学歴は不要だけど学は必要ですよ、という話

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まずはじめに書いておきます。学歴は役に立つこともあります。学歴が役に立つかどうかは、あなたには制御権も決定権もありません。学歴は、相手があって初めて役にたつものです。相手が学歴を評価してくれるのであれば役に立つだろうし、評価してくれなければ役に立ちません。これは資格試験や免許も同じです。

対して学(がく)は、あなたが学んだことそのものです。学はあなたの脳内に大事に保管されているだけでは何も役に立ちません。宝の持ち腐れです。学はアウトプットして自慢するために使っても役に立ちません。アウトプットして、結果につなげて初めて価値として社会に認められます。社会に認められるというのは、おまけです。アウトプットして世の中に変化を与えること自体に価値があります。

わかりやすく極論で書きます。たとえば同じ医大を卒業して医師免許を取得したAさんとBさんがいるとしましょう。Aさんは人を医療で救うために医師になることを決めて医師になりました。Bさんは学業成績がよかったので偏差値の高い医大を志望して、社会的地位も収入も高めであろう医師になりました。さて、学業を終えて実際に働き始めてから、AさんとBさんは医師として同じような道を歩むでしょうか? 学び続ける意欲はどの程度持続するでしょうか?

僕はいま3種類の異なる顔を持っています(異なる仕事をしています)が、そのうちのひとつは、長年携わってきたITのお仕事です。この業界においても「学歴と学の問題」は蔓延しております。

世の中が必要とし、高い評価を受けるエンジニアは常に、学があります。学とは、経験と知識の両方に裏打ちされた技術力です。知識だけ豊富で手術経験のない医師に手術をしてもらいたいと思いませんよね。大学卒業してから最新医療知識を学ぶことを怠っている医師に診てもらいたいと思いませんよね。技術力には、経験と知識の両輪が必要で、さらにそれを組み合わせるセンスが必要です。センスについては最近書きましたが、地道な研究と学びを続けていくことで現れるものです。努力と我慢の連続ですが、好きだからこそ、本人は努力も我慢もしているとは感じないのです。

学ぶことをやめてしまったら負け、みたいなことをよく耳にしますが、僕は最近よく思うことがあります。学ぶことをやめるってことは、単に飽きたとか、興味がなくなったとか、そういうことなんじゃないかなと。つまり興味が別の何かにシフトしている可能性について真面目に考えてみたらいいんじゃないかなと思います。

どう真面目に考えるのかというと、普段学ぶことをやめた時間を何に使っているのか、ということです。

なにか別のことに没頭しているのだとしたら、それをとことん飽きるまでやり抜けばいいのではないでしょうか。それがもし飽きなかったら、それが進むべき道かもしれません。飽きたらもしかしたら元の分野でまた学ぶ意欲が湧いてくるかもしれません。

なにも没頭できない、ただ眠りたいとか休みたいという場合もあるかと思います。それなら、今やりたいことは休息なんでしょう。休んだらどうでしょう。「十分休んでる」って自分で言ってる人いますけど、僕には十分休めてないように見えるんですよ。そういう人はほとんど「時間的長さはたくさん休んでいるけれど、深さがまったく足りてない」ように見受けられます。やはりここでも、没頭するということが大事だと思うのです。

他何かを心配しながら休むって、そりゃ休んでないってことですからね。

心配事があるときってどうします?
心配事を片付けてから休もうとしてませんかね。
それも戦略のひとつですが、それだけしか戦略がないのだとしたら、ちょっと戦略を増やしたほうがよくないですかね?

心配事への対処にはさまざまな方法があります。そのバリエーションを増やすことで心配事に対して強くなれます。

ここでその方法について羅列しても脱線してしまうので話を戻しますが、僕は常々感じてるんですよ。「好きなことやってるって言う割には、全然勉強してないな」って人が多いことを。

ゲーム好きな人ってけっこう多いですよね。そのゲームで上達したかったら、やり込んだり攻略サイト見たりYouTubeで同じゲームやってる人の動画を参考にしたり、Googleで検索してみたり、攻略本を買ってみたり、同じゲームやってる知り合いに相談したり、思いつく対処をすべてやると思うんですよ。そんでもって、まだ試してないことが見つかったらすぐにまたゲームを起動して、試したり練習したりしますよね。

