至上の体験

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個人的に起きたことをどこまで書いていいかな、って思ってしまうので、メタ化した情報ばかりブログにもFacebookにも載せています。実際にあった出来事から導き出されたこと、感じたこと。

昨日2018年4月4日は、生涯の印象に残る日のひとつになるでしょう。
(最近、そういうことが増えています)

船橋から品川に向かう総武線快速で音楽を聴いていて感極まってしまった話は前の記事の通り。
品川駅で、涙拭いてました。でもなんか、悲しいっていう涙という感じではなくて、涙を流した後、目の前に草原が広がっているような爽やかな気持ちになる、そんな体験でした。
心のどこかで、なにかに覚悟が決まったような、自分が進んできた道に間違いがないことを全身で実感できたような、納得感のある、けじめの涙だったように思えます。

そのとき僕は、中目黒にあるウイスキーバー、APORONIAさんを目指していました。
目黒経済新聞の記者として、そこで開催されるという「カナダと日本をつなぐイベント」の取材をするためです。

途中、時間が余ったので渋谷でコーヒーを飲みながらタバコをくゆらせて、人間観察。

人っていろんな姿をしていますが、僕はいつもその芯にある魂を見ようとしてしまいます。
外見っていろんな先入観を生んでしまうので、最初に見るべきものではないと思います。
だから僕は相手の外見にピントをまず合わせません。それは、後回しです。
肌の色、国籍、性別、表情、髪型、服装、話す言葉、すべて、ただの情報として重みを置かずに見る癖があります。
僕はオーラの色も霊も見えないのですが、魂の性質のようなものがリアルに見えるということに自分で気づいたのは最近のことです。
生まれてから40年以上もの間、僕はこれが普通のことなんだと思い込んでました。
だって、他の人には何が見えてて何が見えてないのかなんて、わからないですから。

思い返してみれば、よく「あなたはスピリチュアルな人だね」とか「普通の人には見えないものが見えるんだね」とか言われることがありました。でも僕はそれを聞いて「???」ってなってました。
僕は目に見えるもの、自分が感じられるものしか信じないし、なんとなく見たことがないものを頼りにして生きてきたつもりがまったくない。むしろ、見たことがないものを信じることを毛嫌いすらして生きてきましたから。
でも自分が思ったこと感じたことを正直に口にすると、すごく場が微妙な雰囲気になってしまうことが多くて、とくに日本ではそれが多くて、いつのまにか、自分の感じたことはすべてさらけ出してはいけないものなのだと学習してしまっていました。
ところがここ数年はそのルールが自分の足かせになっていることに気がついて、どう思われてもいいや。信じてもらえなくてもいいや。だってこれが僕にとっての真実なんだから。頭がおかしいと思われても仕方がない。そう開き直るようになりました。
心の殻がひとつ、またひとつとなくなっていく感覚が強く、そのたびに僕は、生きる幸せを噛みしめるようになっていきました。

そしてまた気づいたのです。
ああ・・・皆に見えてないものが僕だけに見えているのではないんだ。
見えてないと思い込んでいる人は、その思い込みに支配されて、見えなくなっている(と思い込んでいる)だけなんだと。
すべての人の魂には無限の可能性があることに思い至り、感動したことを覚えています。

僕はある時からずっと「大人になろう」と、血の滲むような「努力」をしてきたのですが、うまくいかないことだらけでした。
魂が大人になることを拒否するんです。でも大人にならないと学校や会社のような組織でうまく馴染んでいくことができない。頭でわかっていることと、心でわかってないことがいつもせめぎ合い、苦しみ、葛藤してきました。そしてやがて、魂が向かいたいところに頭で逆らうことはできないのだ、と悟りました。
大人になりきれないのではない。大人になんてなりたくない。
45歳にして、子供であるということです。これはもう、どうしようもないんです。
医学的に分析したら、何かの欠陥って言われるのかもしれない。でも本当にどうしようもないんです。
そういえば、発達障害って診断されたこともありましたっけ。
でもね、言い訳するわけじゃないですが、発達障害っていう言葉で僕のことを見下さないでください。
あーやっぱり馬鹿だったんだなって決めつけないでください。
確かに僕は、猪突猛進型の馬鹿だと思われることが多いです。
でも本当は違うんです。自分にしか見えないものを、みんなも見えているものだと思いこんで生きてきてて、それを基準のなかに自然に取り込んで生きてきただけなんです。
7〜8年前でしょうか。発達障害の疑いがあったときにIQテストを医師に勧められて受けました。僕のWAIS-IIIの全検査IQは、160を越えています。学がないけど、知恵遅れではないんです。標準偏差24のIQテストで言えば、僕のIQは200を越えています。
誤解なきように言っておきますが、先日記事にも書きましたが、知能指数は一面でしかありません。
ここで僕が主張したいのは、僕が論理的にものを考えられないような知恵遅れで言い訳をしているのではないということです。決して「僕って頭いいでしょ」って自慢したいわけではないんです。これもよく誤解されてしまうのです。

