仮説の証明

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キューブカフェは万人受けする場所ではないな、と思う。
まず、好きでやってる場所だから、料金という概念がない。
来る人の目的もバラバラ。
ひとり暮らしの高齢者も来るし、
ひとり暮らしの若い人も来る。
所帯持ちの高齢者も来るし、
所帯持ちの若い人も来る。
友達が少なくて孤独だった人も来るし、
友達が多くて活動的な人も来る。
パソコンやスマホのことを教わりたくて来る人もいるし、
とくに用事がないのに来る人もいる。

キューブカフェには「こうすべき」がない。
好きにしていい。
用事が済んだら来なくなる人。
用事が済んでも来る人。

一緒に夕ご飯食べていく人。
ご飯は自宅で家族と食べる人。

かねがね、「地域活動」って言葉の意味について疑問があった。
だってさ、誰だってどっかの地域で暮らしているわけで、生きている、それが活動じゃんね。

「世の中をこうしたい、よくしたい」ってのは
結局己のイデオロギーであって、やりたきゃどうぞって思うけど、僕はそういうのは専門家じゃないから知らん。

ただ僕は、それがキューブカフェであろうと、それ以外であろうと、出会った人とは同じように接していたいと思う。

特定の「活動」のときだけ、世のため人のためと称して何かをして、活動が終わって素の自分に戻ったら行動が変わるとか、そういう多面性をもつのは面倒だと思うタイプなので、いつでも素の自分でいたいと思う。

キューブカフェで「鳥人間コンテストに出たいね」とか、「モルックやろう」とか、「百花園に散歩に行きましょう」とか「諏訪大社までドライブしましょうよ」とか、いろんなことを話したり実際にやったりしてる。
でもそれはやりたい人同士で勝手にやってることで、
「キューブカフェの『活動』」ではない。

キューブカフェは会社でもNPOでもない。
目的もイデオロギーもない。

「活動」と称して「サービス」をやりたくない。
【提供する側】と【提供される側】に分かれてしまったら、それは料金の有無に関係なく、サービスなのだ。【Service】を辞書で引けばそれは【公益事業】となる。事業なのだ。
事業は事業者側の一方的な目的を達成するために行われるもので、その目的による利益があると判断した者が受益する。
そこには必ず不均衡が生じる。
営利・非営利を問わず事業というものはビジネスだ。

サービスの語源はラテン語のservus(奴隷)。 そこから派生して、英語のslave(奴隷)、servant(召使い)、service(奉仕)という言葉が生まれた。

「提供する側」と「受益する側」という立場の二分化した活動を受け入れてしまうと、「集いの場」は「サービス」と化す。
サービスはそれ自体単独では不均衡であるため、継続性を確保するためには大きく2つの道に進むしかない。
ひとつは、助成金・補助金・クラウドファンディングなど、直接活動に関わらない他の何かに資金を依存する道。
もうひとつは、利用者(受益者)から料金を徴収して、営利活動または非営利活動になっていく道。

勘違いしている方が多いから書いておくけど、営利活動と非営利活動の違いは、お金を取るか取らないかではない。
違いは、活動したことによって出た利益を出資者や従業員に分配できるのが「営利」で、それができないのが「非営利」。
従業員への給与は経営上「利益」ではなく「コスト」だ。
つまり営利団体も非営利団体も、継続性を確保するためには利益を追求するのが当然ということ。
利益の源泉が売上なのか補助金なのかは様々だ。
それでメシを食っていくかどうかということだ。
そういうことを「地域活動」と混同するのはよくないと個人的には思ってる。

補助金についても実際は、自前で経済が回るまでの期間限定の補助でしかない。なにを補助するかというのが補助金の目的にきちんと書いてある。だから補助金を受け取る側が補助金に対して「自分の思い」なんて入れる余地は当然なくて、補助金の目的は補助金制度が作られたときに既に完成しており、その目的をただ遂行する第三者が求められているだけのことだ。

地域活動やNPOの運営で苦戦している人からよく相談を受けるが、ここに書いたような基本からズレた認識をもって経営してしまっているがためにうまくいかなくなっているケースも多い。

順番が逆になってしまっているのだ。

「いままでに無いこういう活動がやりたい」
→「資金を得たい」
→「こういう補助金があるよ」
→「補助金本来の目的とズレがあり、いままでに無い活動に無理が生じる」

「いままでに無いこういう活動がやりたい」
→「それをやる」
→「立ち上げに困難を経験する」
→「国や自治体に重要性を訴え補助金制度の確立を要請する」

自分がいったい何をしたいのか、
その理由はなぜか、
それは公平性のあるものなのか、
よくよく自問自答してみるとやっぱり僕には「経済」と「地域活動」は全く異なるロジックにしか見えない。

金さえ集まればやりたいことができると思いこんでいる人も多く、本当に金が無ければできないのかきちんと考えたのか問いたい。
金が必要無いなんて言ってない。
金をどう作るのかとか、
金以外にも必要条件たくさんあるでしょとか、
そういうことが言いたいだけ。

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