縁とフィードバック

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その1:精神的成長の話

最近よく白昼夢を見る。それと反比例するかのように、眠っているときには夢を見ない、あるいは見ても覚えていない。

大きな流れとしては、白昼夢は変化をもたらす。数ヶ月に1回くらいの周期でこの状態が巡ってくる。

白昼夢は物事に対する自身の価値観に変化が訪れる前兆だ。白昼夢や夢から学び取るものは大きい。夢は己の潜在意識からのメッセージという受け止め方をしている。言い方を換えれば、神の啓示。

なぜそう思うのかというと、過去、とりわけ数ヶ月以内の過去において自分がやってきたことや、他人と交わしたコミュニケーションに対して今まで思いつかなかったような新たな視点を得ることができるのが白昼夢の一側面だからだ。

自分はなぜ、あの時あのような行動をとったのだろう。
相手はなぜ、あの時あのような行動をとったのだろう。

未解決リスト入りしていた案件の答えが時を経て無意識から降りてくる。それは、言葉としてではなくてビジョンとして降りてくる。しかもそれは、より大きな視野をもとにしたビジョンだから、比喩的表現に満ちている。それが白昼夢という偉大なメッセージだと僕は思う。

受け止め方ひとつで白昼夢のもつ意味は変化するし、受け取れる量も違う。だから白昼夢というものは他人との会話や日々の感性や思考と同じように大切なものだし、意図的に発生させることができないので千載一遇のチャンスでもある。

2020年の後半は、「縁起」について学ぶ機会がとても多かった。

「縁がつながる」「縁が切れる」「縁がある」ということは、縁起という大きな観点の現実世界において観察可能なごく一部の結果の、さらに一側面しか説明していない。つながる・切れるだけで毎回処理してしまっていれば、人生はただその繰り返しが起きているだけに過ぎず、何も理解できないし、感情の起伏もなくなってしまうだろう。

昨年は、縁というものが「恒星や惑星における重力や遠心力」「原子における原子核や電子」に似た相互作用の性格をもつことを強く意識させられてきた。

本年は、「正負とはなにか」に始まり、「無秩序・秩序」と重ね合わせて解釈ができたときにブレイクスルーした。固定観念というものは常に人の可能性を制限する。それを外す喜びは何事にも代えがたい。

もともと存在しないものから存在してきたように見えるものを探す癖は、そろそろ皆で卒業すべき時がきた。

違うレイヤーにあるものを無理矢理当てはめて拡大解釈しようとすれば、答えは闇に紛れる。カオスの部分観察をしているに過ぎない、という言い方もできる。

僕が見る白昼夢は、新たなる理解のイメージそのものだ。なので白昼夢を見てそれが示す意味について無意識と意識の共感ができると、その後に見える世界はそれ以前に見えていた世界と同じものなのに、全く違うものになる。

これが僕にとって、とても幸せに感じられる瞬間だ。

エゴを捨て、成り行きを感じる。

自分の意思は自分が決めているが、「自分」=「意識」ではないな、と思った。

わたしたち生命は、意識的に自分のやりたいことを決めたり、人生の価値観を作り出しているのではなく、意識は「選択」をしているだけだと思う。

その2:現実へのフィードバックの話

決定したことがいくつかある。

経営の完全な独立

昨年友人と立ち上げた会社は、ひとりで続けていくことにした。

物別れは希望していないので、今ある会社を解散して新たな組織を構成するのか、あるいは友人に抜けてもらうのかは友人の選択に任せようと思う。

インプットとアウトプットの分離

自分しかいない組織を組織と呼べるのかどうかは置いておいて、独立させた組織においては常にインプットの価値を重要視する。インプットに価値を置くということがどういうことかというと、例えば目の前に経営的判断AとBという2つの選択肢があったときに、アウトプットだけに価値を置いた組織の選択は、成功する可能性が高いほうを選択する。これは多くの企業などの組織で説明するまでもなく当然のことになっているから、いまさら説明不要だと思う。

対してインプットに価値を置いた組織は、経験したことがない選択肢をとる。当然失敗のリスクもあるが、成功・失敗の判定を個別の選択の結果に置かない。最終的に強くなること、技術を得ること、道理を知ること、他の多数がとらない選択をとることなど、強くなる要素が詰まっている。失敗を巻き返す力は、成功へとつながる。これこそが真の強さを得るための道であると信じている。

  • 企業勤め:アウトプットに徹す(解決可能なリスクだけとる)
  • 個人事業:インプットに徹す(すべてのリスクをとる)
  • 企業経営:選択を偏らせない(リスクを評価しない)

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