上り坂に見えるもの

この記事は約3分で読めます。

――ふとブログエディタを立ち上げて、「Local Drafts」のフォルダを開けてみたら、こんな書きかけの日記があった。たぶん、調子が良くなったから投稿するまでもないと思って放置しておいたものだろう。今の気持ちをうまく言い表しているので、投稿しておくことにしよう。

一旦は切り抜けたかのように思えたが、どうもまだ本調子ではないようだ。

むしろ史上最悪の危機、って感じかな。
本調子なんてものがあるのかどうかも不安になってきた。
僕は永遠にこの悲しいサイクルを繰り返さなければならないのだろうか。

最もディープなうつ状態に入ってしまうと、周囲からの情報を殆ど受け付けられなくなるし、自分からも何も発信しなくなる。今日この時間に存在している意味など、まるで無いみたい。そのためか、時間の感覚がおかしくなる。一日が矢のように過ぎていく。ほんとにアッという間なんだ。今日と昨日の境界線がわかりにくくなる。

調子を取り戻した頃になって初めて、長い時間が人生からすっかり抜け落ちていることに気付き、喪失感と後悔でやるせなくなる。本当に、つらいんだなこれが。
自分でコントロールできる事ではないのだから後悔なんかしたって仕方がないんだけど、ほんとに悔しいんだよね。

僕の人生から少しずつ時間が盗まれていく。近頃じゃ盗まれかたも大胆で、 数ヶ月もの長い時間をごっそり無くなってるんだ。

人工冬眠してた宇宙飛行士が目覚めた時は、こんな感じなのかな。時間がジャンプしたかのように季節が変わっていて、色々な「やるはず」だった予定が何も出来ていなくて、年だけ取ってる。宇宙飛行士との違いは、自分も年を取っていること。

これがたまらなく嫌で、うつになると早く元気になりたいと思う。人生の貴重な時間を無駄にしまくっている。時間を無駄にする余裕は無いんだよ。やるべき事も、やりたい事も、たくさんあるのに。

どうして、素直に気持ちが書けないのかな。
僕はいま、とてもとても深く、こんがらがっている。
仕事もしなきゃいけないし、世の中はいつでもぐるぐる回ってる。
……わかってる。

でも僕は立ち止まってる。
……それもわかってる。

どうにもならないんだ。誰かをわざと傷つけたり迷惑かけたりなんて、したくないのに。

やさしく生きたい。人にやさしく、やわらかく、春の木漏れ日のような人生を送りたいと切に願う。けれどいつも手元に残るのは、骨の髄まで凍りつくような寒い結果ばかり。

何度も人生やめたくなった。でも、あきらめきれないんだ。

「原点に立ち返って、物事を見てみよう」
最近よくそういうことばかり考える。どうしてか分からないけど。

こんがらがったいくつもの問題を、きれいにほぐして分かりやすくしてやる必要がある。そのためには、もう一度スタート地点に立たなければならない、そういう気持ちでいるのかな。

果たしてこんなアプローチが僕の「病気」にとって意味のあることなのかないことなのか全然わからないんだけど、何もしないよりはいいかなと。

でも今はだめだ。それができない。
だってスタート地点がどこだかわからない。

コメント