父方親戚との邂逅

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先日、10数年ぶりに祖母に会った。叔父、叔母、従妹たちにも会うことができた。

僕は我が一家の長男であり、惣領孫である。つまり長男の長男だ。いまの時代、長男であることをメリットと思う人のほうが少ない世の中であることも知ってるし、逆に古いお家制度を崇拝している長男が面倒くさい存在であることも知ってる。僕はそのどちらでもない。僕が長男であることは生まれたその瞬間から宿命付けられてきたことであるし、だからこそ得られたものもたくさんある。それは長男以外を否定する言葉ではなく、一家の長というような大義ではなく、単なる立場としての長男というものを理解することに尽きる。

実父との交流が17年間も絶えてしまっていたこともあり、僕は父方の親類と疎遠になっていた。しかし心の中には常に親類がいた。このたび皆と再会し、自分自身をつくりあげているものは、祖父母をルーツにしているものがとてつもなく大きく存在していることを認めた。

祖先がいなければ今の自分は存在していないのだ。

父方の家系は第二次世界大戦が終わるまで、あちこちに名を残している。戦争に負けたことによって我が一家は様々なものを喪失した。
その喪失に対する執着は、一家だれも持たない。それは当然だ。戦後社会は誰の思惑にも拘らず日進月歩してきたのだ。

私の祖父は帝国陸軍の南海支隊において中隊長として200名の部下とともにニューギニア戦線に向かい、帰ってきたたった8名のうちのひとりだった。
私の曽祖父は帝国陸軍の第一騎兵旅団、第二騎兵旅団の旅団長を務めた将官だった。
つまり軍人家庭である。祖父や曽祖父以外にも、歴史に名を残した軍人が家系にたくさんいる。祖母の家には、勲章を胸にたくさんつけて、チョビ髭を生やし、制服に身をまとった先祖の白黒写真がたくさん飾られている。さらに歴史をたどれば侍の家系であり、赤穂浪士のひとりも祖先にもつ。

私は幼少時から、このような先祖たち、血のつながりの有無にかかわらず、過去に生きたこうした人たちの血と汗と涙のもとに現在の私達の幸せな生活があることを認識していた。生まれて初めて読んだマンガは「のらくろ」である。

実父はそのような家系がもつ苦しみを正面から受け止めきれなかった。私はそれを受け止めることができる最初の世代になる。

私が父方の身内から教わったことは富国強兵でも軍国主義でもない。それは、真実を常に見据える覚悟をすること、大きく考えること、抽象化すること、大義を知ること、そして調和した決断をいつでもとれるよう、勇気をもった大人になることだった。

私は長い間自分を裏切ってきた。もうこれ以上、人生の時間を無駄にするつもりはない。私はこうした家庭に生まれたからこそ、世間一般の人よりも長く深く平和について考え、幸せとは何かについて追求してきたのだと思っている。これからもそれを突き詰めていくのだ。

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