南会津再訪に思う

かの地を1年ぶりに訪れた。昨年は体験できなかった、初夏の南会津。

山を越えて会津盆地に入った列車が、大きな音を立てて会津田島駅の手前にある小さな古い鉄橋を越えたとき、僕の胸裏にさまざまな記憶や当時の想いが蘇り、胸がいっぱいになって、景色が滲んだ。

そこには人々がいて、僕を待っていてくれた。待っていてくれる人たちがいたことが、かけがえのない己の成果であることを感じた。まさに僕は命をかけていたのだということを、今更ながら知った。

冷めやらぬ希望にあふれるこの地の志士たちとの濃密な交流を再開することができて、僕はいままで感じたことがない種類の喜びに満ちていた。

地域を「活性化」する活動は、地域が経済的に裕福になることを最終目標にするものではない。そもそも会津では、山も森も風も荒海川を流れる水も、東京ではなかなか感じられない力強さで活き活きとしている。問題の源泉は常に人の心にあり、それが集団化したときにある集団心理にあるものだ。人を活性化するということは、可能性の見つけ方を一緒に探るために、こうして他地方から全身全霊をかけてこの地を訪れる人間がいることを知らしめることに他ならない。

僕ひとりが特別だと定義することを僕自身に許容できるほど利己的でいられるのならば、僕はこの地に登記し、社長なり団体代表なりの体をとって旗を振ればよい。それをやらないのは、僕が逃げ腰で半身の立場をとりたいからではない。己が旗を振れば目先の課題をクリアしていくことは簡単なのだ。ただ実行するだけで成せるプロジェクトが目の前に数多くある。ところがそれを僕がやったのでは、ゴールがないただの自己満足になって終わる。自己満足で終わらせないためにとれる道のひとつは、実際にやったことを何かしらの形で残すことだが、己がクリアしてしまっただけでは、それは社長とか名士とか呼ばれる人間をひとり創り出して終わる。ただそれだけのことだ。僕のゴールはそのような低みにはない。だからこそ自分がとれる行動ととってはいけない行動がある。

僕にとって人生の大きなテーマのひとつが「誰もが持つ可能性を発揮することで、やりたいことが楽しく実現できる」ということを一人でも多くの人に体験してもらい、その喜びを分かち合うことだ。

南会津を興すならば、この地の神々に護られながら永い世代を重ねてきた、南会津の方々によるものでなければ意味がないのだ。僕はそこにほんの小さなきっかけとアイデアを与えるだけの存在であり、それすらも本来はおこがましい行為であると思ってきた。しかし地域の問題を日本全体の問題として捉え、さらにそれが世界全体の問題と密接につながっていることを意識したとき、それがおこがましいことではないとようやく己の心中で納得したのだ。

これこそが「自己責任」ではないだろうか。世の中のあちこちで使われている自己責任という言葉にはどうも違和感がある。あれは自己責任ではなくて、無責任である。ひとりひとりが持つ当事者意識の広さこそが人の責任感を示し、ことばはそれを裏付けする。

南会津から戻った僕は、まさに今こそ機であると実感していたが、その矢先に、今年いっぱいは新しいことをしてはならぬという啓示を受けた。

南会津については、既に動き出しているのだからもう旗を振ってはならぬという解釈でおそらく間違いはない。さらに、Sさんと起こそうとしていた新事業も来年まで封印することで合意した。

代わりに与えられたものは、すでに僕の道筋に顔を覗かせている。それは計り知れない価値をもつ。

近頃僕の人生には、意味あるものがとてもわかりやすく現れてくれる。すべては偶然を装って現れてくる。湯田氏、千葉氏、渡部氏、平川氏との出会いもそのひとつだ。過去の人生において常に僕には師があり、師を超えることが唯一無二の奉公であると信じて疑わない僕は、自身で定義した尊厳において、師を超えることこそが現世における数少ない道標であり、依代であった。そしてまたここに、新たなる師が現れたという直観を得た。

師には大きくわけて2つのタイプがあり、ひとつは人生から演繹した年長者のもつ深い世界観。もうひとつは純真さによって世界をみつめて帰納した年少者のもつ鋭い世界観。

こうしてわたしは無数の師に薫陶を受け、淡々と目の前にある事実を見据え、好奇心によって支えられて生きている。