めっちゃ高速にPDCA回してるじゃないですか。

なんでそれを仕事でできないの? って話です。

やっぱこの仕事好きじゃないんだろうなあ、って思ってしまうわけです。

でも「好きじゃないんだろうなあ」だけでは終わりません。

僕を知ってる方ならおわかりいただけるかと思いますが、僕は底辺と呼ばれる状態から社会生活をスタートさせました。だから、選択肢っていつもめっちゃ限られてました。とくに若い頃は、もうほとんど選択肢がない状態の中で、それでも自分が行きたい方向にちょっとでも近いからと選択してきたのです。だから、初めからやりたいなんて思ってなかった仕事もたくさんやってきました。

ただひとつだけ僕が言えるのは、どんな仕事をやるときでも、僕はその仕事を愛することができたってことです。どんな仕事にも価値があって、その価値には様々な形があり、ただ僕がそれをやってみるまで知らなかっただけです。やってみたら面白さってあるんですよ。学びもきちんとあります。「いま学びたいことはこれじゃない!」と主張するのもまあご勝手にどうぞですけど、「いま目の前にあるこれを学べってことなんだな」と流れを受け入れる覚悟も必要と思います。こうして受け入れると、次に「この学びをどう活かせばいいんだ?」という疑問につながります。これって結局、自分が目指してるところに繋がってくるんですよ。やってるときには解らないんですけど。

スティーブ・ジョブズの有名なスピーチ(スタンフォード大学の卒業祝辞)で言ってました。「Connecting the dots」(点と点がつながる)という話です。まさにそれとしか言いようがない。

彼はまたこんなことも言ってます。「ドグマに囚われるな」「Stay hungry, stay foolish」。

僕は「なるほど」って思ったわけではないんですよ。「マジそうだよな」って思いました。共感です。

共感してみてください。そのためには、自分の経験とジョブズが言ってることを比喩的につなげる試みが必要ですね。


日本人の58%が大学に進学する時代です。果たしてそのうちの何%が「学を得るために」大学に進学しているのでしょうね。学歴のため、就職のため、資格のため、さまざまな進学理由があってもいいと思いますが、学校教育法では「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする」と書いてあります。大学は、知識を学ぶ場であると同時に、教授研究・応用能力の展開の目的もあるのです。ただ知識を学んだり実地演習をするだけならば、高専や専門学校との違いはありません。

大学卒業したら、仕事を通じての学びしかやらない社会人、多いです。「仕事を通じて学んでます|学びました」って、そりゃ当たり前でしょう。仕事してる人ならほとんどの人がそうしてます。それすらやってなかったら給与取得者ならクビになってもおかしくないだろうし、経営者なら倒産ですね。

仕事で学べる部分「以外」で如何に、何を学ぶか。これで差が生まれるわけです。だから、好きなことを仕事にしたほうが間違いなく強いです。好きでもないことを欲望など別の理由で選択したら地獄ですよ。そういう人が「好きなことを仕事にしてる人ばかりじゃないんだ」って主張するんでしょう。好きなことを仕事にしている人からすれば、「は? マジで言ってるの?」だし、好きなことを仕事にする覚悟をして勇気を出した人に対して何言ってるの? って思っちゃうわけです。

まだ若い諸君がもしこれを読むことがあるのならば、好きなことを仕事にしたほうが幸せだよって伝えたいです。

好きなことが見つからない? ならば、見つかるまで探し続けながら、目の前にある選択肢から「いちばん嫌いじゃない」ものを選んでいけばいいんじゃないでしょうか。そして、選択した目の前の仕事を全力でやるのです。

学ぶっていうのは、業界に関連する知識を学ぶことだけではないと僕は思います。多様性のある芸術や文化に触れてそこから感じたり考えたりするのもとても大事なことです。じわじわと差がついてきます。思考の深さを得るなら、仕事も遊びもなんでもやりたいことを全力でやるのが一番だと僕は思います。

全力でね。

そしたら、自分の学びが十分だなんて間違っても言えないです。常に学ぶべきものが目の前にたくさん広がってる。好奇心がガツガツ吸収する。それを活かしてアウトプットを重ねていく。進化し続ける。

学歴じゃなくて、本物の学びを続けること。

それが本物のキャリアになっていくと思いますよ。

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