今年の誕生日は、何かが違う。何が違うって、うまく説明ができない。でも何かが違うのだ。
最初に思いつくのは、執着心を手放すことについて。よく断捨離とか捨てることは拾うことだとか云われているし、さまざまな書籍やWebの情報があふれているジャンルだけど、これは人生を通じて探求する価値のある大きなテーマだと思っている。
様々なことを手放す機会が48年間たくさんあった。まず最初に言える簡単なことは、物理的に手放すことと精神的に手放すことは違うってこと。それからこれは、永遠に続くテーマであるということ。ステップアップしていくことによって、様々な新しい世界が見えるようになるのだ。
そしてある段階を超えると苦痛がなくなる。僕が「手放す」ということについて、いまのところ最終的段階を得たイベントはやはり、心臓発作だった。あれは単一の機会ではなく、それまでも幾度となく繰り返してきた「手放す」ためのイベントをクリアしてきたからこそ感じ取れたものが詰まっている。そして僕はいまの自分を完璧だなどと思ってはいない。まだまだ僕の知らない世界が広がっているし、それがあるからワクワクしているのだ。
「生への執着」を手放すというのは、とても難易度の高いことなのだろう。それは「執着とは何か」を知る過程でもある。いまの僕は、いまの僕が思う限りにおいて、生への執着がない。これが面白いことに、毎日を身軽にしてくれる魔法の捉え方なのだ。
僕にはさまざまな「夢」がある。その夢のひとつが、「世界中にともだちをつくる」ことだ。こんなこと、執着心にまみれた過去の自分には口にすることができなかったはずだ。
いま僕は、実に多くのともだちに愛されていることを感じる。表面的な友達じゃなくて、心でつながった人たちだ。ひとりひとりが異なるところで尊敬できるものを持っていて、僕はこんなにたくさんの素晴らしいともだちに巡り会えた僕の人生を愛している。
若い頃に夢見ていたことが次々と現実で自分のものになっていることを感じる。40代というのは不思議だ。僕は20代、30代でかなり「苦しんだ」と同時に「自業自得だから、こんなものは苦しみとして自分で認めたら自分の負けだ」という思いを抱えて生きていた。実際のところは、20代の僕もいまの僕もそう大して変わらないのだが、知識と経験はほんとにたくさん得たのだと思う。ずっとずっと空回りしているような感覚でいたからこそ「苦しかった」のだけど、点と点はいつか繋がるのだ。
精神的に、いまが人生でいちばん成熟して安定している。「いまが一番」と感じられるのは最高のことだ。そしてこんなベストな状況も、未来にはさらに発展が待ち構えていることも感じ取れるし、そんな未来への期待感があっても、今すぐ死んでしまっても何も後悔はないと思える。これは、やれることをすべてやっているという感覚があるからだ。そしてまた、自分がいまできることの限界と、夢を追うことには限界がないことを経験をもって識ったからだと思う。
いまの僕の人生における活動は、「ワクワクすることを見つける」「ワクワクすることを現実化する」といった感じだ。その結果として現れてきているのが、自らが起こした会社であるし、自らが起こした革新的な社会活動だ。これらの価値はまだ世の中のごく一部にしか認めてもらえていないが、世界で認められるレベルのことをやっているという自信と実感がある。
生きている限り、僕は止まらない。そしてそろそろ実感として現れてきたことが、僕が死んでも何かが残るということだ。僕の思想は僕だけのものではない。素晴らしいと感じるものは皆で共有していくべきだ。僕が見据えている未来の片鱗を理解してくれる人が増えてきた。そのうちの何人かは、かなり深いところまで理解してくれている。
こんな形で49歳を迎えることができて、僕は幸せだ。
いまは、夢に描いたものが現実化するプロセスがとても速くなっている。たいした苦労もいらない。当初はこの不思議な状況に戸惑いもしたが、何ら不思議なことではないと思う。僕の描いている夢が、多くの人が描いている夢や希望と共振しているのだ。みんな、幸せになりたいんだから。
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