道筋で売れたものが多いのも特徴。ただ、ある程度を超えて売れた製品に関してこの会社は柔軟に価値観を変更する。これは僕が知る限りではMacintosh Plusにキーボードが搭載されなかった理由に始まる。その後漢字Talk然り、PowerPC採用然り、Mac OS X然り、Mac mini然り、Intel採用然り、Boot Camp然り、そしてiPhone然り、だ。
iPodは想定通りかといえば、あれだって最初はMac専用の機械だったわけで、本来の目的はMacの売上を伸ばすための道具だった。しかしWindowsとも同期するようにしてほしいという強いユーザの声で、方針を変えたことにより、現在のiTunes Storeによる音楽配信ビジネスへ昇華している。

201005120521.jpgそれでは一番最近で、一番iPadに近いと思われるiPhoneはどうだったか。iPhoneは果たしてAppleが当初想定していた使われ方をしているのか、当初想定していた顧客層を捕まえたのかというと、半分Yesであり、半分Noだ。

しかし上にも書いたように、Appleは導入でユーザに受け入れられた製品を充実させることに付いては他社の追随を許さないが、コケた製品を立ち上がらせることには滅法よわい。
今まで数々の「日の目を見なかった」製品があるんだから。

iPadを買うかどうかはつまり、ユーザ視点で「これは買わなきゃ」と思わせるような利用シーンがあるかどうかに関わってくる。

発売前の押しつけ的な利用シーンに関してはもちろん検討する必要があるが、それ以外の可能性も含めてきちんとpros & consを検討しないと、とんでもないガラクタにお金を投げ込むことになりかねないというわけ。

今まではそのような「人柱」的なことを進んでやってるようなところがあったけれど、実際5万円以上のお金を注ぎ込むことになるわけだから、買って失敗したなと思うくらいなら僕はいまそのお金をKRKやDynaudioのアクティブスピーカーに使いたいのだ。

そういうことだから、現在の時点で想定できるiPadの使われ方をしっかりとレビューした上で、必要なのかそうでないのかを見極めて行こうと思う。

いまのところ自分が想像できるiPadの利用シーンは、以下の通りだ。他にも何か思いつくことがあればぜひ教えて欲しい。

  • リビングコンピューティング(僕が今作った言葉です)
  • ビークルコンピューティング(同上)あるいはコネクテッド・ビークル
  • モバイルコンピューティング
  • オフィスワーク
  • 音楽(制作、編集、演奏、DJなどクリエーター側として)

それぞれについて考えてみよう。
iPadの目玉のひとつとして数えられている「電子書籍リーダー」のような「機能」で分類しない。前述したような理由によって、利用シーンで分けている。

201005120608.jpgコンピュータをリビングに持ち込もうというコンセプトが非常に強いものであることは、iPadを初登場させたSteven Jobsのプレゼンで舞台上にソファが置かれていたことからも間違いないと思う。(僕はあのプレゼンを日本時間の午前2時からリアルタイムでチェックして、いち早くブログの記事にしたのだった)
個人的にはiPadはこれが非常に大きいと思う。だって他のシーンでiPadを使用するのはまだまだ足りないことが多すぎると思うから。(詳しくは後述)
まずひとつ重大な事実を挙げておこう。iPadを操作するとき、両手はどこにあるかについてだ。リビングでソファに体育座りしているなら、iPadは膝の上にあるかもしれない。しかしそれ以外のときはどうだ?
ダイニングテーブルに座りながらiPadを使うとしたら、iPadは「両手で持つ」か、「テーブルの上に置く」しかない。
後者は非常につらい。iPadの液晶の視野角はそれほど広くない。iPadをテーブルに置くと当然画面は真上を向くことになるから、ユーザは画面を下からのぞき込むような形になる。もし今この記事をノートPCで見ているなら、ノートPCの画面を最大に広げてみよう。画面がほとんど見えないはずだ。まさにこの状態。上から覗き込まないといけなくなる。非常に不自然だ。これを解決するには、視野角の広い液晶パネルを搭載するか、iPadを斜めに固定するものが必要。iPadを斜めに固定すると、画面上のソフトキーボードが使いにくくなるから、Bluetoothのキーボードを使いたくなるかもしれない。あらまあ、これってノートPCと同じじゃないのかな。
一方、iPadを両手で(片手でもいい)持つとしたらどうなるか。まずiPadが重いことに気付くはずだ。700gもあるんだから。これを保持しているのは正直、疲れる。しかし重さより大事な問題がある。両手でiPadを保持していたら、せっかくのソフトウェア・フルキーボードをブラインドタッチ出来ない。両手でiPadを持ちながら、手前にある親指でタイピングしなければならない。これって苦痛じゃないのかな。そういうわけで僕は、このiPadが「リビング用」ではなく「ソファで体育座り用」だという結論に達した。

