過程を受け止める

マレーシアの次はシンガポール。

予想以上の大きな流れに乗ろうとしているのを感じる。どこに至る流れであるのかはまだ見えないが、途方もないことを成し遂げようとしているようだ。

己を信じて、日々目の前にあることをこなしていくこと。遠回りや自分に関係がないと思えることでも心を込めてこなしていくこと。己の望みよりも他者の目の前にある幸福の鍵を開けることに専念すること。そしてその間も希望を忘れぬこと。

それだけで、事は成るということを、自らの人生を賭けて証明してきた。それすらも己のためではなく、世のためである。現在の僕には神様に誓って後ろめたいことは何もない。

背中を見て希望を持ってくれる、世界の未来を担う若者たち。そして、これから僕が生み出すものによって、理不尽さのない世界に少しでも近づけること。そんな世の中に生きる人たちは、己の幸せについて向き合うチャンスをより多く得る。

幸せとは、楽に生きることではないと僕は確信している。自らの意思によって生きること。望む山に登り、時には楽しみ、時には苦しみ、仲間を見つけ、同じ志に胸を熱くしながら勇気を与え合い、頂上に向かい踏み締める一歩一歩こそが人生を謳歌していること、そのものであるというリアルタイムでダイレクトな幸せを感じながら、まだ見ぬ頂上を夢見ながら進んでいくことだ。

手段に拘っているうちはまだまだ余裕がある。余裕は使い方が大切だ。余裕とは、己が己によって得たマージンであり、誰かに与えられたボーナスではない。使い方に知恵を使うことによって、次の一歩がさらに強くなる。

遊びと仕事を分けているうちは、仕事は仕事として試練のように映る。仕事とは単純に行動のことである。エントロピーに逆らう運動のことである。即ち、仕事をしなければ山から転がり落ちていくか、頂上に至らぬままその場に留まるのみ。

誰かのために山を登るのは苦痛でしかない。そんな山しか知らぬのならば、仕事の楽しさや苦しさについて語ったところで失笑を買うだけだ。己の意思ですべて決断すること。自立への道にそれ以外はない。決断したら行動すること。できない行動について考えている時間はない。行動できない時は悩み苦しむしかない。その過程を経て初めて、道が開ける。行動すれば悩むことはない。

体力、知力、精神力のバランスをとり、よく休息すること。無理をすれば必ず事故になる。

泥臭くても醜くても、這いつくばってでも前に進もうとする必要がある時もある。そんなことは気にしない。

そうしているうちに、昔苦しんだような坂道が楽園のようになる。周囲に咲く花に目を向ける余裕ができる。すでにかけがえのない美しい場所にいることを知る。そして、さらにその先に何があるのかを知りたいという好奇心が生まれ、やがてそれは強い願望になっていく。その願望こそが愛であり、己にまた新たな一歩を踏み出させるエネルギーとなる。