ばっさり捨てるべきもの

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最近よく考えること。
必要なものとそうでないもの。
この区別が曖昧なものがたくさん増えると、人生の貴重な時間を無駄にする。

人それぞれ定義が異なることだから、自分でよく考えなくてはならない。

例えば冷蔵庫は必要。
でも大きな冷蔵庫は不要。
そんな感じで。

うちには不要なものが溢れている。
年末までに全て捨てるか売るかしてしまおう。
こうした気持ちになったのは、相方が不要なものを売り始めたから。
自分の物を売るという行為に慣れていなかった自分は、初めはかなり後ろ髪を引かれる思いでいくつか売ったのだけど、これでスイッチが入ったみたい。

iPhoneやAndroidやフューチャーフォンはどうだろうか?
生活を便利にしてくれる?
生活を豊かにしてくれる?
この境界線がハッキリしてないから、扱いには注意しなければならない。

メールがまとめてチェックできる。仕事のスケジュールがすぐにわかる。業務の資料が出先で確認できる。
とても便利だ。サッサと仕事を済ませて空き時間を作る手助けになる。
しかしそれは、ごく一部の人だけが使っていた時代(ほんの数年前)に限るのではないか?(IT業界以外ではまだまだ普及していないところも多いようだが)
何故なら、こうした便利な機能が当然のものとなれば、それがあることが前提の仕事のやり方に企業全体が、業界全体が変化する。この変化に対して当然ながらIT業界は柔軟なわけで、ある一部の、市場におけるアーリーアダプタが享受していた便利なものは、すぐに当然のものとなる。
こうなると、便利でも何でもないんだな。便利というよりも、仕事が効率化していく。それが当たり前になり、世界中どこにいても電波が届いている限り、仕事から逃れられなくなる。
南の島に旅行に行くからしばらく連絡とれません、なんてエクスキューズができなくなる。
これから先、スマートフォンがさらにコモディティ化してくると、それがギョーカイのジョーシキから、世間のジョーシキになる。

仕事ツールとしての携帯電話(と一括りにしておく)は、毒だ。
不要だと言いたいところだが、時代の流れ。どうにもならないね。

一方、個人的な用途としてはどうなんだろうか。
TwitterとかFacebookとかFoursquareとかiCloudとかFlickrとかLinkedInとかmixiとかPosterousとかInstagramとかEvernoteとかDropboxとかSkypeとかViberとかGowallaとかGoogle+とかGoogleマップとか乗換案内とかInstapaperとかRead It Laterとかその他色々、iPhoneやAndroidをインタフェースとして使うと心地よいサービスがたーっくさん、ある。
しかし最近、サービスに踊らされてる気がする。
Twitterいらねえじゃん。
Facebookいらねえじゃん。
そういう気分なのだ。
それぞれ、いいところがあるし、無料だし(ここ大事なポイント)、やって損はないだろ。やめる必要はないだろ。
そんな感じで、続けているのである。
しかし、それぞれのサービスを使うために、一体どれだけの時間を費やしているのだろうか。
40手前になって、ようやく、時間の大切さに気づいたのかもしれない。
だって、やりたい事に優先順位をつけたら、取捨選択しなくてはならないんだもの。

勉強したいこともたくさん。
読みたい本もたくさん。
記録したいメロディもたくさん。
弾けるようになりたい曲もたくさん。
フルマラソンもサブ4で完走したいし、サイクリングもしたい。死ぬまでに一度は、トライアスロンの大会にも出てみたい。
ダーツもうまくなりたい。

こうした物事に優先順位をつけて、あまり大事ではない事を切り捨てるのは、仕方がないよね。全部できたらいいけど、時間は限られているからね。

……なんてことを、考えていたら、これは家にある不要な物を捨てることと共通しているな、と思った次第であります。

こうして捨てると決めたら、その先には、大事なことに集中できる生活が待っているわけだから、わくわくするな。
さらにいえば、バッサリ捨てたものの痛みが大きければ大きいほど、決意は固くなる気がする。せっかく捨てたのに、また拾いに行きたくはないもんね。

コメント

  1. Chabo より:

    うちは女房がモノをなかなか捨てられないタイプ。

    だから一年に一回か二回、大掃除みたいなときに俺がバンバン捨てる。

    あああそれはまだ必要だからなんて言っても気にせずに捨てる。