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この絶望感をどうしたらいいのだろう。

「体調の悪いときは何もせず、良くなるときがくるまでじっと待ち続ければいい」
そんなの待っている間に死んでしまいそうだ。

しかしこうやってブログに何かを書きたいという衝動があるのだから、誰かに理解してほしいという心の中の叫びがあるのだろう。また、文章を書けるということはまだ最悪の状態には程遠いということだ。

自分自身がこの病気に対して偏見を持っているのだと思う。
だからこそ「他人にも同じように思われているに違いない」と心のなかで決めつけて、実際にはどう思われているかなんて分かりはしないのに、勝手に被害妄想的な解釈をしてしまう。
心配だと優しい声をかけられれば「あいつはダメなんだよ」という同情の声にしか聴こえず、仕事のステータスを確認されれば「お前の仕事は信用ならない」と言われているようにしか感じられない。かといって「今は仕事のことは置いておいて、治療に専念しろ」と言われれば、「お前は不要だ。これからお前をクビにする手続きをするから、それまでに復活できるようせいぜい努力でもしているんだな」と言われているようにしか思えない。こうして全て自分が悪い方向に持って行ってしまうのは性格なのかそれとも病気のせいなのか。全くわからない。でも一言だけ言わせてもらうと、調子が悪くないときは結構頑張ってるし責任もって仕事するタイプなんだよ。

周囲の人が気遣ってくれるからこそ僕が休んでも仕事は回る。この事実に感謝する。
と同時に、自分など居なくても仕事が回るし必要ないんじゃないかと悲観する。

【現在の仕事における自分の価値】

人の役に立ってこそ自分の価値が認識できる。他人との関係があってこそ人間は生きる意味を感じる。

それが断絶されてしまうと、死ぬしかなくなる。

断絶へのプロセスは非常に恐ろしいものだ。周囲から差し伸べられた手が逆に本人を殺す結果になりかねない、罠だらけの思考回路になってしまう。

いまの自分は個性的な能力を評価されているわけでもなく、ただ便利な駒だから社会の片隅に置いてもらっているだけだ。(現在の精神状態ではそのようにしか思えない)

病気によって失ってしまったものがたくさんある。その結果かどうかは分からないが今の自分には上向きに努力して能力を獲得して周囲の信頼を厚くする努力が明らかに足りないし、その結果として仕事に関して何の主導権も決定権もない。
このように自分のせいにしてはいけないと分かっているんだけどどうしようもない。
愚痴は言いたくないという気持ちと、こんなこと続けていられるか!という気持ちの狭間で悩んでいた。自分で起業したのならともかく、サラリーマンなんてどんな仕事していたって結局時間を切り売りしているわけだから、熱い想いとか情熱とか関係ないと割り切ることもできる。我が尊敬する本田宗一郎に背を向ける行為だ。割りきってしまえば仕事のやり甲斐とか達成感なんてものは幻想でしかなくなる。そんな状況の中で仕事のパートナーに対してベストな状態でサポートを提供して高い評価を得るのは淡々とこなすべき仕事のひとつとなる。しかしそれすらできていない。
そもそも自分は何をサポートしているのか。

こんな幼稚なことで頭がぐるぐる回る自分はどうかしているんじゃないか。

いままで一度たりとも心からメンターと呼べる人に出会ったことがないのではないか。

【現在の家庭における自分の価値】

わからない。家族から見たらもしかすると「お金を稼いでくる人」以上の価値は何もないのかもしれない。こと家族とのアクティビティに関してはコミュニティに依存したいという気持ちと、他人は他人だから我が道を行きたいという気持ちが錯綜している。ところがそんなことは余計なお世話だったのかもしれない。そうなると自分には、お金を稼いでくる以上の価値は何も無い。病気によってそれもできなくなってしまえばただのゴミなのだ。

【社会における自分の価値】

一消費者、一納税者としての価値。それ以上なにもない。

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