201005120620.jpgビークルコンピューティングについて。モーターショーをはじめ、自動車の未来を予想出来る展示会などに行ってみればすぐにわかることだが、いまどの自動車メーカーもクルマをネットに常時接続することに腐心している。クルマがネットと繋がることによって、たとえばカーナビをクラウド化することができたり、たとえば音楽を物理的に車内に持ち込まなくても聴くことができるようになったり、たとえば渋滞情報をシェアしたり、いろんな可能性が見えてくるというわけ。その中でiPadの大画面は、クルマのIT機能の中枢として使える可能性はある、と思う。取り外し可能なカーナビみたいな位置付けとして。僕はカーナビを使っててよく、iPhoneのようにマルチタッチで操作してしまおうとすることがある。(ズームするときにピンチしてしまうとか)iPhone/iPadの操作感がカーナビで実現できるならそれは素晴らしいと思う。Appleがカーナビ作ればいいんじゃないの、とも思うけど。
しかしまあこれは、可能性の話にすぎないし、問題はWi-FiオンリーのiPadモデルにはGPSは搭載されていないことだ。それから、カーナビは位置特定のためにGPS以外にジャイロなんかも使ってる。今のiPadのままだと、トンネルやビルの谷間に入った途端、ナビゲーションできなくなる。モバイル系の新しい技術(フェムトセルとか)と組み合わせて、携帯電話網あるいはWi-Fiを使ってより精度の高い位置情報の取得が可能になったら、状況は変わるかもしれないけどね。それからGPSの精度だけど、iPhoneのレベルでは全くダメ。たまに自分がとんでもない場所にいることになってたりするし、道が1本ずれているなんてしょっちゅうだし。

201005120629.jpgモバイルコンピューティングについて。個人のモバイルコンピューティングは、正直なところiPhoneがあれば殆どの需要が満たせていると思う。出先でお店の情報を調べるとか、商品の価格をチェックするとか、メールを読み書きするとか、Twitterでつぶやくとかね。
休日にPCやiPadのようなデカいデバイスを常に持ち歩きたくないし。
じゃあモバイルコンピューティングは必要ないのかというと、ビジネスとして多いにある。仕事で外に出るときにノートPCとデータ通信カードは欠かせない。僕は会社支給のDELLのノートと、DoCoMoの定額制プランに入ったHSDPAのカードを持ち歩いてる。単純なメールの読み書きだけだったらiPhoneだけで十分だけど、客先でプレゼンするとか製品のデモをするとか新幹線の中でOffice文書の編集をするとか海外出張で仕事するとか、いろいろある。iPadの売りのひとつに、iWorks for iPadがあるけれど、勿論これだけで全ての需要を満たすことはできない。
つまりどういうことかというと、iPadを持ち歩くことにしたからといって、荷物は減らないどころか増えるだけなのだ。
iPadがあるからノートPCが要らなくなるのなら意味があるけど、両方持ち歩くなんてバカげてる。逆にiPadで出来てノートPCで出来ないことのほうが少ないわけだから、間違いのないように僕はノートPCを持ち運ぶ。外を歩きまわるのにカバンが重くなるのはイヤだからiPadは置いていく。iPhoneだってあるんだし。

電子ブックリーダーについても言及せざるを得ない。だってiPadの超目玉機能みたいな扱いになってない?iPadは電子ブックリーダーにもなるけど電子ブックリーダーではないのにね。
僕は決して電子ブックを頭から否定する人じゃない。2003年、もう7年も前にZaurus SL-C750(Linuxザウルス)を購入したとき、「ザウルス文庫」にアカウントを作って、電子ブックを購入して読みまくってた。SL-C750にはiPadに付いているiBooksとほとんど同じような電子書籍リーダーがついていて、画面を裏返しにして畳んでしまうと、ちょうど文庫本より一回り小さいサイズで本を読むことができた。縦書きにも対応してた。

紙の書籍に対して電子ブックの問題をあげておこう。電池が切れたら読めなくなること。落としたり濡らしたりしたら壊れてしまうこと。なくしたらショックが大きいこと(本体価格の問題)。ページのザッピングが面倒なこと。電子インク以外は目が疲れること(白が発光しているため)。

