AIの流行に乗らない最先端企業を立ち上げます

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以前から現実世界でも本ブログでも訴え続けてきた、ITという道具をお金のための道具にしない、本質的な道具としての価値を真摯にみつめたいという想いのために具体的な行動を起こすときがやってきました。

IT(Information Technology:情報技術)あるいはICT(Information and Communication Technology:情報通信技術)という名前がこの世に現れたのは、早くとも1990年代初頭です。

インターネットを支えるパケット通信技術に関しては、1960年代にアメリカ国防総省の国防高等研究計画局(DARPA、当時はARPA)より始まったARPANETがその始まりです。それまでは無手順による文字の送受信という原始的な通信によるコンピュータ通信手法でした。

日本では1985年に日本電信電話公社が民営化してNTTになった際、電気通信事業法などの法制が整備され、事実上の通信自由化がもたらされました。

1986年に学術ネットワークであるJUNETがインターネットに接続。1992年に日本初の商用インターネットが始まりました。

実際にインターネットユーザーが爆発的に増えたのは、Windows 95の発売のタイミングです。それまでコンピューターに関わる仕事をする人や一部のマニアの間でしか使われなかった「パソコン」が、一般の人に使われるようになり、パソコン専門店だけでなく家電量販店でもパソコンが並ぶ時代になりました。

さらに爆発的にユーザーが増えたのは、スマートフォンの出現によります。

わたしたちの多くは、コンピューターが一体どのような処理をしているのかを知らないし氣にもとめません。

その流れはIT業界の中にまで広がりつつあります。

コンピューターが好きじゃないのに、業界に入る人が増えました。
わたしたちにとってコンピューターの経済的価値が爆発的に増加した結果です。

それからというもの、業界にはマーケティングと称した「バズワード戦略」が横行しています。流行のキーワードでビジネスを編みだす(お金を流通させる)という、カンフル剤です。カンフル剤によって励起された市場は、その市場価値を数値的に上昇させますが、実質経済との差を抱えることによってバブル崩壊の危険を常に伴います。

過去にもさまざまなキーワードでビジネスが作られ続けてきました。最近では「クラウド」「IoT」「ビッグデータ」「AI」などをよく目にします。

それぞれの概念は新しいものを表していますが、実際にわたしたちが恩恵を受けるものは、ちょっと違うのです。

クラウドの理想的な概念はすばらしいものですが、実際に理想形でサービスを提供できている企業はほぼ皆無だし、わざわざ名前をつけなくても考え方自体はなにも新しいことではありません。

IoT(モノのインターネット)も然り。これらは、業界外の人でもわかりやすく技術を説明するためのまさにバズワードですが、その言葉に惑わされていては、ITの本質から逸れてしまう危険があります。

AI(Artificial Intelligence:人工知能)に至っては、現在「AI企業」と呼ばれている企業が提供しているサービスは、まったくもって人工の知能とは程遠い代物です。機械学習(Machine Learning)、ディープラーニング(Deep Learning)は、アルゴリズムと統計の複雑なモデルをコンピューターが処理できるようになりました、というだけで、現時点でAIと呼ぶのは躊躇してしまいますが、記憶によればIBMが「いままでAIと呼んでいた人工知能技術のことはAGI(Artificial General Intelligence:人工汎用知能)と呼ぶことにしたので、いまの技術はAIと呼ぶ」みたいな定義をしてしまったため、わかりにくいことになってしまいました。

あくまで学習する機能を追加したコンピューターであり、知能という単語を使うのは適切ではないと思います。

ところが研究が進むにつれて、「いったい知能とは何ぞや?」「生命とは?」という問題に直面することになるわけです。

ハエやゴキブリに知能はあるでしょうか。生命は?
ゴキブリの知能レベルを模倣できるコンピューターが現れたとして、それは知能と呼べるのでしょうか? 実際にゴキブリと同じ知能レベルであるという判定はどのようにして可能となるのでしょうか?

