邂逅

本当に大切な経験は、直接ここには書けない。
それは友人と過ごした大切な時間だったり、心から通じ合ったりしたこと。

だからこうして遠回りな書き方になる。

普段決して人の助けを求めない友人から救援要請がきたとき、僕は迷わず万難を排してでも友人のもとへ行く。
そして友人との心温まる交流。

僕は最近、感動することだらけだ。生きてて本当によかったと思っている。

友人と書いたけれど、いままで出会った人すべてを大切にしているつもりだ。
たとえわかりあえなくて去ってしまった人でも。
その思いが通じ合ったとき、とても素晴らしい心の通じ合いが起きる。
いつかそういうことが起きることを信じている。だって僕は僕で、いつでも誰に対しても精一杯やっているから。

今日は本当に素敵な日だった。

こんなふうに、心通じ合う人たちに囲まれて生きる日々をダイレクトに感じていると、こうした日々が永遠に続くことがないことについてどうしても思わずにいられない。
だからこそ、毎日を大切にしたい。
朝起きてから、夜眠るまで、あるいは死すその瞬間まで、後悔のないように生きていたい。
さまざまな人間模様で、思い通りの結果が得られないこともたくさんある。
けれど僕は、誠実さと純粋さだけは失いたくない。
僕はひとりの人間で、完璧とは程遠い。ときに、相手が期待したことを与えられないこともあるし、想いがぶつかりあうこともある。けれども、僕は自分が間違っていることをしていることに気がついたら素直に反省し、相手に謝罪する。僕が間違っていないと思うことについては、どうすることもできない。それを、毎回繰り返して生きるしかない。
不器用と言われても、自分を曲げて生きることで、自分らしさを失った生き方はできない。

こうして生きてきて、相互理解があったときは、幸せを感じるものだ。

僕は人に媚びない。媚びることで何も得しないことを知っているからだ。
気の利いたセリフだって言おうと思えばいくらでも言える。けれども、それをあえて言うことをやめたのだ。
僕は相手の気分をよくすることで本質をごまかしたくない。
それで、お互いに自分を曲げずにわかりあえる関係があるはずだ。
さらに言えば、お互いを曲げずに本来はすべての人とわかりあえるポテンシャルがある。
ただ、自我によって様々な誤解が生じ、わかりあえなくなってしまっているだけなのだ。

“邂逅” への17件の返信

  1. 彼は、仲間のためと自らは赤を出し続ける。
    例え相手が黒を出してもそれに、気付けず赤を出し続ける。
    仲間のためなら負を負う覚悟と言うが負にならない。

    彼は、黒を出し続けていると言うかもしれない。
    暗闇では波長の長い赤は黒に見える。
    真実の黒を出せた時、マイナスの大きさに落胆する。

    そして彼は、人によって生かされている事に気付く。
    真実の黒を出せる行動が本当の意味での負を負う覚悟。
    それが信じる事であり、気付く事。

    • 自分が赤と思ったら赤を出す、黒だと思ったなら黒を出す。
      それが相手と同じなら仲間かもしれない。
      仲間のために赤を出す気持ちが私には理解できない。
      自分は何色なのかな。
      わたしは、負を負うのは嫌いですね。

    • 匿名さんがおっしゃってることは詭弁ですね。
      林さんは、仲間のために色を選ばず、自分で判断して色を選ぶとおっしゃっています。
      だから、黒を出すことは決してないし、出したとしても落胆しようがないですよ、だって自分で決めたくて決めてるんだから。
      暗闇云々は何か言いたくて失敗してる感じがします、つたわりません。
      ところで真実の黒って書いていらっしゃいますが、真実は人の数だけあります。
      真実が1つしかないというのは悪い意味で宗教的ですね。

  2. 赤と黒の本当の意味がわかったら面白いと思います。
    申し訳ないのですが、これはなぞかけかもしれませんが。

    • 謎かけですか?
      自分の意見を正々堂々とここで言えずに逃げてるだけのようにしか見えませんね。
      名前も知らない人の謎かけに乗るほどわたしは暇ではありません。

  3. ことばとは、そういうものなのです。
    わからないこととは、そういうものなのです。

    わからないままでよいのであれば、それはそれでよいでしょう。

    • 横から失礼。
      通行人さん、自分からコメント入れておいてそのコメントは上から目線ですね。あなたのそのままそっくり、あなたが最後に書いたメッセージをお贈りします。
      本気で書いている方に対して失礼だと思わないのでしょうか。

      • わたくしは、最初のコメントはかなり本気で書いております。難解なのは十分承知の上で記させていただきました。

        またじさまへのコメントは、お詫びいたします。

        • 難解でもなんでもないですよ、通行人さん。
          あなたが、林さんの書かれていることを勝手に曲解していることが、はたから見ていて痛々しいです。
          通行人さんの最初のコメントこそ、まだまだ考えが足りないし想定範囲も狭すぎて話にならないと感じました。

          • これはですね、赤と黒のゲームなのです。

          • ゲームにたとえていることくらい、小学生でもわかりますよ。
            その例え方からみえる通行人さんの考え方がおかしいと指摘していますが理解されていますか?

