この世界には、たったひとつのことを除いて、何事にも終わりがある。終わりがあるから始まりがある。
僕はいま限界ギリギリを歩いている。一歩踏み違えば奈落へと落ちる崖っぷちだ。そしてこれは、今に始まったことじゃない。
昔から僕はこうだった。曲げたり手を抜いたりできない性分なのだ。
ただ、昔と今の違いがある。それは、命の終わりを常に意識しているかどうかだ。
決して年齢のせいでもなければ、弱っているせいでもない。僕は常に強くなり続けてきた。
単に選択肢がより厳しくなっているだけなのだ。
人生の課題は常に自分がギリギリになるところにある。
強くなればなっただけ、課題もシビアかつ難しいものになるのは当然だ。
意識を向ける対象が変わってくるのだから。
誰のせいにもできない己の弱さとの戦い。生命を懸けた決断と行動。
僕がいなくても成り立つ世界を目指してどれくらいになるだろうか。
僕がいなくても皆が幸せになれる世界。それこそが、僕が心から欲しているものだ。死ぬ前にどうしても実現したいのだ。
身の回りのあらゆる人々が笑顔で毎日の幸せを共有し、希望を胸に、さまざまな課題を支え合いながらクリアしていく世界。
それがあって初めて僕は安心してこの世界を離れることができる。
今はまだだ。もう少し。もう少しだけ、時間をください。分界点が目の前まで迫ってきているのは感覚でわかる。分界点を越えれば、僕があくせくする必要もなく、全てが成長し続け、育ち続け、継続性を確保することになる。
危機感は僕だけのものだ。残された命の時間を意識しながら日々を送れる人はなかなかいない。
楽しさや美しさは先の楽しみにして、今はやれるだけのことをやる。それは、楽しむために山を登るのか、それとも迫り来る危機から逃れ、新たなる大地を目指すために山を越えるのか、その違いに似ている。
たとえ危機から逃れて新たなる大地を目指すために山を登ろうとも、僕は無用な不安を煽りたくない。だから楽しんで山を登ろうと仲間を集める。登りさえすれば危機は逃れられるし、希望がつながる。
山登りを急かす理由が話せない。
だから急かされてると感じさせることなく、ワクワクする希望で前に進んでもらう必要がある。
最近たまに体が悲鳴をあげそうになる。
どうすれば体が休まるのかなんて知ってる。けれど休んでる時間はないから、必要最低限のチャージだけでまた歩き始める。
自分のパワーが尽きるのが先か、それとも分界点を皆で越えるのが先か。