いちばん大切なもの

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0歳で愛されることを知り、
1歳で失うことに恐怖し、
3歳で愛する者の願いが叶うばかりではないというこの世の無常に絶望した。
5歳で立ち上がることを決め、
6歳で別れの絶望を知った。

1987年、15歳の夏、横須賀新港埠頭で行われたREBECCAの野外ライブ、FROM THE FAR EAST。

このライブでNokkoが僕に与えた衝撃。

それから僕は同級生のギタリスト、斎藤君とふたりで、バンド仲間を探した。
当時はバンドといえば高校生から、みたいな意味不明な風潮があり、中学生を受け容れてくれるバンドはなかなか見つからなかった。

ようやく見つけた仲間と、REBECCAのコピーバンドを始めた。
飲み物をよくこぼす天然系オッチョコチョイなボーカルの女の子と、
寡黙で大人っぽかったベーシストと、
チームをまとめるマジメだけどちょっとネジが飛んでるメガネのドラマーと。
斎藤君と僕以外はみんな高校生だった。

千葉や市川のライブハウスを中心に活動をはじめ、
そのうち、オリジナル曲もできた。
僕たちも高校生になり、その頃には、地元ではちょっとは知れたバンドになってた。
自分が通ってない高校の文化祭に飛び込みで行って、そこの生徒から制服を借りて生徒のふりをしてライブやったり。
それからしばらくして、東京に行こうって話になって。
池袋、浅草、渋谷。
あちこちでライブした。
対バンもたくさんして、知り合いも増えた。
いろんな人たちと知り合った。
みんな、爆発しそうなほど熱くて、
頭がふっとびそうなくらい、大声で主張したい抑圧されたエネルギーがあって、
オトナたちが作り出した理不尽をぶっとばしたくて、
大切な仲間だった。

いつしか僕らは、オトナになってた。
あの頃の迸るような熱い思いはどこへ行ったのか?
Bryan AdamsのSummer of '69を聴きながら、楽器とともに熱い思いまで捨ててしまった連中を、僕は見限った。

16歳でアメリカに行き、洋楽を知った。
抑圧から解放された僕は、あらゆる音楽を吸収した。
アメリカですら、抑圧するオトナとのぶつかり合うエネルギーがあった。それも凄まじく。
それでもまだ、本気でぶつかれるだけ健全だと思った。
日本のオトナみたいに、見てみぬふりをする奴は少ない、まだ古き良きアメリカを残す、中部の田舎町だった。
僕は仲間といっしょに、世間が言うところの、善いことも悪いこともたくさんやった。

帰国して、すぐに息苦しさに後悔した。
日本に帰ってこなきゃよかった。
我が母国はこんなにも、堅苦しい場所だったっけ。

受験なんてやる気がなかった。
オトナが勝手に決めたルールで未来が決まるなんてクソみたいだった。
しかも、なにがギモンなのか本気でわかってない連中がたくさんいた。
これはまるで、ジョージ・オーウェルの「1984年」そっくりだ。
洗脳社会じゃないか。
かつての友人たちも、何もギモンを持たずに、頭に意味不明なものを詰め込んでる。

生きるってそういうことじゃないだろ?
自由はどこへ行った?
僕は絶叫したかった。
でも、ライブハウスに共に立つ仲間はもういない。

オトナになんてなりたくなかった。
これでも最善を尽くしたつもりなんだ。

ずっとずっと、内なる炎を絶やすことを拒んで生きてきた。
これは、大切なものだ。命よりも大切なものだ。
僕はそう信じて生きてきた。

その内なる炎を消さぬがために、つらいことがたくさんあった。
仲間だと思ってた人が、炎に照らされて去っていった。
どうやら世間的には、この炎を持っているとサタンのように扱われるらしい。
サタンなんてどこにもいないのに。

友人と信じてた連中にも、家族にも理解を得られず、
親友と思ってた奴にも絶交され、恋人にも裏切られ、
とうとう孤独になったとき、孤独こそが人生であると理解した。

それでも炎を捨てなかった。

僕は追い詰められ、心を壊し、廃人のようになった。
さまよい、目的を見失ったことも、何度もあった。
それでも炎を手放すことはなかった。

そんなに言うならば、証明してやろうじゃないか。
ある時そんなふうに思ったのを覚えている。
証明してやろうじゃないか。お前らが信じているそのクソみたいなプライドと欲を、
俺はなにもない真っ白な状態から、手に入れてやる。
見ろ、俺にはなにもない。学歴もない。才能もない。コネもない。
それどころか、家まで飛び出したんだ。
住む場所すらままならない。
ここからお前らの求めているものを手に入れてやる。
そしてそれを、ゴミのように捨ててやる。

僕は、わけもわからず、ただ初めての自由を求めて突っ走ってるオヤジデビューなんかじゃない。
ずっとずっと、心の奥底に、炎を絶やさずに燃やしてた。
誰も理解してくれない永い暗闇の日々でも、他人に見せないようにそっと隠し持ってた。

いわゆる底辺の仕事からはじまった。
そこから炎を消さぬよう、とにかく登りたくない山を登り続けた。
ただ、見せつけるためだけに。
「お前らが大事そうにしてるその金とか地位とかプライドなんてものは、ほんものの価値ではない」
そう言うために。

数々の仕事をこなした。
どんな仕事でもこなした。
転職を繰り返し、最終的には世界最大規模のIT企業にいた。
年収は、1000万円を軽く超えていた。

そしてクソみたいなこの「価値」とやらを、
とうとう投げ捨てたのだ。

こんなもの、ゴミだ。

そう思った時、99.99999%まで蝕まれていた僕の心の奥に
ほんのほんの少しだけ、固く守られていた、あの炎が
一気に燃え上がった。

危なかった。ほとんど忘れていた。
ギリギリだった。

僕は、自分をまた取り戻した。
そして捨てたものの無価値さを再認識し、やっぱりここまで上り詰める経験をしてみても、
結局クソだったと言える自分に、満足した。

ここまでやって、やっぱりクソだっていうんだから、クソなんだ。

これ以上、どうしようってんだ。

エリートになんて誰でもなれるんだ。僕が証明した。
そんなものに価値なんてこれっぽちもない。

金なんて稼ごうと思えばいくらでも稼げるんだ。
僕はその方法を知ってる。
そんなものに価値なんてこれっぽっちもない。
それどころか、魂を悪魔に売らずに金を増やせる奴をいままで僕はひとりも見たことがないんだ。
みな同じように曇りきった目をしてる。
キラキラした輝きをもつ瞳は、金持ちにはひとりもいないんだ。
例外はない。

ものごとの本質を見極める力が強くなった。
僕は生まれたときから僕だ。
それ以外の何者でもない。

そしていま、本物の価値を世界に見せつける未来を夢見て、
その日のために人生のすべてを賭けてる。
未来を生きる人たちのために。
いまを生きる人たちのために。

途中で野垂れ死ぬ可能性のほうが高い。
でも、それでもいいんだ。
きっと誰かが続きをやってくれる。
僕が死んでもまったく問題ない。

自分を取り戻したことで、僕はすべてを取り戻した。

これは、他の誰にも理解できない。
オトナには絶対に理解できない。

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