ここからは私見です。この私見が既存のどの企業にも通らないからこそ、新たに組織を設立するに至っているわけですが、わたしはITに関するあらゆる側面のプロでありながら、情報技術そのものよりも、情報技術と他のものを繋ぐインタフェースにこそ価値があると信じています。どのような技術も応用される時点で、人や地球上の何かにとって価値があるものであるべきだということです。

その価値のあり方について人は常に模索をしてきました。

たとえば原子力(核分裂エネルギー)。その強大なエネルギーを応用してわたしたちの文明が出した答えは、殺戮兵器と発電だけ。量子ビームなど未来の応用の可能性はありますが、現時点ではありません。ところが、応用を考えるのは人間自身です。

AIは他の技術と同様、使い方によってさまざまな結果を生みます。

わたしたちは現在の人工知能の発展のあり方をきちんとフォローしつつ、最先端研究の結果を応用レベルで民間に対する様々な問題解決手法のひとつとして活用するという点では、(現在の)AIとITを区別しません。どちらも情報技術の範疇です。技術はあっても応用のしかたがわからないという会社が実際に増えています。使い道のわからない技術。経済的価値が見出せないがために打ち切られる研究。このようなものも含めて、わたしたちが現在、技術的に達成可能であることと不可能であることを分別して、可能な技術をもって一体どのようにしてこの世界を良くしていくのかというところにフォーカスした事業を展開します。

直接的に対価がいただけるものに限らないということです。どのようにして継続性を確保するのかという点は、技術者には解決できないケースが多く、さらに課題を抱えたクライアントにとっても課題であるからこそ解決(ソリューション)が望まれているのです。

地域問題、経済格差問題、業界別のさまざまな内部で抱えている問題、社会に関わる問題など、分野を問わず、優れた問題解決者となれる可能性はまず、その問題に対して真剣に取り組んできた人です。その人に対してどのようにサポートを提供するか。問題の根源を共有し、その解決策を考え、実際にその手法を探り、完遂する組織をつくりたいのです。ITはその手法のひとつでしかありません。

一方で、この立ち上げには長期的視点で別の目的をもたせています。コンピューターが進化していったその先にある世界を見据えて、このブログでも幾度も紹介してきたAIの課題を解決するための独自の価値観をもっています。研究も進めていくということです。

これから先の時代、「得意分野」に限定したサービス提供は価値を下げていくと思っています。「わたしは/わたしの会社は情報技術屋だから」とは言えない時代です。社内はもちろんのこと、組織間や個人間でも縦割りには価値が出せない時代がやってくると確信していますし、だからこそ、課題に踏み込むためには「本物の解決力」が試されるのです。わたしはそこにチャレンジするし、やれる自信もある。あとはどのようにして解決力をもつ組織を持続させていくかを考えながら、やるだけというタイミングなのです。

法人設立について、資金、定款、名称、所在地など決めることがいくつかありました。これまでいくつもの地域と関わり合いを持って、地域性について学ぶことが多々ありましたが、最初に起こす会社としては、行政がやる気のあるところでやるのがいいという判断をいたしました。やる気があっても行動していない地域は、残念ですが今回は見送らせていただいて、わたしたちの体力がついたときに関わらせていただく所存です。

再来週、静岡県浜松市まで視察に行ってきます。理由は次のURLを読めばご理解いただけるかと思います。

雨ニモマケズ
宮澤賢治

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ[#「朿ヲ」はママ]負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/45630_23908.html

英訳について

Unbeaten by rain
Unbeaten by wind
Unbowed by the snow and the summer heat
Strong in body
Free from greed
Without any anger
Always serene
With a handful of brown rice a day
Miso and a small amount of vegetables suffice
Whatever happens
Consider yourself last, always put others first
Understand from your observation and experience
Never lose sight of these things
In the shadows of the pine groves in the fields
Live modestly under a thatched roof
In the East, if there is a sick child
Go there and take care of him
In the West, if there is an exhausted mother
Go there and relieve her of her burden
In the South, if there is a man near death
Go there and comfort him, tell him “Don’t be afraid”
In the North, if there is an argument and a legal dispute
Go there and persuade them it’s not worth it
In a drought, shed tears
In a cold summer, carry on
Even with a sense of loss
Being called a fool
Being neither praised nor a burden
Such a person I want to be

Translation Copyright © 2011 by Catherine Iwata, Fredrich Ulrich, Orlagh O’Reilly, Helen Bartos, Minaeri Park, Mokmi Park, Helen Bartos, Sophie Sampson, Kotomi Okbo, Eva Tuunanen, Alessanra Lauria, Sophie Sampson, Miwa Block, Nancy O’Reilly, Jasmina Vico & Yasuko Akiyama

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