わかりやすい表現ほど表現が狭くなる

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ブログで伝える主要なツールは言葉。音程の抑揚がない代わりに時間的成約から解放された文脈の美しさがある。近頃は文章を読む人が減り、文字は好まれないらしい。このブログも20年になる。20年といえばいろいろなことが変わるのに十分な時間だ。YouTubeを見ていると、映像があることが好まれることがよくわかる。文字のいいところは、自分のペースで進められることだ。最近は検索するとすぐに動画解説がヒットするが、僕はあまり便利だと思わない。映像は場面の想像力を奪うから、様々な想像の余地を奪い、受け取るものの多様性をなくす。映像にしても伝わらないものは伝わらない。でも、文字よりもわかりにくい表現がある。たとえば、美術館に行けばたくさんある。山に行ってもたくさんある。感性に任せないコミュニケーションという息苦しさ。現代社会。余裕のなさ。分析していくと、かつて言われていた忙しさのせいだとか経済成長のための大きな目標だとか、そういうことはもう時代錯誤になりつつあるということがわかる。今やそのような目的とは乖離して、現実は無軌道になりつつある。無軌道による理念の欠如といっても差し支えないだろう。影響を受けないためにいまの生き方を選択をしたが、それは的確な判断だったと思っている。他人には決しておすすめできないが。知恵と勇気にあふれる人たちはもっと頭のいいやり方をするのだろう。ぼくにはこのような愚直なやりかたしかできない。

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