人生の高低差

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どん底、いちばん低いところ。
崖っぷち、これ以上一歩も引けないところ。

人生とは奥深いもので、どん底だと思っていたところのさらに深いところに落ちていったり、崖っぷちだと思っていたのに、まだまだ背後に余裕があったりする。

同じように、軽い気持ちで登ってみたらなかなか頂上の見えない山もあるし、道を歩いていたら突然落とし穴に落ちることもある。

重力は下向きだと思い込んでいるのは、単眼的思考だ。生まれた時から存在した環境のパラダイムから抜け出せていない。

実生活で我々は重力に縛られている。地球上では、モノもヒトも、等しく、地球の中心方向へ1Gの重力がかかっている。

人生という抽象的な考え方において、重力を前提にした例えを私たちはしばしば使う。人生を登山にたとえてみるとか、運が落ちるとか上がるとか、なんだか生き方そのものまで重力に縛られた考え方をしているみたい。

人がイメージするものとして、どうやら上のほうには良いものがたくさんあるらしい。天国とか、頂点とか、そんなかんじの。これは、宗教の影響?それとも宇宙(そら)や太陽や星々への畏敬の念から定着したもの?

人生の高低差。

人生の高低差が大きい、つまり多様な経験を積んでいる、ということになるのかな。
人生の高低差が大きい人が好きだ。そういう人に出会うと、嬉しい。みんなもそうじゃないかな。

ところで、たまに、超人的な人に出会う。

どういう人かっていうと、本人が経験している高低差よりも高いもの、低いものを、経験もしていないのにモノにしちゃってる人たち。ハッタリの上手い切り抜けの達人か、本物か。こういう人に出会うと、心が震えることがある。そして、どうしたらそんなことが可能なのか、突き止めようとする。

実はすっごい人生経験をしていたけど、それをおくびにも出さないという人もいる。それはすごいことだ。自分には無い余裕だ。自分の大きさを実際よりも小さく見せる余裕のある人に出会うと、正直なところ尊敬と羞恥心と嫉妬の入り混じった複雑な気持ちになる。でもそういう人と関わりたいと思う。

実経験がないのに、それをハイレベルでモノにしちゃってる人たちはどうだろうか。こっちから見たらスーパーマンだ。摩訶不思議で、僕の理性が「そんなことあるわけない!」と全面否定するのである。自分が経験主義者であることを思い知らされる。こういう人は存在するんだ。本を読んで、僕のような凡人の場合には「へえ~、こんなすっごい経験した人がいるのか、自分もがんばろ」という気持ちになる。しかし、スーパーマンな方々は、それをあたかも自分の経験のように吸収して消化してしまうらしい。これは決して「本に書いてあることをあたかも自分の経験のように語る」という意味ではない。それはむしろ僕のような凡人が大きな障害に立ち向かうときに使うテクニックのひとつだ。スーパーマンな方々は、他人の経験を通して、気付きや学びを得る能力が高いのではないかと思う。

しかしさらにその上を行く、アルティメットスーパーマンな方々がいる。前世の経験が記憶として残ってるのではないかしらと思わざるをえない、生まれつき「備わっている」方々である。追体験すらしないで、悟っている方々である。平和な国で何ひとつ不自由なく育ってきた王子様が突然、リアルな死と戦争と暴力をキャンパスに描き出してしまったりする。死と直面したことのない子供が、ものすごい死生観を持ってたりする。ギフテッドなのでしょうか?

うちの妻には、そういうところがある。
いたって普通な日本の家庭で育ってきた。たまにドキッとするような核心をついたおそろしいことを言ったり、自分の単眼的思考を嗜める。「おばあちゃんの知恵」ともちょっと違う。ビートルズの Let it be やシークレット・ガーデンの You Raise Me Up を連想する。しかし本人は、そんなことをまったく意識していないどころか、自分のことを一般人としての平均より劣る存在だと思ってるらしい。不思議だ。

最近の妻は病気がちなせいでさらに自信をなくしていて、そんなドキリとさせられるような機会がなくなってて、とても残念。

ここで最初の話に戻るんだけど、人生の高低差っていうのには、実は重力なんて関係ないのではないか?

自分自身の心が重力に縛られてるから上とか下とか考える。固定概念という鎖にがんじがらめにされた心。

下に落ちるのがあっけないほど簡単なように、上に登るのも同じくらい何でもないことなんじゃないか。

しかし僕らは、本当にあるのかどうかわからない心の重力に縛られているから、登ることについて「リスク」「自由」「責任」「安定」とか、いろいろ考えちゃう。重力的な人生の考え方はあまり良いことではないのではないかという仮説はどうだろうか。もう少し真剣に考えてみよう。

本田圭佑選手が言ってたなあ。結果(目標)を宣言することで自分を追い詰めてから結果を出すって。
凡人とは、もうこれ以上同じ場所には居られないと思ってから本気を出さざるを得ない人か。
凡人じゃない人とは、どんな高みにいてもそこを最終防衛ラインに設定できる人か。あるいは重力なんて感じていないのだろう。上も下もない。どちらかに行くだけだから。

 

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