Subjectivity & Objectivity

この記事は約3分で読めます。

僕は予定管理が苦手だ。
未来の約束事を守るのがとても苦手だ。
よく今まで生きてこられたなってほどに。
なので携帯電話やアラームウォッチが世の中にあって、だいぶ助かっている。

僕はすぐにモノをなくす。
スマホがないとか鍵がないとか、
予定管理ができても、出発時間に家の鍵が見つからないとか、予定表管理してる肝心のスマホがないとか、困るのだ。

子供の頃、親に「いつも散らかしてるから見つからないのだ」と言われた時に、確かにその通りだと思って部屋の整理をしてみたらコレがまた楽しくて、さらに効率的な整理を追求しているうちに、本来の目的を忘れて模様替えマニアになってしまった。

食器洗いも、洗うことを忘れたら洗ってない皿が必要になるまで思い出さない。シンクに汚れた食器があっても、目には入れど意識まで届かず、結果、見えてないも同然なのだ。
なのでこの問題を対処するために、自分は食器洗いが趣味であると心の中で宣言した。
そしたら本当に食器洗いが大好きになってしまって、今では食器を使ったらすぐ洗うという流れができた。最近では余裕すらあって、シンクに汚れた皿があると意識に届くまでになった。すぐに洗うという強迫観念じみたものに悩まされることもなく、好きな時に洗って楽しめるようになった。

僕がスマホをなくす流れ。

スマホを持って何かしてる

ふと何かを思いつく

すぐに取り掛かる

スマホはどこだ?

うちのスマホはいろんなところに勝手に移動してるようにしか見えない。まるでうちの猫のようだ。

台所の食器を干すところにあったり
トイレの上のストックを置く棚の上にあったり
階段の5段目にあったり
洗濯物を干すピンチハンガーの上にアンバランスに置いてあったり
液晶テレビの細い縁の上にあったり
洋服ダンスの引き出しの中にあったり

一番びっくりしたのは探してるスマホを左手で持ってた時だ。
しばらく探してて、
なんか左手に持ってる感覚があったけど
それがコップなのか歯ブラシなのか意識してなかった。
探すのに両手じゃないとまどろっこしいと思って、左手に持っているモノをどこか適切なところに置こう、そう思って持っているものに意識を向けたら、それが探してたスマホだったという。

とにかく何かを思いついたらその瞬間、思いついたそれの世界に入り込んでしまうらしい。

なのでうちの時計は壊れている。
さっき、数分前に12時だったのに
ちょっと考え事とかして、ふと見ると
18時だったり11時だったりする。

なんでコレを書いているのかというと、
今までみんな同じだと思ってたから書くまでもないことだったのだが、
なるほどこういうことか、と。

自分のことがわかって楽しいのだ。
自分のことを
アホだなーこいつ、
みんなが僕のことを変人だっていうのがどうしてなのか、なんかわかってきたわー
と感じたから、面白さを共有したくて書いてるのであります。

コメント