恐れと怒り

The original 6 Episodes of George Lucas’ historical feat, Star Wars. In Episode 1, Master Yoda and Anakin Skywalker had a conversation:

Yoda: “Afraid to lose her I think, hmm?”
Anakin: “What has that got to do with anything?”
Yoda: “Everything! Fear is the path to the dark side. Fear leads to anger. Anger leads to hate. Hate leads to suffering. I sense much fear in you.”

恐れはダークサイドへの道。恐れは怒りを導く。怒りは憎しみを導く。憎しみは苦しみを導く。

I can explain more detail.

解消していない過去のトラウマ(思い出すことに多少を問わず苦痛が伴う記憶)が恐れを呼ぶ。恐れはまた傷つきたくないという心理的バリアを張る。心理的バリアは現実的に防御行動を引き起こすが、実際に満足のいく防御行動をとれる人はそう多くない。他者に対する信頼を100%失ってしまっているという極度な状況は稀である。それがため、防御行動に緩みが生じ不完全な行動になりやすい。実際にどのような行動をしたかは重要ではなく、そのときに心理的揺らぎが起きたという事実が重要。その揺らぎこそが他者を信じたい残り香で、相手に対して少しでも心を開いたという主観的真理となる。そこには歩み寄った分だけ、相手に対する期待が生じる。期待とは、相手との合意もなく憶測した結果のことであるから、意図的か否かに依らず、偶然性で裏切られる。相手には知りようもないことだからだ。そして少しでも信じようとしてしまった自己の純粋性とのすり替えが生じ、裏切りとして認識される。裏切られたときに恐れの正当化つまり信用した自分がバカであったという論理が成り立ち、怒りを導く。このようにして本来の怒りの矛先は自分自身であるのだが、全体の流れとして相手が存在してこそ生じるプロセスであるがゆえに、怒りの矛先が相手に向くケースも多い。ここで分岐する。自分に向けば自己否定、相手に向けば明らかな憎悪となる。憎悪と純粋性のぶつかり合いはやがて自己矛盾の苦しみを導く。

ここで肝要なのは原初となる「解消していない過去のトラウマ」で、向き合うことから逃げて記憶の引き出しの中で永遠の一時停止状態にしてしまっていること、さらにその状態を維持するために間断なくエネルギーを費やしてしまっていること、そのエネルギーを使っている事実に目を向けたら自己肯定が覆るため、無意識の闇にしまい込もうとすること、そしてそれはさらに不自然な状況を無理に作り出そうとするがために、間断なきエネルギーをさらに必要とする。最終的には開き直って内面との対峙をするしかないし、それによって杞憂が明らかになって晴れるのがベストケースだが、対峙を恐れるがあまり横道にそれるケースが後を絶たない。日本人の心が失われたと表現されるのは、このような内面的な問題処理の経験値が積まれていないまま歳だけ重ねてしまうことを許容する社会構造に問題があるとわたしは提議している。この問題の解決には大きな組織論は必要なく、むしろface to faceのこまやかな関係性、いまひとりひとりの目の前にある人間関係において具体的に変わっていくための一歩を踏む勇気こそが大切である。

過去のトラウマというものがどのようなものであれ、対峙できるのは本人しかいない。外側に答えや救いを求めれば求めるほどに、救いは遠くなる。

解消していないトラウマ(癒えてない傷)に触れられてしまうことも当然ある。そのときには、感情的反発も内面的逃避も、都合よく先送りにすればいいだけのことだ。ただしそこでコミュニケーションが終わって独りになったとき、トラウマ解消が必要である具体的な事例が起きたということを認識しておくこと。その認識があってこそ、内面に向き合うチャンスが生まれるのだから。

単純化すれば、怒りが起きることを責めても無意味ということになる。怒りが起きないための人格形成に努める意思と、実際に怒りが起きてしまうことは別個の対処が必要だ。ひとたび怒りが起きてしまったときには、アンガーコントロール(怒りの制御)でもアンガーマネジメント(怒りの管理)でもない、怒りを迸らせるという対処が十分に効果的である。それを人間に対して行うには、深い信頼関係をもつ相手が必要となる。成長期であればそれは親が担うものであるが、機能していない家庭では向ける先がなく、自他を問わず破壊に捌け口が向くケースが後を絶たない。怒りは新鮮なうちに、適切な相手に向けて爆発させる経験をしておく必要がある。そのあとの冷静さの獲得や後悔の念も含めて、必要な経験なのだ。その経験を削がれたまま大人になった人がたくさんいる、そこに現代社会の闇がある。こうなると大人も子供も関係ない。大人であっても知らないならば伝えるしかない。伝達するか、去るか。これこそが慈悲か無視かという話ではないだろうか。辛抱とは、こういうときに使うべきものではないだろうか。

Hiro Hayashi

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