            具体的に言いましょう。。。

            通行人さん「彼は、仲間のためと自らは赤を出し続ける。」

            彼とは通行人さんのことですか?この後の文脈で「彼」の行動のブレを指摘したがっているようですから、通行人さん自身のことを指摘していないことがわかります。さてそれでは、もっとわかりやすく直接的に書いてみますか。あなたは「林さんは、仲間のためと自らは赤を出し続ける。」と読めばいいということがわかりますが、林さんのブログちゃんと読みましたか?とわたくしは指摘したいのです。林さんは「仲間のため」だからこそ、「自分が信じる色を出す」とこの文章では主張されております。なぜならば、仲間のためになる色は赤なのか黒なのか、それは永遠に理解できませんし、仲間がもし複数ならばなおさらのことだとわたくしも思います。
            であるからこそ、林さんは「人に媚びない」と書いていらっしゃるわけです。わたくしはその部分にとても強い共感をしました。

            通行人さん「例え相手が黒を出してもそれに、気付けず赤を出し続ける。」

            上記の理由から、林さんは「気づけず赤を出し続ける」のではなく、あえて他人が何色を出すのかを見ようとはせず、常に自分自身に対して誠実にいようとするがために、自分が信じる赤を出し続けると説明しているのだと、読み解けないのでしょうか。もしそう読めないのだとしたら、通行人さんは林さんにただ議論で勝ちたいだけで、林さんが言っていることを理解しようとしているのではないということがわかります。
            理解するつもりなく自分の意見を押し通して勝ちたいだけですか?あなたは小学生くらいの未成年の方でしょうか?あえて煽らせていただきますが。

            通行人さん「仲間のためなら負を負う覚悟と言うが負にならない。」

            繰り返しになってしまいますが、仲間のために負を負う覚悟など、林さんの文章のどこにも書いていません。妄想でしょうか。よく読み返して、林さんが伝えたい本質を理解する努力をしてみてはいかがでしょうか。わたくしは林さんを擁護する立場にはありませんが、おそらく通行人さんは信じないと思いますね。信じる信じないは別としても、通行人さんは理解する努力が微塵も感じられず、通行人さん自身の価値観に照らし合わせて独自解釈を展開なさっているだけのように見えます。むしろ林さんは、他人の負など背負わないし、それこそが自分にも誠実であり、他人のことについて全責任をとることなど物理的に不可能なこの世の中の基本的な仕組みのなかで、他人の選択について責任を負うつもりがないばかりか、他人の選んだ色もまた自由であるということを主張なさっている点が、この林さんの文章のフォーカスだということです。わたくしはこれを読んで、林さんの自立性や責任感に感銘を受けた立場ですから、それを否定されるような通行人さんのコメントには黙っていられません。

            通行人さん「彼は、黒を出し続けていると言うかもしれない。」

            これは遠回しな言い方で腹が立ちますが、簡単に訳すと「林さんは嘘をついているかもしれない」と主張なさっているようにしか読めません。嘘をついているかもしれないなどという詭弁を根拠に議論をしてしまったら、なんでもありになってしまうではないですか。
            嘘だと思うなら読まなければいいだけのことです。わざわざ他人様のブログに訪れて、ご本人が主張されていることを「おまえは嘘をついているのかもしれない」と言っているのと同じことを、通行人さんはなさっていることに気づけないのだといたしましたら、通行人さんはいったい何を言いたいのでしょうか。他人に自分の意見を押し付けて勝ったつもりになって満足したいのでしょうか?

