記憶は愛のひとつの形

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会社という、自分ではない誰かによって集められた組織にどのような人が集まるかは、当然ながら自分の意思で決めることができない。会社を去ってから決めたのは、自分の中にあった思い込み・執着心・我慢をひとつひとつ外していくことと、誰に対しても自分らしい態度を取り続けることだ。そうすると必然的に、自分と繋がっている1人1人の人間との関係性が調和していき、適切な距離感になっていく。それはさながら、先日、君津のマリポ農園で教えていただいた「地球暦」にあるように、太陽のまわりを周回する惑星たちがすべて、遠心力と重力のバランスで調和したところにあるかのようだ。

今までの人生も次々と活動の場所を変えていく日々だったから、人付き合いは常に変わり続けてきたけれど、ここ2〜3年間でそれはさらに加速し、数年前の自分には想像もつかなかったであろう人間関係の輪が構築されている。
昨年だけで、軽く100人を超える人との出会いがあった。もしかしたら200人を超えているかもしれない。僕の名前を覚えてくれた人は100人以上いるって確信がある。きっとそういう時期だったのだろう。

出会ったからといって、すべての人とのつながりが維持されるわけではない。一期一会を信条にすべての出逢いに対して誠実にスタートするけれども、運命のいたずらとか縁とかで、つながる人とつながらない人がいる。
そしてつながりが維持された人の中からごく限られた人とだけ、無理なく自然に波長が合って、それが偶然ではなく必然と思える貴重な関係に育っていく。まったく違うところで育った人間同士が惹きつけ合い、よき理解者となることは、運命の美学としか言いようがなくて、得も言われぬ感動を呼ぶ。

まっすぐ生きている人たちに囲まれていると、自分にはまだまだ足りないものがたくさんあることに気付かされる。
そこには言葉はない。すべては相手の態度や雰囲気や行動から見えてくる人生そのものだ。

地頭がおそろしく良く、考え方が柔軟で、光り輝く特質と純粋性をもち、さらに人一倍の努力をまるで朝飯前のようにさらっとこなし、体力と時間のすべてを情熱に傾けるという、どこからみても非の打ち所がない人ばかりである。
それだけの能力と努力をフルに出し切ってきってきた人生であれば、当然の結果として、それぞれの分野でトップレベルの実力を持つ。こんな人たちと巡り合わせていることに、恐れ入るというか、ありがたい気持ちでいっぱいだ。しかしありがたがって終わるわけにはいかない。自分に足りないものをまざまざと見せつけられ、気が引き締まる。足りない自覚をもつことは、目標設定に大きくかかわるから、人間性や人生への影響があるのだ。

なにしろ僕は「タイミング」がこないと動けない。この「タイミング」って一体いつなの?と聞かれると、それを説明しようという努力もめんどくさいという体たらくだ。
事業計画を美しく仕上げ、研究・調査・分析・立案・実施計画・試験を経て実施する。
口に出すのは簡単なことだ。しかし実際にやるためには、僕には忍耐力というものが足りないのではないか。
どうにもこうにも、思ったようにいかない。僕はいま、壁にぶつかり、転びまくり、まるで歩き始めたばかりの子供のように無様な姿を晒しながら、恥ずかしげもなく不器用に前進しているつもりになっており、それを実力ある仲間たちが寛容の心を最大限に発揮しながら、口を出さずに見守ってくれていることを強く感じるのだ。その優しさが伝わってくる限り、僕は自分の無様でカッコワルくてどうにも失笑するしかないような歩き方しかできなくても、誰にどう思われても、全力で走り続けることでしか皆の優しさに応えることができないのだ。僕には金も名声も名誉も実績も経験もない。はじめてのことに、まるで駆け出しの見習いのように、わからないことはわからないなりにわかろうとする努力をして、皆さんがくれた機会や教えを一言ももらさずに耳をかっぽじってよく聞き、その言葉が意味することを何度も何度も咀嚼して深く理解しようとして、不器用なりに1ミリでも多く前進できるように努力しつつ、願わくば1秒でも早く、皆さんのご期待に添ったスピードで走れるようになるために、できることを出し惜しみせずにやるしか道はないのだ。

皆さんの期待に沿った自分になれるかどうかなんて、神様じゃないんだから誰にもわからない。
でも僕は皆さんの期待のもと、これだけ純粋で誠実に積み重ねられてきた皆さんの人生の夢の一部を背負わせていただいている。であれば、うまくいくかいかないか考えている時間すら不誠実ではないか。僕は少しでも自分を甘やかしたら、きっとあとで後悔する。全力の全力の全力で前に進んで、腕がちぎれても足がもげても前に進んで、それでもうまくいかなかったときには自分を許してあげられるかもしれない。でも少しでも全力じゃなかったら、きっと自分で自分を赦すことができない。それは、僕だけの問題ではないからだ。僕にとって大事なのは自分の人生の美しさではない。関わってくれた皆さんの人生だ。その賭ける思いこそが僕の原動力であり、夢を実現することこそが、人生の喜びだ。それが達成されなかったとき、自分の限界が原因だと心から思えたらそれで仕方がないと思う。でも「もっとやれたはず」なんて思いがあったら、必ず後悔してしまうだろう。
本当はそれでもいい。後悔したら、その後悔をバネにまたチャレンジしていくことができる。でもそうやって積もった心の淀みは、なかなか昇華することができないことも知っている。

