ココロの信号

考えてみりゃ自分の心をシンプルに浄化すればするほど、他者の感情が見えやすくなるのは当然のことである。

たとえば会議室に入ったときに、空気を読んだり、みんなやってるのです。
「なんか空気重いね〜」とか。

気まずい空気、とか。
楽しい雰囲気、とか。

単純にそれを研ぎ澄ましていくだけで、場の空気というものは読めるようになる。

他者の感情を読むというのも、それに似てます。
ただしこれは、おそらく経験を豊富にもつことと、その経験を類型化してメタ化しておくという前提が必要になります。
簡単な話、相手が、自分が過去に経験したことのあることで悩んでいたら理解しやすいですよね。
そこで気をつけるべきは、思い込みをどこまで排除できるかです。
だから相手の気持ちに立つための会話をする。思い込みを押し付ける会話じゃなくて、相手の状況を把握するために質問したり、反応をみたりする。
そうすることで、相手の言葉から確信を得る。それでも、思い込みの可能性は絶対に残ります。
それが、「他人を100%理解することはできない」ということなんですね。

経験を積むと、言葉なんてほとんど要らなくなります。
流れというか空気というか波動というか、そういうものを敏感に察知することで、相手の状態がわかるようになる。

心に余裕が無い人には、これができない。繊細さが失われているから。
一辺3cmの折り紙で、鶴を折ってみてください。
途中でイラっときちゃったり、想像するだけで無理って思っちゃう人はおそらく、心に余裕が無いのだと思います。
人って、繊細さ(内観)と大胆さ(外観)の両方を成長させていく流れがあると思うんです。
その両方が調和したときに、大きく得るものがある。

感情が不安定な人。
知恵が足りない人。
体力が足りない人。

どれも、制約になってしまいます。

だからこそ、すべてを調和させた形で成長させていくことが大切なんだと思います。

人間はロボットではないから、知的作業をするときでも、それを支えるカラダとかココロが必要です。
これがわからない人がたくさんいることに、僕はとっても驚きました。
たとえば集中して本を読むことができない人は、好奇心が足りないとか、集中するためのなにかが足りない。
食が原因であることも多いです。
脳だって生きてますから、その栄養となるブドウ糖が足りているかとか、いろいろあります。
脳は都合の良いことだけ考えているわけじゃなくて、知らないところで自律神経を調整したりしながら、やってくれてるわけで。
食生活が乱れて臓器の循環とか健康が損なわれてきたら、当然ながら脳だって思考したいことに集中できなくなっちゃったりします。
血流が悪くなったりしたら、当然、脳が必要とする酸素が効率よく流れなくなるわけです。
ストレスがたまりすぎて血管(とくに毛細結果)の循環が悪化すれば、脳も不活性化します。
酸素は、大動脈ではなくて、毛細血管という細い細い血管のはじっこで、やり取りされていることを思い出してみてください。
体温がちょっと高すぎたり低すぎたりするだけで、いろんな体内活動がうまくいかなくなってきます。
どこかで仕入れた偏った知識、しかも正しいか正しくないかわからない知識だけで、頭で考えたって健康は手に入りません。

身体を司っている脳や神経などが、あらゆる信号を発しています。
熱いものに触れたら反射的に手をどける。あなたが考えてからどけているのではない。
同じように、脳は本来、不足しているからこそ食べたいものが信号としてあらわれる。
突然、「◯◯が食べたい」って思うのはなぜなのか説明できますか?
できないですよね。
これこそが、身体が欲しているものです。
でも無理にそれを制限してしまったり、ドカ食いしてしまったりすると、脳が異常な活動をしてしまい、
正しい(本来の)欲求ではないものを欲求してしまったりします。
これが、劣情だったり、過食だったり、拒食だったり、あらゆるモノ、コト、ヒトへの依存だったりする。
そのヤバいループから抜け出すためには、いったん感性をリセットさせてあげる必要がある。
それを、リラックスといいます。

よく言われるように、自然に触れたり、何も考えない時間をつくったり、断食したりするのは、リセットする方法として効果が認められています。
ほかにもいろんな方法があります。

生活習慣病というのは、習慣を直そうとしてもうまくいきません。
ストレスの原因を断つか、うまく対処できる生活にしていかねばどうにもならない。
ストレスの出口がどうにもならなくなったとき、ヒトは病気になるのだということがよくわかります。

しかし現代人の多くは、病気に対してすら真剣に向き合おうとしない。
痛みのない病気がいちばん怖いです。マジメに対策しようとしないから。

そういうことをさらに助長するように、糖質制限とか、万人に効果があるなんてどこにも確証がないことが広まっちゃったりするので、なかなか面倒です。

こうなっちゃうと、繊細さもへったくれもない。
ココロの信号なんて読めない。
自分のココロの信号も読めないのに、他人のココロなんてまったく見えない。
だから、記憶を頼りに、目が見えないなか手探りで歩くかのように、「過去の経験」にすがって相手や自分の状態を「見る」のではなく「想定する」しかなくなります。
だから、思い込みで勘違いなどをしやすくなる。
でも、そういう状態になっていることに本人は気付けない。

コメントを残す