            通行人さん「暗闇では波長の長い赤は黒に見える。
            真実の黒を出せた時、マイナスの大きさに落胆する。」

            つまり林さんは嘘をついていて、他人に対しては黒を出していると上手にだまくらかして、赤を出す嘘つき人間だと主張なさっているのですね。それと同等のお言葉を通行人さんは書きました。ひどい人ですね。
            「真実の黒を出せた時、マイナスの大きさに落胆する」の文面から通行人さんが言いたいことは「林さんは嘘をつくまでもなく、本当に黒が正しかったことを知ったとき、嘘をつく必要もなかったことを知って、過去のことがすべてマイナスに映って落胆する」とご主張なさりたいのでしょう。
            前提の誤解から、ずーっと通行人さんが間違った論理展開をなさってしまっているということにお気づきでしょうか。
            どんなに論理が合っていても、前提が間違っていたらこうなってしまうのです。繰り返し書きますが、仲間のために色を選ぶとは林さんは一言も主張しておりません。それを読みきれずに曲解した通行人さんの読解力のなさ、あるいは読解したくないか、いずれかわかりませんが、そこに問題があるということで、通行人さんの論理展開力を否定しているわけではございません。

            通行人さん「そして彼は、人によって生かされている事に気付く。
            真実の黒を出せる行動が本当の意味での負を負う覚悟。」

            真実は、個人に属します。
            たとえば太陽を見て赤いという人もいれば白いという人もいますし黄色いという人もいます。それぞれにとってそれぞれの色が真実なのです。
            だから「真実の黒を出せる行動」という集団的幻想は無意味なのです。
            まず林さんが嘘をついているという前提に立つのはやめましょう。そういった議論のすすめかたは、林さんに限らず、相手の人格否定につながりかねないことです。

  4. 「赤黒ゲーム」というのをご存知でしょうか?

    ネットにはいくらでもありますが、一般的には知られていないので確かに色々な解釈になってしまう事は、その通りですね。ただ、まずは、「赤黒ゲーム」というゲームのルールを調べていただければと思います。

    また、私はここでは個人名は使いません。私はブログ主さまへの一助になればと書かせていただきました。私は、どちらかというとブログ主さまを擁護したい立場で御座います。

    • http://www.dma.aoba.sendai.jp/~acchan/Seminar/basic.html

      通行人さん、まったくあなたは頭が固い。
      わたくしは、通行人さんが「林さんが赤黒ゲームで得るものに気づいていない、だから擁護する側として林さんに『気付かせてあげたい』」という立場をとる態度が傲慢であると、最初から指摘し続けてきているのです。客観的にみてわたくしは、通行人さんのほうこそが、「赤黒ゲームで得られるような教訓を林さんが得ていない段階にある」という勝手な大前提で林さんを見ているということを指摘してきたのです。
      そのような態度が、意図せずして蔑視になっていることに気づいてください、通行人さん。あなたが人生で損をしますよ。

  5. どう言う前提で話すかは、十人十色なのでそこはあまり突っ込まれても困ってしまいます。
    赤黒ゲーム、論より証拠、実際にやってみたら面白いと思います。但し、ルールを知っている人は必ず参加者から外す必要があります。ご存知の方もいると思いますが、また、ネットでも書いている通り、これ、自己啓発セミナーの定番ではありますが。。

    • 同じように、どういう前提で話すかは十人十色なので林さんもあまり突っ込まれても困ってしまうかと思います。論点がずれていることにお気づきではないのでしょうか。

    • ずっと黙って皆さんの会話を楽しんでいようと思いましたが、コメントさせていただきます。
      通行人さん、赤黒ゲームについてご紹介ありがとうございます。
      僕の父は何十年も前から人生哲学の教育者をやっておりまして、自己啓発と人生哲学については幼少から父の背中を見て育ってきております。
      実際、赤黒ゲームという名前は初めて目にしましたが、knさんが掲載してくださったURLから内容を確認させていただきましたところ、僕の父が名前こそ違えど、昔このゲームについて教えてくれたことを思い出し、懐かしく思いました。
      自己啓発に関するゲームや集団活動の肝は、その前提を疑わなくなることだと学ばされてきました。
      こうしたコーチング技術は、さまざまな人生のステージのどこかで役立つポイントもあるのだろうと思いますが、それに捕らわれていてはその先に行けない。前提を疑うことの大切さを父から教わってきました。それを突き詰めると、自分というものの価値や他者とのかかわりあい方の見直しというステージが発生して、次に「自分らしく生きる」ことに誠実かつ忠実であることの価値への気付き、さらにそれを貫く意思の源泉は何であるか、という自分への問いにつながると思います。

      一言でいえば、赤黒ゲームの自己発達段階は、僕自身にはいま不要ということです。
      もしよろしければ、赤裸々に語っている20年間続くこのブログの他の記事も目を通していただければと思います。
      それから、見守ることと押し付けることは違うということについてもご配慮いただけると助かります。

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