ここまで書いて、これは勘違いされかねないかな、と思ったので、補足しておきたい。
ギリギリの限界まで全力でやるということは、とにかく無茶苦茶に働くということでは決してない。
ときには他人様から見たら「こいつ頑張るって言ってたのに全然頑張ってないやん、アホやな」と思われるような行動もとるのだ。自分の知力・体力・精神力、感受性、創造力、健康、すべてつながっている。この総合力を最大限にすることとは、つまり自分が超絶ハッピーであるということだ。走り出したい衝動をこらえて、ふと目先の木々の美しさに没頭すべき時も存在する。なにもかも忘れて突っ走れる区間もある。そのバランスをとれるのは自分以外にない。

ここ1年ほど、「食」を主軸にして、たくさんの新しい経験をしてきた。最初はふとした思いでしかなかった「こんな食堂があったらな〜」というアイディア。あのままフッと消えてしまってもおかしくなかったアイディア。これが消えずに残り、最初はマッチの炎程度でしかなかったものが、いまやキャンプファイヤーと呼べるくらいには、なってきた。食の世界で多くを学んだ。食べるという基本的な人間の営みの裏にある、奥深く、美しい世界の片鱗を体験した。そして今なお、未体験ゾーンの広さが想像を絶するような他世界とのつながりをもっていることに、感銘を受けている。

食べる喜びの本質を体で理解している人は、ごくごく限られてしまっているというのが、現代人の病気なのだろう。
味は、舌で味わうものではない。だからといって、視覚や聴覚などの五感だけで味わうものでもない。自分の中に存在する全宇宙、全経験、それと、その料理が出て来るまでに関わってきたすべてのモノ、コトたちの集合として存在する。

僕は、中西さんのピザを食べたとき、その愛あふれる宇宙の片鱗を感じて、胸の奥から突き上げてくるものを抑えきれず、感極まった。これはきっと、中西さんの実力でもあり、そして心開いたいま、僕はどこか他のレストランでも同じような想いをするに違いないという確信があった。

小さい頃に母が作ってくれた、なんてことはない日常のごはん。
忘れられない、優しさの記憶。誰にだってあるはずだ。

その優しさに応えられない、まだ非力だった幼少時代の自分。
それは、僕がまだ5歳だった頃の記憶だ。埼玉県上福岡市(現在のふじみ野市)で、母と、自転車で買い物に行ったときの記憶だ。詳しく覚えている。そのときの天気、自転車のカゴの錆、空気の匂い・・・。
僕はあの日、あるイベントがあって、とても複雑な感情になった。そのとき、決意したことを思い出した。それは、次のようなことだ。
「いつかきっと、自分の両親を、じいちゃんばあちゃんを、近所の優しいみんなを、商店街の八百屋や肉屋のおじちゃんおばちゃんを、そしてまだ見ぬすべての優しき人たちを、みんなみんなを笑顔にできる、立派な大人になりたい!!僕はどうしてこんなに体が小さくて何も知らなくて無力なんだ!!!絶対に、大きくなったらこの願いを叶えてやる!!!」

高校1年生のあるとき、母が仕事で一杯一杯になりながらも、時間がない中つくっておいてくれたごはん。急いで作ったものだから、おいしくないときもあった。僕はなにも知らないガキだったけど、おいしくないなんて思えるはずがなかった。僕はいつか、母がゆったりと自分の時間をとって、幸せを噛み締めながら自分のやりたいことができるようになってほしいと心から願い、母の自由を奪わざるをえない、まだ手のかかる自分を早く卒業したくて涙した。

父の仕事がうまくいかないときでも、父ができる唯一のこと、食器をきれいに洗うことを欠かさないのを僕は見ていた。
父が洗った食器は、ひと目見ればすぐにわかった。ゆっくりと時間をかけて丁寧に洗っていた。
僕はその食器を見るたびに、自分の非力さに唇を噛んだ。

そうした様々な記憶と感情が、溢れ出てくる。
本当の優しさを備えた料理には、そういう力があるのだ。

僕は生まれてくる前からの記憶をずっと持っている。
0歳以降の記憶もある。忘れることができないのだ、これはある意味、ビョーキなのかもしれないと思った。

サヴァン症候群のことを、脳科学者の茂木健一郎先生から教わった。
ひと目見るだけで景色のすべてを記憶する人、未来の日付を全部曜日まで言える人、数千冊の本の一語一句すべて覚えている人、円周率を何万桁も覚えている人・・・。

はた、と気がついた。
記憶とは、愛そのものであるということに。
愛する対象は、人によって異なる。

君津で、こんなに純粋な子がいるのかと衝撃を受けるほどに純粋な15歳の少年、タオくんと知り合った。
タオくんは僕に聞いた。

「この世でいちばん好きなものってなんですか?」

その輝く瞳から目を逸らせないまま、僕は突然自分を試された。
そして出てきた答えは、揺るぎなかった。

「この世で一番好きなものかい? 僕が一番好きなのは、人だよ

そして想う。

僕が一番好きなのは、命あるものすべてである。

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