これらの「不便」が受け入れられる気がしない。
よく「音楽だってデジタル化したんだから、同じだ」という意見の人がいるけど、ユーザエクスペリエンスで言ったら全く違う。
音楽の場合、アナログレコードだろうがCDだろうがMDだろうがiPodだろうが、電池が切れたら使えなくなるのは一緒。むしろモーター等を内蔵していないiPodのようなDAP(デジタルオーディオプレイヤー)のほうが、電池の持ちがいい。欠点は無い。
音質の問題。容量を気にしなければロスレス圧縮のフォーマットで保存して音質は向上していくばかりだが、たいていの人はAACやMP3などでDAPに保存しているはず。だからCDより音質が悪い。しかしリスニング環境の劣悪な電車の中や街の雑踏の中で気にするレベルではない。僕は256kbpsのAACを使ってるけど、外で聴いたらCDとの音質の違いが分からない。
アナログレコード→カセットテープ→CD→MD→DAPと進化していく中で、携帯性が向上した。これは電子書籍にも言えると思うかもしれないが、DAPはポケットに入るサイズ、あるいは服にクリップで止められるくらいのサイズまで進化してる。iPadは?同じ電子書籍を読むという行為をするんだったら、むしろiPhoneのサイズのほうが最適なのではないか。iPhoneの電子書籍リーダーは豊平文庫やStanzaなどを使ってるけど、なんの問題も無いよ。新聞や雑誌の既存のフォーマットに固執している人だけが、iPadに魅力を感じているのではないのか。画集のように大きなサイズで楽しむものだったら、印刷物で買いたいしなあ。

201005120653.jpgオフィスワークにおける、iPadの出番はあるのだろうか。
会議などに持ち込むには、悪くないかもしれない。しかし、リビングのところでも書いたように、ホールド性の問題がある。椅子に座って足を組んで、その上にiPadを置いて、両手で軽くiPadを押さえてバランスをとりながらタイピングするという感じかな。足を組まないとダメっていうところが、なんとも悲しい。
モバイルの項で指摘したように、オフィスワークを肩代わりできる実力は今のiPadにはまだ無い。今後もあるかどうか分からないけど。

iPhoneはスマートフォンであるとかクラウドインタフェースだとかよく議論されているけど、アホかと思う。そんな位置づけなんてどうでもいい。iPhoneは確かに便利。僕にとってのiPhoneは携帯電話であり、Webブラウザであり、メールクライアント(携帯メールだけではない)であり、ゲーム機であり、家計簿であり、システム手帳であり、電子書籍リーダーであり、音楽プレイヤーであり、……。これだけの用途が1台でこなせて、しかもポケットに入っちゃうんだから、持ち歩かないほうがどうかしてる。

しかしね、「便利」と「気持ち良さ」に流されすぎているな、という気持ちもある。便利になればそれでいいのか?オートマの自動車はマニュアルの車より良いのか?というのに近いかもしれない。僕はマニュアルの車を運転するのが大好きだ。車の駆動系をコントロールしている感じがたまらない。オートマやセミオートマはコンピュータ制御だから、そっちのほうが速いし経済的だし合理的だよ、というのは分かる。しかし楽しいのは断然マニュアルだ。車をたんなる移動手段「だけ」として見ているのならオートマのほうがいいのかもしれないが、同じ目的地にたどり着くために「楽しく」行けるのなら、そっちのほうがいい。
そしてなにより、歩いていける距離で、時間的にも許されているのなら、歩きたい。
車に乗っていると一瞬で通り過ぎてしまう景色。見逃してしまうさまざまなことを味わいながら移動できる徒歩という手段に、最近の僕は魅力を感じている。これは20代の頃にはあんまり思わなかったことだ。
iPhoneが生活の中に組み込まれてからというもの、「仕事」と「プライベート」の境界線は今まで以上に曖昧になってしまった。今ではそれを反省して、メールをチェックしない時間を意識的に作るようにした。いつでもどこでも何でもできて便利になればいいってもんじゃないということを痛感した。

いまの世の中の進化のスピードは十分だと思うし、これ以上スピードアップしても人間がリラックスして人生を楽しめる速度を超えてしまうって、最近思っている。だからこそ、オフィスワークにiPadは要らない。ただ、ワクワクするような「新しいこと」を実現するためのプラットフォームとしてiPadが使えないかな、ということは常に考えていたいけど。それは僕にとっては決して「業務を効率化する」とか「スピードアップする」みたいな方向ではない。

