勉強の定義

この記事は約5分で読めます。

学ぶことの重要性ばかりフォーカスすると、学びの本質を見失ってしまいます。学ぶ理由は、好奇心。

なぜ好奇心を持つか? それが必要だからです。
必要かどうかの判断は、自分でするものです。
これは将来必要になるから学んでおけとか大人ぶった誰かに言われてやるもんじゃありません。

学びにおいて最初のマイルストーンは、自分で答えを導き出すことができるようになることです。
そのためには、実体験から得るものは大きいです。疑似体験から得るようになるにはやはり相似性のある実体験を伴う必要があります。

自由闊達な議論は学問の健全性において重要なファクターです。残念ながらそういうことを理解できる人は限られているのですが、知らない世界について語れる人はいません。

日本の大学がアホくさいと思っている子どもはたくさんいます。茂木健一郎先生と話したときにも仰っていましたが、IB(International Baccalaureate)を自ら選択するような小学生は皆そう思ってます。

16歳の頃、ミシガン大学アナーバー校に通うホストファミリーを訪ね、学内を案内してもらって、学生たちが議論を交わす様子を目の当たりにした僕は、自分が居るべき場所を見つけたと、心が踊りました。

J-1ビザの制約、家庭の事情により帰国することになり、希望の大学への進学はできませんでしたが、今ではそれがベストであったと思います。大学生活は1年も我慢できませんでした。人生において意味を見出すことができなかったのです。それで僕は社会に飛び出し、己の力量だけで生きる道を選択することになります。これは決して楽な道ではありませんでしたが、Where there's a will, there's a wayです。結果的に僕は望むものをすべて手に入れていますし、それは多くの方々の助力があった上で、自分を信じることをやめなかったのが大きかったのでした。解けない問題はない。この世には不可能はない。それを自分の力量を伸ばしながら、少しずつ証明するように、泥臭い努力を積み重ねました。遠回りで茨だらけの道のようですし、やってる最中は実際そう感じます。しかし、そのやり方だからこそ得られる果実は最大化します。実力主義なのです。

結果、学位を持たずして、世界最大の通信機器メーカーで貴重な経験を得ることができ、次のステップに残されていたのはビッグ・テック(GAFAやGAFAMとも呼ばれる、Google, Apple, Facebook, Microsoft)の一つかなと安易に考え、知人の紹介でビッグ・テックに勤務する人たちにSkypeでインタビューをする機会を得ました。それから入社試験を経て内定までいただいきましたが、そこで「これって、今までと同じだな」と、GAFAMに対する憧れが幻想であったことを受け入れました。決してGAFAMが期待外れだったわけではなく、いままで経験をさせて頂いた企業と同じで、GAFAMだからこそ得られるものやGAFAMでないと経験できない仕事はもう無いと判断するに至ったのです。

ITの巨人で働くことに価値が感じられないということは、企業勤めの終焉を意味しました。僕にとって企業は丁稚奉公の場です。他では得られない仕事内容を経験させていただき、素晴らしい成長の機会を提供していただき、お給料まで出していただいて、その返礼として、顧客の信頼を得る仕事をこなす。

こうして突然僕は被雇用者としての生き方を勝手に卒業しました。

そしてより困難のある道をまた選びます。困難とは、自分のすべてが試される場のことです。限界ギリギリを経験しなければ成長もない。新たなる好奇心を満たす場、それが「困難への挑戦」です。

当時の僕は今思えばまだまだ甘いわけですが、5歳のときに決意した僕の使命をもっとダイレクトに実行する時期がとうとうやってきたと思いました。5歳のときに予測していたとおり、ここまで来るために何十年もかかりました。その道程の長さを創造して、当時の僕は氣の遠くなるような思いで涙したのですが、とうとうここまで来ることができました。闇の中をひた走るような苦しい選択の連続でしたが、振り返ってみれば正しい選択をしてきたとしか思えません。

そして温めていた構想の「当時の」「集大成」であるアイデアを実行するために、1年間で1千人以上の人と会いました。それからタウンシップラボを設立し、info.caffeを立ち上げ、とかいなか食堂に繋ぎ、そこでまた盛大にずっこけて、盛大すぎて命まで危険に晒し、それでもなお、這いつくばって前へじりじりと進み、ご縁があって会社設立となり、そこからキューブカフェその他の活動に繋がります。とても全部書ききれていませんが、いろんなことがありました。ひとつも後悔はありません。それどころか、「まだ30%くらいしか出てない」ってどこかで感じていて、燃焼しきれないエネルギーが常に爆発しそうな状態は、未だに続いているのです。

僕が欠かさなかったこと。

好奇心を持ったものは、いますぐ満たせるだけ満たすこと。つまり学ぶなり体験するなり話を聞くなり、今できることから何でもスタートすればいいのです。好奇心をないがしろにすることは僕の性格上できません。僕の辞書に「不可能」という項目があるとすれば、そこにはは「好奇心を抑えること」と書いてあるでしょう。

「あなたの職業は?」と問われると、うまく答えられないので「ITです」みたいな部分回答をすると大抵の人は納得してくださいます。しかしITは僕の一部しか表していません。説明するのが面倒なので、ジョークで終わらせてしまうことが多いのです。感性が鋭い方にはもう少し掘り下げて話します。

僕にとって勉強のフィールドは「現実世界」「社会」「空想上の世界」「自分の脳内に広がるイメージ空間」です。知りたいことをどうすれば知ることができるのか、それを応用できるのか。誰かに頼ることができない状況でどこから手をつけたらいいのか。生きる強さを最大化する選択肢はどれか。誰もやっていないことは、あるいはより少ない人がとる選択肢はどれか。そういうことを「考えて」やっているのではなく、僕はそういう人間です。

しかし得たいものを得ることと学びは相似ですから、それを分析するのは得策ではないのです。

コメント