Yes I believe. I do believe you because I believe myself. I believe in you and me.
理解しようとすることを諦めたら負け。理解しているからこそ取れる行動がある。その行動から逃げることはできない。
他の人がどうするかなんて知らない。ただ僕は僕でありたい。だから信じることを諦めない。
わたしの周りにあるもの。わたしを取り囲む人の関わり。もう関わらなくなってしまった全ての人たち。全て信じて生きている。
人はそれぞれを理由をもって行動している。その全てを知らずして否定することなどできようか?
わたしが知らないだけだ。理由を知らなくてもその人を信じることはできるのだ。たとえ永遠が道を分つことがあっても、たとえ永遠に関わり合うことになっても、それは結果でしかない。信じるという強い確信に少しも揺らぎはないのだ。
ありったけのエネルギーを放射しながら僕は生きる。なんのために生きるのか? 生きるために生きるのだ。
生きるということがどれほど感動的なことなのか、人は知らない。それを知りたいという根源的な欲求が人を強くしたり弱くしたりする。その強弱の波動が芸術を生み、ドラマを紡ぐ。わたしたちは、生きているということを忘れてはならない。それは当たり前のことではなく、この宇宙を支配しているエントロピーの法則に逆らうように働く奇蹟であるということを。
君には見えていないかもしれないけれど、しっかりと手を握っている。手放すことなんてできるわけがないじゃないか。それが法則というものだ。意思ある限り書き換えることはできないのだ。
全てのいのちが笑顔で安心して人生を謳歌できる世界を夢見てる。
そのためには環境や社会の成熟が必要だ。それをもたらすのはわたしたち一人一人の意思だ。結局のところ、そこに行き着くのだ。
己の弱さと闘うことを恐れてはならない。それは楽しいことなのだから。怯えながら春を待つか、それとも今すぐ何かできることはないかと動き出すか。
常春は笑顔に溢れない。厳寒があり猛暑があるからこそ地球は丸い。地球が丸いから季節があるのではない。この一見馬鹿みたいに聞こえる真理を理解した時にこそ、未来は輝く。
わたしはそのために存在する。
皆が賛成を唱えることに疑問符を打つ。なぜなら真実は一つではないからだ。確定は存在しないが確信は無数に存在する。
それでも触れていたいから。
わたしはあなたを信じる。あなたはわたしを信じる。
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