201005120713.jpg「音楽制作」ツールとして。既にいくつかのアプリがリリースされている。大きな画面を活用して、様々な音楽制作用のユーザインタフェースを実現してしまおうという試みだ。音楽を作る人は、鍵盤とかツマミとかフェーダーとかリボンコントローラとかスイッチなどという様々なインタフェースを使うことに慣れているから、好きなものを再現できる大型タッチパネルというのは魅力的。(既にそういう製品はあるんだけど、利用目的が限定的でしかも値段が高い)
しかしまあ、どうなんだろうね。鍵盤はアフタータッチセンサーとか付けられないし、タッチしてる音階がいまどこかもわからないからブラインドでやりにくそうだし。カオシレーターやテノリオン的なところは面白そうだけど。

結局のところ

つまり結局、iPadによって既存のモノだけでは実現できなかったことがどれだけ実現できるかだ。ひとつだけでもいい。

以上の考察の根底に流れているものがある。それは、iPadは「お金をAppleに流入させるための安い道具」であるということ。
これはとてつもないひらめきから現れた道具ではない。すべての「iPadの凄いところ」は後付けにすぎないと言い切ってしまおう。アラン・ケイが提唱したDynabook構想を実現しました、みたいな触れ込みも目にするけれど、これは決してDynabookではない。

iPadにはカメラが搭載されなかった。iPhoneによるティザリングはJobsによってあっさりと完全に否定された。内蔵フラッシュの容量は最大64GBだ。iPadに搭載されるSIMカードは独自規格だ。iTunes Storeは閉じている。iPod classicの進化は止まった。Mac OSは(公式には)Appleのハード以外で動作しない。現在発売中の「全ての」MacBook、iPodシリーズ、iPhoneはバッテリーが着脱式ではない。すべてのAppleの製品に搭載される液晶パネルはピンとキリで言ったらキリのほうにあたる。iPodもiPhoneもiPadもSDカードのような外部カードに非対応だ。iPhoneに搭載されている3Gのユニットは低性能で、それを日本ではほぼすべてSoftBankのせいにされている。大型電気店が軒並みApple製品の取り扱いをやめることになった。
Appleはつまりユーザ視点でものを考えるより利益を優先させる、ごく一般的な考え方の企業だということだ。日本企業でよくあるタイプの社会奉仕精神みたいなものと比較したらこれはもう「一般的」ではなく、かなり「がめつい」レベルである。日本の製品が世界で受け入れられている大きなポイントはそこにあるのだが、Appleには勿論それは無い。志を持って立ち上げたばかりのベンチャー企業のように世の中を変えてやろうという強い変革意識があるというように思われがちだが、実際には儲けのためにできることをあえてやらないという選択肢がより上位にある会社ということだ。僕はこの事実が気に入らないのだけど、それを越える企業が(とくに日本から)出てこないという事実が更に気に入らない。SONYは、Panasonicは、TOSHIBAは、MITSUBISHIは、HITACHIは、NECは、SHARPは、Fujitsuは、一体何をやっているのだ。

昨今のギリシャの情勢やリーマン・ショックによる世界経済への影響を見れば素人目にも明らかなように、経済は恐ろしい速度でグローバル化している。既にグローバル化を完了しているともいえる。僕たちは暮らしの中でよく「国」という単位でモノを考えるけれど、それは文化の違い、政治(統治)の違いを指しているにすぎない。経済はとっくに世界統一国家状態になっている。それを熟知し、かつリードしているUSの企業であるAppleやGoogleは、それを最大限に利用してさらにお金を回す。日本の企業は同じ方向を向いていたら価値の創出などできるわけがないんじゃないの。なぜ本田宗一郎や松下幸之助が世界的にrespectされているのか冷静に考えるべき時だ。

コメント

  1. Chabo より:

    テレビとかでのiPadの紹介って9割くらいが電子書籍のアレだよね。

    あれを見て、おおすげえiPad買って本読むぞー、って人が一体どれだけいるのか疑問。

    • うずら より:

      > ちゃぼ
      そーなんだよ。電子書籍を売りにしすぎだろう、と思うんだよね。
      もともと本を読まない人がiPad買って本を読むわけがないよ。
      もともと本を読む人はiPadじゃなくても読むし。

  2. らーちゃん より:

    今もリビングコンピューティング中。
    ノートパソコンで何の不自由もないんだよなー。
    ちょっとでかくて暑くなるダイナブックだけどw

    • うずら より:

      > らーちゃん
      ノートパソコンって画面を好きな角度にできるのが結構便利だったりするよね。
      iPhoneは不自由を自由にしたから受け入れられたけど、iPadにもそれがないと買ってもらえないかな。