決断の引力

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info.caffeは物質的カフェと非物質的カフェのコラボレーションだ。
物質的カフェとしていま不動前にて稼働中のこの場所。
非物質的カフェとしていまInternetの仮想環境に構築されている場所。

ここinfo.caffeに、TOWNSHIP LABOの考え方に賛同する仲間が集結しつつある。
誰だって、面白いことは好きなのだ。
正確に書くと、命をかけて打ち込めるほど面白いことが好きなのだ。
ただの余暇とか享楽とは違う、本物の面白さを突き詰める変人にはパラダイスだ。
TOWNSHIP(タウンシップ)という思想の原点はそこにある。

面白いことを突き詰めてやるということは、誰かにやらされることでもない。
ましてやあなた自身がやる理由を考えているようでは話にならない。

本当に面白いこととは、突き動かされるようなものだ。
目の前に大好物の食べ物が出てきたときに、食べずにいられないような感覚。
大好きなアーティストの作品を目にしたり耳にしたりしたときに、抑えきれない好奇心。
将来の自分を想像して、そうなりたいという強い願望。
いま作ろうとしているものが完成して、それを人々が使って喜んでいる姿を想像したときのワクワク感。

決して自分だけのためではないのだ。
本当に面白いものには普遍性がある。
あなたが面白いと感じるものは、他の誰かも面白いと感じる。
もしそうでないとしたら、それは本当に面白いものとは認められない、ただの自己満足だ。

勇気というものは誰にでもある。
ただそこに、決断があるかないかだ。
大きな決断から小さな決断まで。いろんな決断が人生の中にはある。

「よし、そろそろ歯を磨いて寝るか」
「よし、これが完成するまでやれることを全部やるか」
「よし、これで生きることにするか」

そこには、余計な計算などいらない。
考えれば考えるほど、決断力は鈍る。
どんなにロジカルに生きていても、決断するときは、頭を空っぽにして直観力で決めるものだ。
損得勘定に終始していたら、あっという間に決断力の厳選である精神力が欠乏し続けて、気がついたら人生という短い時間は終わってしまう。

決断には、精神力という名のサイコエネルギーを使う。
大事なことだからよく読んでほしい。
「やる」と決めることも決断。
「やらない」と決めることも決断。
そして、「やるかやらないか決めない」ことも決断なのだ。

だからもし、YesかNoか決め兼ねたまま、ほんとは決めたいのに決める勇気が出ないままだとしたら、
それだけで精神力を消耗してしまうんだ。

決めた後は、スッキリしたもんである。
もう迷う必要も場面もないから。
もし迷うならば、それはまだ決めてないということだ。
精神エネルギーが漏れ続けているぞ。
そして疲労して、どんどん決断力が鈍っていくのだ。

決断、という二文字をよく見てほしい。
決めて、断つ。

決断するとき、人は取捨選択をしているということだ。
捨てることができない人には、決断はできない。
そして取ることができない人にも、決断はできない。

決断するということは、取るものを決める覚悟と、捨てるものを決める覚悟なのだ。

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