他の人には見えていないものが見えていることに気付くのは本当に大変です。
そして、気付こうが気付くまいが、生活上とても困ります。

たとえて言えば、歩いていてもし目の前に電柱があったら、避けますよね。
でもその電柱が僕にしか見えてなかったら、周りの人から見たら、僕は何もないところで突然、迂回をしたように見えます。
それで、人に尋ねられるんです。
「まっすぐ歩いてたのに、今どうしてぐるっと回ったの?」って。
子供の頃は「そこに電柱があったでしょ、それを避けたんだ」って言ってたかもしれません。
でも今では僕はそれでピンときてしまいます。あ、またこれか、理解されないやつかって。
理解されない理由が、他の人には電柱が見えてないからだということは知らなかったんです、つい最近まで。
でも体験上、このまま正直に説明しても頭がおかしい奴だって思われることは痛いほどよく知っているので、いつしか、正直に「電柱を避けた」とは答えないようになっていったのです。

しかし自分の正直さを曲げてまで他人に気を使ったり合わせたりする必要はないと結論したその瞬間から、僕はその「電柱」の存在を認め、他者との違いに気付き、人というものの奥深さに感じ入り、人の尊厳というものについて思い巡らせました。
僕は、見えるものは見えるのだから、見えないふりをしたり、尋ねられたときに誤魔化すのはやめようと決めました。

そうしたら、人生に不思議なことがたくさん起こり始めました。

まずはじめに現れた変化。それは、「わたしには見えないから到底信じられないけど、あなたがそう言うんだったらそうなんだね」と許容してくれる人がたくさん周りに増えてきました。

そのうち、「はじめは信じられなかったけど、その話が本当なんだと信じざるを得ない証拠」がたくさん突きつけられて、半信半疑の人が信じてくれるようになってきました。

さらに、「わたしにはあなたが見えるものは見えないけど、わたしにはあなたに見えないものが見えてて、ずっと人に話せずにいた」という人も現れました。

そして次には、「わかるよ。わたしも同じものが見えてるよ。それは誰にでも見えるものではないんだよ」と教えてくれる人まで現れたのです。

それから僕の魂は昇華し、成長しました。
だれにも理解してもらえなかったものがようやく理解してもらえたことで、心の奥底から喜びと幸福感があふれてきました。
いままで苦しんでいたものが、帳消しになったような気持ちです。
そして自分自身を理解してあげられたことが、とっても嬉しかったのです。

当たり前になりすぎてて、苦しいということも自覚しなくなっていました。
解放されてはじめて、苦しかったということに気づいたのです。

中目黒のウイスキーバー、APORONIA。

そこで取材をしていて、とてもとても素敵な空間に巻き込まれたことに気が付きました。
そこで出会った人たちが、皆、素晴らしく輝いている。
そして、心の芯のところで話が通じる人だらけなんです。
なんてことだ、と思いました。
こんな夢みたいなことがあるのか。
初めて出会った人しかいないこの空間で、こんなに深く感じ入り、共感できる人たちしかいないなんて。
生きててよかった。そう思ったんです。

すべては、お互いの引きつけ合う力なんだと思います。
目に見えない力。

カウンターの向こう側で、心の底からリラックスしてしまう優しさを放つマスターの橋口さん。
彼が放つ見えないエネルギーに引き寄せられたような気がしました。

誰と話をしても、ちょうど自分の中でリアルタイムで起きていることそのものの説明だったり、自分が目指している姿が具現化したような経験を持っている人だったり、同じ方向を見ている人ばかりでした。

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