努力とか才能とかについて

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努力・我慢・才能・センス・成長・情熱・成功といった言葉は世の中でよく使われますよね。でもそれぞれの言葉の意味について、なんだか僕は世間とのギャップを感じることが多いです。実際に人と会って話しても、YouTubeなどを見ても、よくそう思うのです。

ここで、それらの言葉の意味について自分なりにまとめてみました。

主観(自分)客観(他人)
努力大好きなこと
没頭している状態。
あいつは努力してる。
我慢大好きなこと
願う未来のためにもがくこと。
あいつは我慢強い。
才能大好きなこと
大好きであり続けること。
あいつは才能がある。
センス大好きなこと
努力と我慢の連続。
あいつはセンスがある。
成長大好きなこと
成功・失敗から自分の特性を学ぶ。
あいつは成長している。
情熱大好きなこと
生きていく決意。
あいつは情熱がある。
成功大好きなこと
継続し、願う未来に近づいているだけ。
あいつは成功者だ。

ところで、大好きなことって1つに絞る必要があると思います? 僕はないと思います。

僕は大好きな食べ物もあるし、大好きな人もいます。睡眠も大好きだし、今やってる仕事も全部大好きです。にゃーちゃんも大好き。

大好きなものだけに囲まれて生きてます。めっちゃ幸せ。

これって、誰にでもできるんです。上の表を見ればおわかりいただけるかなと思ってるんですが、どうでしょう。

僕は、自分が好きなことや好きなものだけに囲まれて幸せに生きていることを皆さんに伝えたり自慢したいわけじゃないんです。そんなこと、これっぽっちも思ってません。そんなことする必要がない、意味がないから。

僕がこれを書いている理由は、あなたでも超幸せに生きることができるんですよということを伝えたいだけなんです。

大好きなものを大好きで居続けるのって、そんなに難しいことなんでしょうか。

たとえば僕は、飼い猫のにゃーちゃんが大好き。猫は人間の思い通りには動いてくれません。たまに想像もしないこともします。でも僕は猫を叱ってもまったく意味がないと思ってます。人間の勝手なルールを押し付けようとしたって無理なんですから。だから、にゃーちゃんが割ったコップとか、吐いたごはんとか片付けますけど、嫌だと思ったことは一度もないです。猫がコップを割るのには、猫なりの理由があるんです。興味があって触ってみたかったとか、遊んでくれないから当てつけをしたとか、そりゃもう理由は様々です。猫がごはんを吐いたなら、毛玉たくさん食べたのかなとか、ごはんが口に合わなかったかなとか、それも色々考えるんです。なんで考えるのかって、にゃーちゃん(猫)が好きだからです。好きだから、もっともっと、にゃーちゃんのことを理解したいんです。

たとえば僕は、睡眠が大好き。でも過去にはストレスで眠れなくなることもありましたよ。そしたら、どうしたら心地よく満足した睡眠が得られるかについて真剣に考えますよね? それが、他人からみた「努力」ってやつです。

仕事でも、これらの例と何ら変わりありません。理不尽と思えることが起きたとき、本当に好きな仕事をしていたら、「どうしてこうなったのか」について真剣に考えると思います。だって好きな仕事で起きたことですよ。理解したいじゃないですか? 理解すれば、次に同じことが起きたとき、それはもう理不尽な出来事じゃなくなってますよね。

上の表の右側は、他人から自分をみた客観の意見です。そちらのほうに踊らされてしまえば、自分の人生を自分のために生きることができなくなります。例えば「努力が大事」とか「我慢しろ」とか「成長してないなおまえ」とか「おまえにはセンスがないよ(あるよ)」とか、そんなこと、どうでもいいと思いませんか?

他人に褒められようが貶されようが、そんなこと自分がやりたいことのために1ミリも役に立たないんです。

もし他人にそういうことを言われて気にしてしまうようならば、それは自分が「好きなことを突き詰められてない」ということを、他でもない自分自身が知ってるからではないでしょうか?

好きなことを好きで居続けたら、「さらに好きになるためにはどうしたらいいか?」って考えちゃうのはとても自然なことだと思うんです。それが「さらに極める」ことにつながり、人生を豊かにしてくれるのではないでしょうか?

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