思念と現実世界の関係

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アインシュタインにもボーズにもハイゼンベルクにも解けなかったひとつの問題が、科学と意思の関係性だ。神はサイコロを振らない。この時代はまだ例のアレを科学に持ち込むことには世の中の抵抗がつよかった。欧州ではもう何十年も前からこの決着はついており、科学というもののパラダイムはとっくに進化しているのだが、日本ではいまだにその時代の感覚しかない。古臭い埃をかぶった教科書で教育していたらそれが最新であると勘違いした大人がたくさん輩出されてしまうのは仕方がないが、ぼくは江戸時代あたりの人と話をしているような気持ちになってしまうことがある。観測によって量子が物質化するということは、サイコロも振らないし偶然性でもないというその両方が成立する答えはもう人類がとっくに得たものだ。数学をやっていても現代アートを見てもそれは一目瞭然ではないか。あまりにも身勝手な解釈によって大統一論の世界に引きこもって出てこようとしない残念な会話しかなく、まともにディベートもできない。わたしたちがこの国で生み出してしまった恐ろしいものだ。現在、過去、未来。未来は現在をつくりだす材料で、過去は未来からつくられる。過去の積み重ねで未来ができるなんて、どうしてそう思った? アインシュタインが天国で笑ってるぞ。

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