ともだち。なんて素敵な響きだろう。
この世界にはたくさん、たくさんの友達がいる。
過去、現在、未来。ある一瞬の時間的断面を見ても、たくさんのともだちがいる。
ともだちの定義。僕の定義。それは、相手が僕のことをどう思っているかは割とどうでもいいってこと。僕がともだちだと思った相手はみんな、ともだちだ。
ともだちのために命を張ることもある。家族だってともだちの要素を満たした相手とのより深い関係性のことだと思ってる。ともだちは一方的に定義しても相手に迷惑はかからないけれど、家族は双方の合意がなければ形成できないところがある。
パートナーシップの話をしている。
パートナー同士が合意して愛し合えば、命を授かることもある。なんて美しいのだろう。
パートナーは、ともだちの上位版。相手も自分のことを意識の中の住人として受け入れてくれていて、人生の一部として認めてくれている。
僕にはともだちがとてもたくさんいる。
現在付き合いのあるともだちだけでも、下は小学生から上は僕の倍くらいの年齢の人までいる。
ともだちは世界中にいる。日本にいるともだちも、出身地は世界中、日本中だ。
ともだちは人間だけではない。猫のともだちもたくさんいる。自宅の二階の出窓にいる植物もともだちだ。
ともだちは、ただ存在してくれているだけで、様々なことを僕に与えてくれるし、教えてくれる。
そんなともだちのために生きるというのはとても楽しいことだ。
そして忘れてはいけない、僕という存在もひとつの命であり、生まれた時から僕と付き合い続けてきてくれている、たいせつなともだち。
僕は一体どこにいるのかなんて、考える必要がない。それでも、想像力は宇宙の果てを超えてゆく。
和多志のともだちは、すべて。和多志が誰であるのかは、死ぬまでわかりません。和多志は全ての存在から選び抜かれた総和。
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